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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

愛及屋烏

作者: 碧 憂真

序章です、キャプションをよく読んでお楽しみください。

※登場する全てのものは創作上のものであり、既存の宗教及び歴史とは全く関係ありません。御了承下さい。また、既存の他の著作物とも全く関係のない私の一次創作です。






__18××年。とある國の存続が流行病によって侵された。しかし、教会に突如として現れた天使によって、その流行病は潰えたという。


出典『伝承・女神の美しき羽』__より。


「……天使、ねぇ……馬鹿らしい」

カタンと音を立てて、本棚に本を収める。

「神が本当に居るならば、私を救ってくれるでしょうに」

座っていた椅子を戻し、少女は悪態をつく。

もう帰ろうと、床に置いていた鞄を引っ掴んだ。

「おや、まだ残っていたのですか」

日も暮れかけ、もうすっかり暗くなった校舎に、ふわりとした声が響く。

振り向けば、この学校に勤める神父が立っていた。

「……もう帰ります」と、そっけなく返す。

こいつはなんだか気に食わない。なんというか胡散臭いのだ、笑顔が。

貼り付けたような笑みで、いつもにこにこしている。

何かを隠しているというか、とにかく信用ならないのだ。

本能が信じる事を拒絶している気がする。

「気をつけてお帰りなさい。神の御加護がありますように」

柔らかな笑みで神父はこちらを見る。

「……さようなら」

私が帰りの挨拶を返したことを確認した彼はにこりと微笑み、教会へと引き返していった。


帰り道、もう19時を回っていたが何事もなく家にたどり着いた。

今日は徒歩で帰ると言ってしまった以上、迎車を頼む訳にもいかない。

帰れるものなら早く帰りたかった。今日残っていたのも、宿題のレポートを書いていたからだ。生憎家には件の伝承の本はない。

そのせいでこんなにも信心がない人間になってしまったのだが。

家に帰ると、心配していた様子のメイドや執事に迎えられた。どうやら父と母も心配していたようだが、明日の仕事のため家をもう出たという。


その後、食事を手早く済ませ自室のベッドへ潜り込んだ。

今日一日の事をぼんやりと思い出す。

またいつものように味気ない日々だった。朝起きて学校に向かい、友達と駄弁りながら授業を待つ。そして、昼になれば食後に教会に祈りに行く。まあ、私は祈りに行った事など一度もないのだが。祈りをサボる生徒なんてきっとこの学校で私だけだろう。そしてそれを知っているのは私以外あの神父だけ。

それでもあの神父は私を咎めない。以前理由を聞いた時、なんて言われたか……などもう覚えていない。

なんと言っていただろうか……。


『____、_____________』


沈んでゆく意識の中、何か声が聞こえた気がした。


【伝承より序章 救われた天使】


とある國に、貧しい家がありました。

その家は貧しいですが、とても幸せな生活を送っていました。

ですが、幸せは長く続きません。國を不作が襲い、貧困層は食べ物に困るようになりました。

貧しい家に住む両親は、少女に自分たちの分の食事を渡し、必死に育てました。

しかし、底を尽きた食料を前に両親は飢えて死んでしまいました。

少女は酷く悲しみました。

神様にも願いました。藁にもすがる思いで神様に祈りを捧げます。

しかし、現実はそう上手く行きません。

そこに移り住んだ意地悪な夫婦が、少女を義理の娘に

したのです。


新しい両親は、少女にまともな食事も与えませんでした。

ある夜、少女は家を追い出されました。

「穀潰し」とそれだけ言い残して、義母と義父は家に帰って行きました。

食べ物も与えていないのに、穀潰しも何もあったものじゃありませんが、少女はなんのことだか分かりません。

少女は考えました。

こういう時はどうすればいいのか。

少女は前に同じくらいの子供たちが話していた事を思い出します。

「教会に行けば、助けてくれる」

そう、確かに子供たちはいっていました。

少女は裸足で、ぼろぼろのワンピースを着て走りました。冷たい街のタイルを踏みながら、教会へと必死に走りました。

教会の敷地内に着いたとき、教会の裏から声が聞こえてきました。なんだろうと思い、少女はこっそり覗きます。すると、血だらけになった教祖様と、かろうじて意識を保っている大人達三人の姿がありました。

