林田泰郎は歓迎したい
長い船旅の疲れがまだ残る中、道真は船から降りて初めて讃岐国の土地を踏みしめた。新たな土地での生活が始まることに胸を躍らせながら、道真は一歩を踏み出した。
「ここが林田湊か」
口に出すと、その言葉は心地よい響きがあり、青空に消えていった。初めて見る港の景色に道真は驚きと期待が入り混じった表情を浮かべた。
船着き場から海側に少し高台があって、そこに家々が建っている。大半は漁師達の住む借屋である。簡素ながらも温かさを感じさせる建物が立ち並んでいた。道幅は狭く入り組んでいた。新たな地、新たな出会い。道真の心は期待と興奮で躍動していた。道真の讃岐での新たな章が、ここから始まる。
その時、優美な音楽が、道真の耳に届いた。それは美しい琴の音だった。琴の音色は静かな海岸線に調和し、まるで自然と一体となっているかのように感じられた。道真は琴の音色に引き込まれ、音楽の方に近付いていった。
そこには若い男性が演奏をしていた。男性の指先から生まれる音楽は、まるで波のように海岸線に押し寄せ、道真の心を穏やかに包み込んでいく。周囲の人々も、その美しい琴の演奏に耳を傾けていた。彼らの顔には感動と幸福の表情が浮かんでおり、音楽が周囲の人々にも魔法のように作用していた。曲が終わり、拍手が起こると、男性は優雅に頭を下げた。
「讃岐国へようこそ」
男性は道真と目を合わせると深呼吸して元気な声で言った。その明るい雰囲気は空気を躍らせ、周囲にいる人々にも広がった。道真は彼の姿勢と人懐っこい性格に好感を抱いた。
「素晴らしい演奏でした。あなたの琴の音はこの地にぴったりです」
道真は感嘆の意を込めて言った。
「ありがとうございます。私は琴を愛しています。そして、この海辺での演奏が私の一日の楽しみです」
男性は笑顔で応えた。
「あなたは誰ですか」
道真が問いかけると、若者は自己紹介した。
「私は林田田令の息子、林田泰郎と申します。父からあなたのことを聞いて、出迎えに来ました」
田令は林田郷に置かれた役職である。屯倉を管理し貢税を行った。律令制以前の役職が林田郷には残っていた。道真は、泰郎の熱心な態度に感謝し、彼に対して礼を述べた。
「あなたの温かい歓迎に感謝します。私も讃岐国での新たな生活にわくわくしています」
二人はお互いに話をするうちに、意気投合することとなった。道真と泰郎の出会いは運命的なものであった。二人は、互いに刺激し合い、成長していくこととなった。二人が築いた友情は、長きに渡って続くことになる。
泰郎は道真に讃岐国の地形や風土を詳しく説明し、地元の文化や風習を紹介してくれた。彼の言葉は情熱的で、讃岐国への深い愛情がにじみ出ていた。
「讃岐国は四国の北東に位置し、縦に十一の郡に分けられています。西から刈田、三野、多度、那珂、宇陀、阿野、香川、山田、三木、寒川、大内郡と続きます。各郡が独自の特徴を持ち、それぞれがこの地域の多様性を豊かにしています」
泰郎の声が、道真の耳に心地よく響く。道真は泰郎の話に耳を傾けながら、讃岐国の歴史と風土に触れ、その豊かな文化に感銘を受けた。
林田湊も讃岐国府も阿野郡に属した。阿野郡は綾絹の産地であり、渡来人の漢部が織物に携わっていたことが名前の由来である。後の鎌倉時代に阿野郡は綾南条郡(阿野南条郡)と綾北条郡(阿野北条郡)に分割される。江戸時代には阿野郡に戻った。




