シダラ神は冤罪を訴えたい
筑紫国の村々に天慶八年(九四五年)、新たな信仰が芽生えた。それは菅原道真に捧げられる信仰、シダラ神信仰であった。この信仰は冤罪に苦しんだ道真の名誉を回復し、その教えを称えるもので、民衆の間で驚くべき速さで広まった。人々は感動と興奮の中で、新たな信仰の始まりを迎えた。
ある日、村の人々は集まり、シダラ神信仰について語り合った。冤罪によって名誉を傷つけられた道真の運命を思い、彼の名誉を回復し、その教えを広めるために何かできることはないかと考えるようになった。道真の冤罪は、多くの人々にとって不正義の象徴であり、その名誉を守るために奮闘する者達は新たな信仰を通じて結束した。
「この信仰は、道真の冤罪を晴らすための使命なのだ。私達は道真の名誉を回復し、その教えを称えることで、不正義に立ち向かうのだ」
人々は語り合った。
信者らは自在天神の額を掲げた神輿を担いで京に向かう行進を始めた。最初は僅かな集団であったが、行く先々で参加する民衆が増え、道中は賑やかな祭りのようになった。驚くほどの人々がシダラ神信仰に熱狂的に取り組んだ。民衆は手拍子をし、歌を歌い、鼓を打ち、踊ることで、新たな信仰の興奮を共有した。特に手拍子は、この信仰の象徴として注目された。手拍子を意味するシダラから、その神をシダラの神と呼ぶようになった。
シダラ神信仰の広まりと祭りの盛り上がりには、道真の冤罪があった。道真は冤罪によって官位を剥奪され、追放された過去があった。冤罪の記憶は、民衆の心に深く刻まれており、道真への愛と彼の名誉の回復への願いが、新たな信仰の勢いを加速させた。
道真を支持する者達は、その名誉を回復し、神聖な存在として崇拝することを決意していた。彼らはシダラ神信仰を通じて、道真を称え、その冤罪を訴える使命を担っていた。シダラ神信仰は単なる信仰だけでなく、道真の冤罪を晴らすための運動であった。
神輿は七月に京に入った。この知らせは京中に広がり、多くの人々が興奮した。その日は、まさに神秘的な祭りの幕開けとなった。民衆は手を取り合い、心を一つにして、道真の名前を高らかに呼び、その冤罪の真相を繰り返し語った。道真の名前は再び脚光を浴びた。祭りの雰囲気は熱狂的で、道真の名誉を守り抜く決意が込められていた。
「吾は石清水八幡宮に参じたい」
菅原道真は託宣を出した。これに心を打たれた信者らは、神輿を石清水八幡宮に鎮座させ、それを摂社の一つと位置づけることを決めた。これがシダラ神信仰の新たな転機であり、道真の名前がこの神聖な場所に刻まれた瞬間でもあった。
シダラ神信仰はますます勢いを増し、その信仰の拠点として八幡宮は神聖視された。道真の冤罪は闇から光へと導かれ、民衆は道真の名誉を回復し、道真の教えを心に刻むことで、新しい希望と絆を築いた。民衆の団結と希望が冤罪からの解放と新たな信仰の広がりをもたらした。