「……あ」

と、小さな声が少女の口から漏れました。

少女のその小さな声は教祖様に聞こえていました。

芝生を踏む音とともに、教祖様は少女に近づいていきます。

「こんな時間に、どうかしましたか?」

いつもと変わらない柔和な笑みを浮かべ、教祖様は少女に訊ねました。

「おうちをおいだされたの」

少女が告げると、教祖様は少し考え込みました。

「では、教会においでなさい。きっと神はそれを御許しになられますよ」

教祖様が少女を利用しようと思っている事などつゆ知らず、少女は教祖様に「教会にいく」と言いました。

そして今度は少女が教祖様に訊ねます。

「きょうそさまはなにをしていたの?」

と。

教祖様は優しく微笑み、少女の頭を撫でます。

「我が主を愚弄する者に灸を据えていました」

教祖様は、少女にそう伝えました。

少女は納得したように頷き、教祖様に着いて行きました。

少女は初めて暖かいスープを飲みました。

少女は教会で暖かいスープを飲んでいるとき、初めて教祖様は枢機卿という職であることを知りました。

子供や街の大人たちは、みな教祖様と呼んでいたので、てっきり本当の教祖様だと思っていたのです。 


暖かいスープを飲み終わり、少女は初めて暖かい布団で眠りました。

すやすやと寝息をたて、少女が眠ったことを確認すると、枢機卿は教会裏へ向かいました。

そして、まだ息をしている愚か者たちを見て顔を顰めます。

「まだこの世界に縋るおつもりですか?主はあなた方を望まれていません」

酷く冷たい目で、枢機卿は吐き捨てました。

枢機卿は大きな声で反論しようとした大人達三人に向かい、先程とは打って変わって微笑みます。

「主から授かった天使が寝ておられます。起きてしまわれたらどうするおつもりですか」

だから静かに、と口から発せられた声は確かな圧を感じさせます。既に瀕死の大人達を黙らせるには充分なほどでした。

そして、大人達を誰にも気付かれないように教会裏の池に沈めたのです。



枢機卿は、少女が泥だらけで走ってきたことを知っていたので、泥の足跡を追って少女の家へ向かいました。


家に着くと、夜中の一時を回っていました。

ドアをノックすると、晩餐の余興としてワインを嗜んでいた夫婦が現れました。

枢機卿は夫婦にこう言います。

「先程教会に、あなた方のお子様が走ってきました。話を伺えば、まともな食事すらも与えていなかったと」

夫婦は必死に反論します。

食糧難の今では仕方ない、と言いますが、部屋に広がるワインの香りが貧困層ではないという決定的な証拠です。

「主はあなた方を望んでおられません。ここで私が主の代わりに天罰を下す事を、主は赦してくださいます」

そう言って枢機卿はおもむろに銃を構えました。

夫婦は必死に命乞いをしました。

神にも祈りました。

信徒となることを誓いました。

しかし、枢機卿は耳を貸さず、夫婦二人を撃ち殺しました。


床に広がる血と机から零れたワインが混じります。

ぽたぽたと音を立てて、ワインが床に跳ねました。


枢機卿はくるりと踵を返し、天使の眠る教会へと戻っていきました。


【伝承より第二章 救われた教祖】


次の日、少女の義母と義父が死んだことが街中の噂になりました。

少女は枢機卿に問います。

「あのひとたちしんじゃったの?」

枢機卿は憂いを帯びた笑みで、少女に言いました。

「きっと主が天罰を下したのです。主は幸せを愛されます。あなたを幸せにするのがあの方々の役目でしたのに」

と、悲しんでみせました。


数分経ち、枢機卿は少女に問います。

「悲しいですか」と。

少女は答えます。

「かなしくない……きょうそさまがいるから」

