藤原忠平は冤罪に反対したい
時平の没後は弟の藤原忠平が氏の長者になり、権力者になった。菅原道真と藤原忠平は宇多天皇主催の歌会に出席する機会があり、そこで親交を深めていた。
歌会の場では、静かなる美しさが漂っていた。和歌の詠み手達が、自然の美や情熱を詠み込んだ歌を披露し、心の琴線に触れる響きが空気を満たしていた。その中で、菅原道真と藤原忠平はお互いの詩才に深い感銘を覚えた。
二人の会話は、言葉の奥深くに哲学を秘めていた。彼らの情熱は文学と和歌に対して共鳴し合い、時空を超えて響き合っているかのようであった。歌会の度に、菅原道真と藤原忠平は心を通わせた。互いの才能を高く評価し合い、深い信頼を育んでいった。
道真が左遷された時、忠平は冤罪であると反対した。しかし、当時の忠平は従四位下の地位に過ぎず、兄の時平と同じように強大な権力を手中に収めるほどの地位にはなかった。それでも彼は、道真が受けた不正な扱いに対して異を唱え、正義を求める心を持ち続けていた。忠平は道真を救えなかったが、彼の心の中に燃える情熱と友情は揺るがないものだった。
忠平は冤罪による左遷に反対していたため、祟りの対象外であった。むしろ忠平の子孫は怨霊に守られた。運命の歯車は巡り合わせを紡ぎ続け、人々の選択や行動が物語の行方を変えていく。道真の命を救えなかった悔しさや無力感と共鳴しあい、怨霊に深い味わいをもたらした。この忠平の子孫から摂関政治の最盛期の藤原道長が出る。
時平の子孫は中級下級の官吏にとどまり、歴史に埋もれていった。彼らの心の内には、冤罪を作った苦しみが渦巻いていた。その痛みをどうしても癒すことはできず、夜な夜な彼らの心を苦しめていた。
「先祖が冤罪を作ったとはいえ、それが過去の出来事。だが、何故こんなにも胸が痛むのだろう? 私は何も悪くない。なぜこんな苦しみを背負わなければならないのだろう」
「時平の名を背負って歩む苦しみを抱えているのさ。過去の冤罪が、未だに心に深く刻まれているんだろう」
かつて東方で名高い占い師が宮中に召されたことがあった。背は低く、白髪を風になびかせながら、精神的な深さを感じさせる風貌だった。占い師は寛明太子(後の朱雀天皇)の前に立ち、額を軽く垂れた。
「容貌美に過ぎる」
寛明太子は微笑むと、彼の占いに耳を傾けた。寛明太子は、時折心に秘めた不安を抱えることもあった。その不安を癒すかのように、彼は庭園に咲く花々を見つめ、遠くの空を仰ぎながら考え事をすることが多かった。
次に占い師は時平の顔を見た。
「知恵が過ぎる」
菅原道真の顔を見た。
「才能が過ぎる」
最期に忠平の顔を見た。
「全てが良い。長く朝廷に仕えて、栄貴を保つのはこの方である」
占い師の予言はやがて現実となり、その言葉通りとなった。