菅原道真は減税したい
道真は、讃岐国を安定させるために様々な政策を実行した。民の暮らしをよくするために、まず租税を軽くした。民から多額の租税収入が国府に入ってくるものの、それでもなお支出が足りない状況に陥っていた。役人には経済観念がなく、あればあるだけ使ってしまう。搾取する一方であった。
「このままではいけない。何か手を打つ必要がある」
道真はすぐに行動を起こした。讃岐国府で会議を開き、減税を提案した。
「財政が逼迫しているのは事実だが、民からますます多くの税金を徴収することはできない。いったんは税金を減らして、経済を活性化し、それによって国庫収入を増やす必要があるのではないか」
これは役人には衝撃的な提案であった。
「財政を立て直すには、民からの税収入を増やすことが不可欠です。財政再建には、もっと税金を徴収する必要があります」
讃岐国司の次官である讃岐介が反論した。
「税金を増やすことは、逆に民の生活を苦しめることになります。その結果、経済活動が停滞し、国庫の収入はますます減少してしまうかもしれません。そのようなことを避けるために、一旦は税金を減らして、民の生活を改善し、経済を活性化させる必要があります」
道真は再反論した。
「税金を減らすことで、国庫の収入が減少し、財政再建のために必要な予算を捻出できなくなる可能性があります」
讃岐判官が心配そうに言った。
「財政再建は大切なことですが、それ以上に国民の生活が崩壊することは許されません。一旦は税金を減らし、民の生活を改善し、経済を活性化させることが、財政再建のための重要な第一歩となります」
役人の一部は道真に反発し、抵抗を試みたが、道真の決意は揺るがなかった。減税は人々から大きな歓迎を受けた。税負担が軽くなったために経済活動も活性化した。労役の軽減によって農民らはより多くの時間とエネルギーを自らの生活に注ぐことができるようになった。農民らは余裕ができた分を新たな農業技術の導入や、家屋の改修、子ども達の教育費などに充てることができた。農作物の収穫は増加し、経済は活性化した。生活が豊かになったことで人々の満足度が向上した。
律令の租税は租庸調である。そのうちの租が国衙の財源であったが、租は稲の三パーセント程度であり、主要財源になるものではなかった。租は神に供える初穂料の性格が強かった。国衙の主要財源は公出挙であった。本稲を貸し出し、本稲と利息分の利稲を返す仕組みである。国衙が自分の利益のために勝手に貸し出すものであり、借りさせられる側からすれば迷惑である。このため、公出挙本稲の班給を拒否する人々が続出した。
一方で財源としてみても出挙は不安定なものであった。凶作になると利子はおろか元本すら回収できなくなる。稲を借りた農民が死亡すれば利子も元本も回収できない。これは出挙が元々、福祉施策であったことに由来する。
菅原道真は弥縫策として返挙という概念を生み出した。本稲を毎年貸し出し、本稲と利稲を返してもらい、翌年に再び本稲を貸し出す。これは手続きが煩雑であり、免れる人々も出てくる。そこで本稲は貸しっぱなしにすると扱った。この貸しっぱなし分が返挙である。毎年利子分の利稲だけを支払わせる。公出挙を土地に対する課税に近づけていった。
律令制度は人間を管理し、人間から租税をとることを理想した。しかし、人間を管理することは大変である。政治が悪いと逃亡する人間が増え、戸籍が現実と乖離する。むしろ土地は逃げない。土地に課税する方が確実になる。