枢機卿は驚きました。まさか利用しようとしている子供に懐かれるなんて。

「教祖様ではないんですがね」

枢機卿は少女を天使だと周りに言いふらし、貢がせようと考えていました。

その少女に懐かれるとはなんとも都合がいい。枢機卿は自分に都合の良いように少女を育てる事にしました。




五年の月日が経ち、少女は十一歳になりました。

まだ幼いですが、教会のシスターとしての活動を行っています。

公には天使と呼ばれる彼女は、少し前まではぶかぶかな聖職用の服をそのまま着ていましたが、今では袖をまくることを覚えました。

経典を覚え、書見台の前に立つ枢機卿と朗読をします。

今日もいつも通りの経典の勉強をしていると、何やら外が騒がしくなっていました。

気になった少女は枢機卿について行きました。

枢機卿は民衆になんの騒ぎですか、と問いました。

すると民衆が言うには、奇病が流行り始めたと言うのです。なんでも、人間に翼が生えると言います。

枢機卿は一瞬眉根を寄せましたが、すぐに元の笑みに戻り、少女を連れて教会に戻りました。

それから、翼人症と呼ばれる病気にかかった人がたくさん教会に祈りに来るようになりました。

みんな揃って神様に祈りを捧げます。

治りますように、また生きられますように、と。


ある日、お医者さまがやって来て、枢機卿に言いました。

「この病気は、翼が背中に生える場合と、腰に生える場合とで異なるらしいのです。背中に生えた場合は、伸びた骨が心臓を突き刺し、死に至ります。ですが、腰に生えた場合は、死には至りません」

枢機卿は治療薬について問いました。

「治療薬は今のところありません。背に生える確率は9割を少しですが上回っています。腰に生えることは、滅多にないと言っても過言ではないでしょう。善人であれば純白の羽が生え、悪人であれば漆黒の羽が生えるとのことです。まあ、噂ですがね」と言いました。

そうしてお医者さまはハットを取り、ぺこりとお辞儀をして帰って行きました。

枢機卿は悩みました。自分がかかれば、羽は黒くなると分かっていたからです。

自身の罪は世間には知られていませんが、この件で知られたとなると馬鹿らしい。

枢機卿は、病気にかからないように教会の戸を閉ざしました。公には「神の天啓がありました」としましたが、実際は少女と自身の保身の為でした。


ある日の朝、少女がいつも起きてくる時間に起きて来ません。

心配になった枢機卿は、ノックをして、少女の部屋に入りました。

すると、少女は布団の中で魘されたように寝ているのです。

枢機卿は、必死に声をかけました。

「大丈夫ですか、苦しいのですか?」と。

しかし、少女は返事をしません。

せっかく信仰対象の偶像が見つかったのです。簡単に手放すなんて。そう考えました。ですが、その中に純粋な心配があったのもまた事実。

枢機卿は看病の為に、さまざまなことをしました。

食べやすい食事を用意し、濡らしたタオルを額に乗せ、できることは全て行いました。


そして、少女が目を覚ましたのは五日後でした。

枢機卿は看病をし続け、疲れて眠ってしまっています。起きた少女の腰には、純白の翼がありました。

少女は、翼人症にかかっていたのです。

少女は、床に座りベッドに身体を預け眠っている枢機卿を見つけました。

自分の為に必死に看病していたことがうかがえる身の回りの整いように、少女はくすりと笑いました。

ふと少女は、自分の腰の羽で空が飛べるのか疑問に思いました。寝ている枢機卿を起こさないようにこっそりと部屋を抜け出し、大きなステンドグラスの前に立ちます。数日間誰も来ていないようで、蝋燭の一本もありませんでした。

