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推し活はこっそり  作者: ちょけ丸
4/33

しばらくは

「それであいつ何て言ったと思う? 啓介は男くさすぎる、ってさ! ひどくない?!」


 百万遍を北西に少し進んだところの町家風の居酒屋で、ジョッキを掲げてくだを巻いているのは柏木だ。二回生二人は腹を抱えて笑っている。どいつもこいつも酔っている。稲原は落ち着いて日本酒を口に運び、それから、立ち上がりそうな勢いの柏木をなだめる。


「まあまあ、水でも飲んで」

「いなはいいよなあ……男くさいなんて言われないだろうなあ……」

「僕も振られたところだよ、一緒だよ」


 一転して泣きそうな声で机に突っ伏す柏木を、今度はよしよしとなでてやる。慰められるという設定だったはずだが、なぜ自分が柏木を慰めているんだろう。まあ別に全然いいのだが。


 杯を傾けながら、石田がしみじみと呟く。


「にしてもなあ、稲原が振られる日が来るなんて」

「ほんとですよね。いなさんを振るなんてすごい女性だなあ」


 木下は湯飲みを両手で持ちながら目を丸くしている。そうかしこまっていると、小柄な体格と持ち前の愛嬌が相まって、いつにも増してわんこっぽい。


「稲原の元カノ、相当美人だったよな」


 石田の言葉に、稲原は普通に頷いてから、今の反応は演技が薄かったかもしれないと反省する。


「高校の時から鬼のようにモテてたなあ」

「付き合い始めた時はどんな感じだったの? 稲原から?」

「どうだったっけ。まあ元々幼馴染だったし、お互い楽だよねってことで」


 一つも嘘は言っていない。作り話には、適度に真実を混ぜておくべきである。でも失恋したばかりという設定を踏まえたら、もう少ししおらしくしておくべきかもしれない。しゅんとして肩でも落としておく。


「親同士も仲良いし、気まずいなあ」

「本気の幼馴染なんやな」

「実家も徒歩5分くらいで、小学校から一緒だったよ」

「すげえな。それで二人とも京都に来たってのもすごい。でも別れるんだな……」

「何事もな、終わりがあるんだよ……」


 突っ伏したままの柏木が断末魔のような声を上げている。稲原は無言で、水が入ったコップを柏木の腕にくっつけて置いておく。


「そのうち吹っ切れるとは思うけど、しばらくはもう恋愛はいいな……」


 最大限憂いの表情をし、深くため息をつく。これは「失恋のショックで恋愛を避けている」という設定への布石である。そうだよな、と場がしんみりする。よしよし。


「……いな先輩は好きなタイプとかないんですか?」


 せっかくしんみりしたところに、レモンチューハイを大事そうに抱えた佐久間がぶっこんで来た。稲原はじっと佐久間を見て、


「……そういえば佐久間くん、未成年じゃなかった?」

「いやこれはレモンジュースです」


 きゅっとジョッキを隠す佐久間だが、木下がささっと佐久間のジョッキと自分の湯飲みを交換して、


「いなさんには通じないよ!」


 誰にでも聞こえる声で佐久間に耳打ちする。木下は一浪しているはずなので、飲酒しても差し支えない。ついでにうまくかわせたなあと、何食わぬ顔で稲原は日本酒を飲む。


「いな先輩の好きなタイプ聞きたい」


 しかし佐久間は諦めずに食い下がる。心なしか目が据わっている。やはりこいつ飲んでいるな、と思うが、もういいか。


「いや、これといって思いつかないなあ……」


 何せ失恋のショックが大きいので、という目で悲しそうに微笑んでみる。


「可愛い系とか美人系とか」


 佐久間は全然構わずに続ける。石田が横から、


「元カノの感じからすると美人系じゃない?」

「うーん、まあそうなのかも」


 曖昧な返事をしておく。ぼろが出そうなので、この話題は終わりにしたいのだが。


「でも元カノより美人な人ってなかなか見つからなさそう」


 石田は特に酔っぱらうふうでもなく日本酒を飲み続けている。相変わらず酒に強い男だ。稲原も全く顔色が変わらない方ではあるが。


「あの、俺、いなさんの元カノさん見たことなくて。写真とか……」


 うずうずと尋ねるのは木下だ。佐久間もうんうんと頷いている。


「嫌だったら全然いいんですけど……」


 もちろん稲原としては全く問題ないのだが、振られてショックを受けている人はどう振る舞うだろうか。たぶん、余程未練があるのでなければ、進んで写真を見せたりはしないだろう。


