藤原仲平は大宰府天満宮を造営したい
時平と忠平には仲平という兄弟がいた。時平の弟で忠平の兄である。忠平と異なり、道真の冤罪に加担した立場であった。
「このままだと菅原道真公の御祟りがあるかもしれませんよ」
忠平は指摘した。
「それは困るな……」
「だったら、私に任せてください」
忠平が言葉を切り出した。
「どうするのだ?」
仲平が尋ねる。
「まず、あなたには太宰府に行ってもらいます」
忠平は提案する。
「大宰府へ?」
「そうすれば、あなたの名声が高まり、都の人々から尊敬されるでしょう」
「なるほど、そういうことか」
仲平は納得した様子だった。仲平は延喜一九年(九一九年)に醍醐天皇の勅命を奉じて大宰府に行き、大宰府天満宮の社殿を造営した。大宰府への旅は、彼の運命を大きく変える出来事となった。彼は都を離れ、新たな土地での暮らしを始めた。
時平も仲平も過去に讃岐権守に就任している。時平は仁和五年(八八九年)、仲平は寛平二年(八九〇年)に就任した。かつて道真は仁和二年(八八六年)から仁和六年(八九〇年)まで讃岐守であった。二人は道真のほぼ後任である。
道真は讃岐を愛し、懸命に仕えた。しかし、二人は道真と異なり、兼任であり、現地に行っていない。中央貴族として名前だけの就任であった。東風が静かに吹く讃岐の大地において、時平と仲平の名前だけが轟く時代であった。彼らの存在は霞んで見えるものであった。彼らがどんな人物であるか、地元の人々は知る由もなかった。二人の存在は、人々の記憶から風化していく運命にあった。
大宰府では静寂な時が流れていた。豊かな自然に囲まれ、時折鳥の囀りが耳に心地よい余韻を残す。仲平は自身の過去と向き合い、心の奥底に秘めていた葛藤を抱えながら、社殿の建設に取り組んでいった。仲平は社殿を作ることで怨霊を少しでも鎮めることができると考えていた。しかし、その胸にはやはり後ろめたさが残っていた。
仲平は積極的に地域の人々と交流し、彼らの信頼を得る努力を重ねた。彼の優れた統治力と聡明な判断力は、太宰府の発展に寄与し、人々からの尊敬を勝ち得ることに成功した。しかし、それでも彼の心の奥底には、道真の冤罪に対する未練と悔いが消えることはなかった。
仲平のもとに、ある日、一人の少女が訪れた。少女の名は梅。その澄んだ瞳には、時折悲しみの光が宿っているように見えた。彼女が訴える言葉は切なくも力強かった。梅は、道真の娘であると告げた。そして、父が冤罪を受けたことを晴らすため、遠く離れた地から大宰府にやって来たと語った。
仲平は、初めは驚きと戸惑いを感じていた。道真がどのような運命をたどったのか、仲平は知っていた。だが、その過去が今、道真の娘によって再び訴えられることは、彼にとっては予想外の展開であった。
梅の真摯な訴えによって、仲平の心に新たな葛藤が生まれた。仲平が選んだ道は、果たして道真公の冤罪と向き合うことへと繋がっていくのだろうか。それとも、再び過去を蔽うことになるのだろうか。彼の心には、まだ明確な答えが見つかっていなかった。