少女はひたひたと裸足でステンドグラスに近づきます。

暗い教会の中にステンドグラスを通して差し込む光が、とても美しく見えました。

黒かった少女の髪は翼と同じ純白になり、ステンドグラスの光をきらきらと反射しています。

ふと少女は前に枢機卿に教えてもらったワルツというものを踊ってみようと思いました。

誰もいない今なら、誰の邪魔にもならず踊れると思ったからです。


裸足で刻む三拍子の中、翼を広げ、少女は踊ります。時にふわりと浮いたりもしました。思うように、時間も忘れて踊り続けました。


少しして、枢機卿が起きてきました。

目覚めた時ベッドにいなかった少女を探しに来たのです。


スローモーションにも思えるほどに美しい少女を見た枢機卿は、呆然とそこに立ち尽くしました。

暗い教会で、煌びやかな光を浴びて、ワルツを踊る少女。

まるで、それは本物の天使のようでした。


自分が天使だと豪語していた少女は、翼人症によって、本当の天使になろうとしていました。

確率の低い腰から生えた純白の翼。

大きく雄大な、そして美しい翼。

烏の濡れ羽色だった髪は、さらに美しく翼と同じ純白に。


無神論者であった枢機卿でさえ、天使がいると錯覚したこの数分間。

永遠にも思えるこの瞬間は、十二時を告げる時計塔の鐘で終わりを迎えました。


こつ、という枢機卿の靴音に気づいた少女は、ふと音の方を振り向きました。

少女は、とてとてと枢機卿の元へ走っていきます。

「枢機卿、おはようございます」

淡々と、いつもの調子で話した少女に、枢機卿は涙を流しました。

「……良かった、生きていて良かった」

主に縋るように膝をつき、組んだ手を掲げる枢機卿に、少女は目を丸くします。

「……心配をかけましたか?申し訳ないです」

ええ本当に、と枢機卿は微笑みました。

少女は枢機卿に問います。

「泣いているんですか?」

枢機卿は少女の手を取り言いました。

「あまりにも美しくて、つい」


【伝承より第三章 黒き翼】


少女の翼騒ぎから一ヶ月。騒ぎといっても、枢機卿と少女しかこのことは知りません。

今日もまだ教会の戸は閉ざされたままでした。

教会も誰も居らず暗いまま。

書見台には薄く埃が積もっていました。


少女はベッドで寝転がり、本を読んでいました。これは、今年の誕生日に枢機卿から貰ったプレゼントです。

誕生日は詳しくは分かりませんでしたが、この教会に来た日を誕生日にしました。

この本は、巷の少女達の間で流行っている浪漫溢れる冒険小説だそうです。

街の少女達がこぞってお勧めしてくるものですから、枢機卿も折れてこの小説をプレゼントにしました。

その内容というのは、ある少年が世界を救う為に冒険に出るというものでした。

少女達がいうには、その少年がとても紳士的で、ヒロインになりたいと思うほどに魅力あるキャラクターだと言うのです。


少女が心を躍らせ小説を読んでいると、枢機卿の部屋からガタガタと音がします。

どうしたのだろうと心配になった少女は、枢機卿の部屋へ向かいました。

「枢機卿、大丈夫ですか」

少女はコンコン、とノックをし枢機卿の部屋へ入りました。

すると、そこには痛みに藻搔く枢機卿の姿が。

背中からは赤い血が流れ、黒い羽が床に散らばっていました。

「……枢機卿、今私が看病を」


少女の声に気付いた枢機卿は、目を丸くしました。

見られてしまった。己の背に授けられた黒い翼を。

「……あ、ああ……どうして……」

枢機卿は、我を忘れて少女に言います。

「この翼は、違うのです。何かの間違いなんです」

自身の罪を認めず、間違いだと枢機卿は否定します。

新たな罪を重ねた枢機卿の羽は、さらに黒い漆黒の翼へと変わってゆきます。

「……大丈夫ですよ、私が、必ず」

助けます、と少女の口からは言えませんでした。

少女は急いで枢機卿の手当てをしました。彼が自分の寝込んでいたときにやってくれたように、できることは全てやりました。


寝込んでいる間、枢機卿はずっと考えていました。

どうすれば無かったことにできるのか、この翼を間違いだと証明できるのか。

考えてはいましたが、枢機卿も馬鹿ではありません。

しっかりと自分の罪を理解していたのです。

もう、どうしようもないと、わかっていたのです。


次の日、教会に民衆が訪ねてきました。

少女は枢機卿のことを悟られないよう、気をつけて対応しました。

話の内容は、枢機卿を最近見ないがどうかしたのかというもの。

前々は慈善活動と称して買い物に行ったり、子供たちと遊んでいたと言います。

この病が流行り始めてから、あまり見ていないので、体調を崩していたりするのではないかと心配になったそうです。

少女は嘘をつくことを一瞬躊躇いましたが、枢機卿のために

「大丈夫ですよ、御心配をおかけしてすみません」

と言いました。


また次の日、枢機卿の羽はもう服では隠せない程になりました。

純白であれば、とても優美で美しいのですが、漆黒の翼であるため、堕天した天使のような恐ろしさがありました。