「ごめん、今はちょっと……」

「そうですよね、すみません」

「俺あるぞ」


 柏木がむくっと顔を起こしてスマホを探す。すぐさま出てきたのは、昨年の夏に花火大会で柏木とばったり会った時のツーショットだ。稲原も白鳥も浴衣を着ていて、白鳥は堂々たる笑みをカメラに向けている。


「うっっわ美人!」

「こんな人うちの大学にいるんだ……」


 柏木のスマホを身を乗り出して覗きこみ、木下と佐久間は口々に驚きの声を上げる。


「そんでいな先輩の浴衣姿もめっちゃイケメン……」

「美男美女や……すごいなあ」


 恐れ入ったというふうに座り直す木下と佐久間。柏木はなぜかどや顔をしたのち、再び突っ伏しながら情けない声を出す。


「このときは俺も元カノと来てたんや……」

「なぜ自ら傷をえぐりに行ったんや」


 石田が突っ込む。柏木は呻きながら、さっきから稲原が押し付けている水をごくごくと飲んだ。稲原は悲しそうな笑顔を作って、細くため息をついた。危なかった。みんなの前でイケメンとか言うのやめてほしい。照れる。死ぬ。


「まあしばらく恋愛はいいや……」


 大事なことは何回も言っておく。石田が頬をかき、


「まあ時間が経てば気も晴れるよ、そのうち。新歓忙しくなって大変だろうけど、俺らいつでも相談乗るし、気晴らししたかったら飲むとか遊ぶとかしようぜ」

「ありがとう。しばらくは新歓に集中しよ」

「新入生と何かあったりして!」


 わくわく言う木下だが、稲原は苦笑しながら予防線を張っておく。


「新歓委員長としてそれは好ましくないかな」

「あっそうか……でもいいじゃないですか」


 けらけら笑って、木下は気楽そうだ。思わず、素で微笑が浮かぶ。自分が本当に失恋したての男だったら、気楽に接してくれる後輩の存在はたぶん、嬉しい。


 柏木はまだ自分の失恋について愚痴りたそうだったが、その場は一旦お開きとなった。このことは口外してもいいか、と冷静に確認する石田には、


「隠すことでもないし、別に構わないよ」


 むしろ早めに広めてくれ、と心の中で付け足しておいた。


 皆が自分の自転車を回収しに行く中、徒歩派の稲原は何となく待って、それから各々が自分の下宿の方へと解散していった。若干よろめきながらも自転車に乗ろうとした柏木には、飲酒運転はしないようしっかり釘をさしておく。稲原も北に向かって歩き出したところ、


「いな先輩」


 推しの声に呼び止められて、なるべく平静を装って振り返った。


「あの、彼女さんと別れて、落ち込まれてると思うんですけど」


 佐久間は心なしか潤んだ瞳で稲原を見上げ、一生懸命に言葉を選びながら話す。やっぱりこいつはちょっと酔っていそうだな。稲原は少し悲しそうな表情を作って、しかし柔らかい笑みを口元に浮かべて、佐久間が話すのを聞く。


「新歓で忙しくなりますけど、ちゃんとご飯とか食べてくださいね」

「ありがとう。みんなには、迷惑をかけないようにするよ」


 佐久間は優しいなあ。こういう優しいところが推せるんだよなあ。


「気晴らししたくなったら、あの、けーすけさんとか石田さんもそうですし、おれとか木下も誘ってくれたら」

「……ありがとう」


 でもたぶん、稲原からは誘わない。ぼろが出ないこと、それが一番大事だからだ。


 夜の百万遍は飲み屋から出ていい気分で家路につく人がちらちらいるくらいで、車もそれほど通っていなくて、昼間と比べるととても静かだ。


「あの、元気出してくださいねっ」


 そう言って、佐久間は不器用に笑った。普段は太陽のように笑うこの青年の、その珍しい表情が嬉しくて、愛おしかった。騙しているんだけどなあと胸が痛む。稲原の顔に浮かんだのは、意外にもいつも通りの優雅な微笑みだった。


「ありがとう。佐久間くんも、気をつけて帰って、ゆっくり休んでね」

「ありがとうございますっ」


 ぺこっと頭を下げて、佐久間も踵を返した。元気に去っていく後姿を見送って、自分も北に向かって歩き出す。


 はあ。


 尊い。


 声にならないため息は、春の夜の風に消えていく。

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