菅原景行は遺骨を納めたい
道真の三男の景行は道真の骨を背負って諸国を遍歴していた。景行は旅の途中で多くの人々と出会い、父・道真が生前築き上げた教えと知識を分かち合った。その優れた資質と人間性から、景行の名声は次第に広がっていった。
一つの村で景行は美月と出会う。二人の出会いは運命的なものであった。彼女は豊かな心を持ち、敏感な感性を持った美しい女性であった。美月は景行の背負う骨に戸惑いながらも、彼の誠実さと温かい言葉に触れるうちに、彼を信頼するようになっていった。
美月は冤罪事件に苦しむ人々を救うために、冤罪事件を解明することを使命としていた。道真の悲劇にも心を痛め、景行と共に名誉回復への旅に参加することを決意した。二人は互いに信頼を寄せ、力を合わせることで、道真の名誉回復を成し遂げるという大きな使命を胸に抱いた。
二人は山々を越え、川を渡り、色々な困難に立ち向かいながら、互いの心を深く理解し合っていった。景行は美月の純粋な笑顔に心打たれ、美月もまた景行の人間性と知識に惹かれていった。途中、様々な土地で困っている人々に出会い、邪悪な者と対峙することもあった。景行の勇気と知恵、美月の優しさと勇気によって、二人はそれらを乗り越えていった。冤罪に苦しむ者達に勇気と希望を与える姿に、各地から支持と賞賛の声が寄せられるようになる。
やがて、その名声が朝廷にも届いた。二人の旅が道真の教えと知識を広めるだけでなく、朝廷にも良い影響を与えていた。景行は朝廷から常陸介に任命された。これは道真の名誉回復の一環でもあった。朝廷では、かつて道真が冤罪で追放されたことを悔い、名誉を回復したいと考える人々がいた。ここは袴田事件などの現代日本の冤罪事件と異なるところである。
景行は常陸介在任中の延長四年(九二六年)に羽鳥の地に塚を築いて遺骨を納めた。ここが道真の遺骨を納めるべき場所であると直感した景行は、力強く塚を築き始めた。彼の手にかかる塚は、愛と感謝に溢れ、父に対する思いが込められていた。遂に塚が完成し、景行は道真の骨を丁重に納めた。
景行は延長七年(九二九年)、道真の遺骨を新たなる場所へと遷すことを決めた。彼は飯沼湖畔に浮かぶ島を見つけ、そこに立派な社殿を建てることを決意した。そこは神秘的な雰囲気に包まれ、自然の調和が感じられる場所だった。島の美しい自然に囲まれたその場所が、今後道真を讃える場所となることを確信していた。
そこが大生郷天満宮である。天満宮は一気に人々の信仰の対象となった。道真の高潔な人格と学問の功績が称えられ、多くの人々がこの神社を訪れ、彼の霊に祈りを捧げた。道真の魂が常陸国の地に宿り、その神聖な力が国を見守るのだと信じられていた。多くの人々が訪れ、祈りと願いを込めて手を合わせた。それは平将門の乱にも影響を及ぼすことになる。