その夜、枢機卿は街に出ることを決めました。

夜であれば翼は目立ちませんし、民衆も皆眠りについています。

少女が寝たことを確認し、枢機卿は夜中にこっそりと街へ出ました。

民衆は誰一人としておらず、街はひっそりとしています。

枢機卿は必要な分の食料を持ってその場を立ち去ろうとしました。


すると、後ろから靴音が聞こえます。

振り向くと、そこには小さな子供が。

「悪魔……悪魔だ……ッ助けて……!」

幸いなことに、枢機卿であることは気付かれていなかったようで、子供は走って帰ってしまいました。

姿を見られた枢機卿は、どう誤魔化そうと考えながら、足早に教会へと帰りました。


【伝承より第四章 正しき裁き】


次の日の早朝、教会に民衆が押し寄せました。

皆揃って口にするのは、枢機卿を出せ、という事ばかり。

枢機卿に悪魔の事を相談したいという声が、街中にあふれていました。

少女は民衆を落ち着かせるため、教会の戸を開きました。

「みなさん、聞いてください」

ドアが開き、出てきたのは白く美しい翼の少女。

民衆は、やはり彼女は天使だったのだ、枢機卿が言っていたのは本当だったのだ、と少女を崇めます。

「悪魔の件は大丈夫です。私がみなさんを救って差し上げましょう」


民衆が帰った後、少女はまた教会の戸を閉ざしました。

そして、枢機卿の元へ走っていきます。

「枢機卿……追い返しました」

「……ええ、ありがとうございます」

枢機卿は翼が生えたあの日から、ずっと体調が優れずにいました。

「大丈夫ですか……?」

少女は心配そうに枢機卿の顔を覗き込みます。

「……大丈夫ですよ、それよりも、あなたにお願いが__」

枢機卿が言いかけたとき、ガタガタと物音がしました。

枢機卿は目を見張ります。

そこには、昨日自分の姿を見た子供がいたのです。

恐らく、戸を開けた時に入り込んだのでしょう。

「……ッ!!」

「……悪魔だ、ッまた悪魔が出た!!」

子供は街へ向かって走って行きました。

「……ああ、やはり」

『殺しておけば良かった』_。

枢機卿は、体調を心配する少女に構わず子供の後を追いかけます。懐には拳銃が。

少女は枢機卿を追いかけました。

枢機卿はふらつく足でカツカツと冷ややかな音を立てて、教会のタイルを踏んで行きました。

そして、やっと枢機卿が教会の戸を開いたとき。


枢機卿の目に映ったのは、怒りや憎しみに満ちた民衆の顔でした。

「……チッ……あの餓鬼……」

枢機卿は自身の悪行があの子供により明るみに出たと推測し、舌打ちをしました。

「悪魔め!ずっと騙していたんだな!!」

民衆の暴動は波紋のようにどんどん広がります。

「そうだそうだ!!欲と慢心に満ちた外道め!!」

「みなさん!!やめてください!神は争いを求めてなどおりません!!」

少女は必死に民衆に説きました。

ですが民衆には届きません。

「可哀想な天使様……きっとあの男に騙されているんだ!!」

「あの悪魔を捕らえろ!!死刑にするんだ!!」

民衆は枢機卿に向かっていきます。

例え銃を持っていたとしても、体調の優れない枢機卿に勝ち目はありません。

そうして、なす術もなく枢機卿は捕らえられてしまいました。

少女はとうとうこの時が来てしまったのかと深く絶望します。


 少女は枢機卿が裏で悪事を働いていたことは知っていました。

拾ってもらったあの夜、少女は枢機卿が男三人を殺すところを見たのですから。

ですが、少女が助けてもらったことも事実です。

利用するためとはいえど、しっかりと育ててくれたのは他でもない枢機卿でした。

その時、少女は気付きます。


 ああ、私が本当に信仰していたのは、神では無かったんだ。私が信仰していたのは、きっと__枢機卿だったのだと。


翌日、憎らしい程の晴天の下、枢機卿の死刑は執り行われました。

少女は一人、今から処刑されようとしている枢機卿を民衆の上から見ていました。

そして、十二時の鐘が鳴ります。

枢機卿は、もう諦めたような笑みを浮かべていました。

その笑みがとても悲しく、しかし、どこか美しくもありました。

ふと、枢機卿がこちらを見ました。

少女は、急いで枢機卿の元へ飛んでゆきます。

枢機卿は初めて会った時のように微笑み、言いました。

「……散々他人を貶めて生きてきたんです。今更許してくれと言っても、もう遅いですね。

それに、許してもらおうとも思ってはいませんし……ですが、私はもう幸せだったようです。

……最期に見る天使が、あなたで良かった」

少女は溢れる涙を拭うことも忘れ、呆然とそこに佇んでいました。

ぐい、と後ろに手を引かれ、その瞬間__枢機卿はギロチンにかけられて処刑されました。

ごとん、と重い音を立てて、籠の中に首が落ちました。

枢機卿は、最期の時まで笑っていました。

美しく哀しい笑顔で笑っていました。


「あ……ッああ……」

上手く声が出ない、何故?

いつもの声の出し方を忘れたかのように、掠れた呻き声しか口から発せられませんでした。

「……きょうそ……ッさま……」

あの時、教会に逃げたことで出会った枢機卿。

私に救いの手を差し伸べてくれた枢機卿。

私は、あなたのいない世界で、どう生きればいいのですか。

神のいなくなった世界に、天使は要らないでしょう。


ひとしきり泣いた後少女は、枢機卿の遺体を棺桶に収め、彼の身につけていたリボンを自身の髪に結びました。

棺桶を教会まで運び、日課の祈りを一度。

そして、自分を天使と崇める民衆に言い放ちます。


「私は天使なんかではありません。他人の幸せなど、考えられませんから」


【伝承より第五章 堕天】


五年間と少し、私は枢機卿と過ごした。

その中で、少しは彼の優しさに触れたと思う。

彼も根っからの悪人なわけでは無かった。

まあ欲や慢心に溺れるのは、人間の性だ。

仕方がないと思う。

けれど、街の人は違った。

聖職者という職業柄仕方ないのだろうが、完璧を求めた。

欠陥が露呈した瞬間、手のひらを返す。

……今まで助けられたところもあるというのに。

なんて、私は考えてしまう。

ほら、考え方が汚いでしょう?ひねくれている私は天使にはなれないの。私にとっての神がいない世界で、天使になんかなりたくもない。

そうでしょう?



哀れな少女は空に飛びたちました。

民衆が信じた偶像の神に祈るべく、高く高く飛びました。

どこまでも続く高い空を、堕ちるためだけに飛びました。


「……お願いします、あの人を天国へ。私は地獄でもいいのです。ただ、あの人だけは……」


少女は広い空を一人、ただひたすらに飛びました。

ずっと上を向いて、上にひたすら飛びました。

だんだんと酸素が薄くなり、手足も脳も動かなくなりました。

ぐらりと世界が逆さまになり、少女は地面に向かって堕ちて行きます。


堕ちていく間、少女は最後に見た枢機卿の笑みを思い出していました。

ああ、綺麗だった。


私はここに、あなたのおかげで生きている。

けどもう、この世界に未練はない。

会いたいです、またあなたに。

どこか違う時代、違う国、違う役で__。


激しい水飛沫の音が、薄れゆく意識の中微かに聞こえ、私は教会裏の池に堕ちたのだなと理解する。

あの時ここで水を眺めたなあとか、ここに死体を捨ててたなあなんて、今でも鮮明に思い出せる。

思い出が沢山眠っているこの池は、枢機卿がついさっきまで生きていた事を否応にも感じさせる。不意に溢れた涙が池の水に溶けてゆく。

ああ、水の中でよかったなと、私は彼のリボンを握って目を瞑った。


【伝承より最終章 安寧】


天使が消えてから、街では平穏が続きました。

光があるところに闇があり、闇があるところに光があるとはいいますが、これほどまでに説得力のある事例はないでしょう。

天使の消失と枢機卿の処刑。

同じ日に街のシンボルが二つ消えたのです。



[少女と枢機卿が言い残した言葉の記録]


少女


幸せは、案外近くにあるものなのかもしれません。


枢機卿


皆現世での幸せを願うものです。

例えそれが、空虚な偶像であったとしても。




参考文献

・〇〇國建国の伝承


 伝承『愛及屋烏』より 


〜伝承 女神の美しき羽〜 執筆者 不明


全 五〇三頁





……変な夢を見た。

自分にそっくりなやつ……というか自分が出てきて、あの神父に似た男も出てきた。

この夢が本当なら、私はあの天使ということになる。それにあの神父もあの枢機卿とやらだという事だ。

転生なんてとても信じられないが、もしかすると、と思うくらいには信憑性のある夢だった。

……気は進まないがあの神父に聞けば、分かるのだろうか。


いつも通りの学校生活を送り放課後。今日は一日中夢の事ばかりが頭に残っていて、授業どころではなかった。

私は急いで帰りの支度をし、あの神父のいる教会へと向かった。

教会のドアを開けば、案の定神父はそこにいた。

珍しく走ったせいで、未だに呼吸が整わない。

「あの……っ……伝承の枢機卿は、貴方なんですか?」

教会に着いて早々、少し単刀直入に聞きすぎたかもしれない。

焦っていて頭が回らなくなっているようだ。

いきなりそんな事を言われた神父は、呆気に取られたようにぽかんとしている。

そしてすぐ普段の表情に戻り、こう言った。

「……思い出したんですね、やっと」

神父は少し安堵したようにくすりと笑う。

「貴方は……それを知っていたんですか?」

ええ、と神父は答える。

「式典や祈りに来ない貴女を咎めなかったのは、貴女がかつて私を導いた天使であったからです」

あまりにも信じがたい言葉が、神父の口から淡々と発せられていく。

「貴女が思い出さなくても、私はいいと思っていました。あの時環境に恵まれなかった貴女が、今を幸せに生きているのなら、と。まあ、かくいう私もつい数年前に思い出したのですがね」

神父は、自分が記憶を思い出すまでのことをゆっくりと話し始めた。

「5、6年前くらいですかね。そのような夢を見ました。おそらく視点は違いますが、貴女と同じものでしょう。最初は信じられませんでしたし、当時私は医者になるつもりで大学に通っていましたから、どうしたものかと思いましたが……。この学校の神父は少し特殊で、この学校さえ出ていれば務めることが可能でした。一応事務員と同じ扱いだからでしょうね。幸いこの学校の卒業生だったので、この学校の神父として就職しました。まあ、貴女が此処に入学するなんて確信は有りませんでしたが。3年前に貴女を入学式の時見つけ、自分がした選択は正しいとやっと気づきました。あとは貴女が思い出すだけ。その状態で進展しないまま、今に至ります」

かつての私は随分と救いようが無い人間だったようで、と神父は自嘲してそう言った。そう言う彼の哀しそうな顔は、夢の中で見た枢機卿とよく似ていた。

「……違う」

何故かは分からないが、口を突いて出た言葉。

「……確かに、枢機卿は許されない事をした。でも、私は……彼の優しさを知っている」

あの顔を見て思い出した、ずっと心の奥底にあったこの記憶。

やはり私はあの天使だった。身体中に巡るように流れてくる記憶の数々。忘れてはいけない筈の記憶を、この時代で私は忘れていた。

「……彼に救われた、子供達を知っている。私も……そうだったから……」

とめどなく溢れていく涙が、ひんやりとした教会の床にぽたぽたと滴る。

「彼、いえ、私は……そんなに感謝されるべき人間では__」

「私は、貴方に出会えて良かった。貴方がいなければ私はあの時……あのまま野垂れ死んでいた」

神父は黙って、私の感謝の言葉を聞いていた。

「……ありがとう、私を生かしてくれて。私を、見捨てないでいてくれて」


__どれくらい無言の時間が経っただろうか。

二人以外誰もいない教会で、呆然として立っていた。

意図せずいきなり全てを思い出してしまった気持ち悪さとか、思いの丈を全て話してしまった恥ずかしさだとかに身体中が侵される。

少しして、どちらともなく(正確には神父からなのだが)話し始めた。

「……私は、かつて犯した罪を知ってから、自分を愛せなくなりました。私は生きていても良いのか、私に人を愛する権利があるのか……分からなかったのです」

ですが、と神父は続ける。

「……何よりも大切に思ってしまったんです。かつての私は、貴女を利用する筈が、愛してしまった。そんな貴女に感謝されたんです。もう、これ以上欲張れないじゃないですか」

そう言った神父は、今にも泣き出しそうな顔で笑っていた。

「……だいぶ丸くなったんですね、性格」

そうですね、と神父は笑う。

その瞬間、ゴーン……と最終下校を伝える鐘が鳴った。

神父は微笑み、優しい声色でこう言った。

「さあ、お帰りなさい。また明日」

はい、また明日、と言ってくるりと少女は踵を返す。


扉を閉めて教会を出る間際、少女はぼそりと呟いた。

「……明日も来ていいですか」

夕焼けに照らされ、少女の頬は赤くなっていた。

「ええ、構いませんよ」

神父の返答を聞くと、少女はうっすらと微笑み、大きな声でこう言った。

「さようなら!!」

少女が大きな声を出すとは思って居なかったのか、少し驚きながら、神父も答えてこう言った。

「……ええ、さようなら」



赤く照らされた石畳みに、楽しげに響く靴の音。

明日を見据えた少女は、夏の向日葵のように笑っていた。



__いつものように迎車を頼んでいた事を忘れて、迎えに来ていた召使いに心配されていたのはこれまた別のお話。



To be continue……


いつか続編を書きます。

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