発表
――今日、来てるみんなに言おうと思うんだけど、どうかな。
夕方に丸岡からこっそり来ていたメッセージを、稲原は思い出す。いいと思う、でも無理はしないでね、と稲原は返事したのだった。
春に稲原が白鳥との恋人設定を解消してから、丸岡は結局今までサークルの誰にも白鳥とのことを言っていない。白鳥がじれったく思っているのも、同時に無理強いはできないし丸岡の気持ちを大事にしたいと思っているのも、稲原は理解している。
稲原としても、丸岡の心の準備ができていそうであれば、なるべく自然に言えるようにサポートしたい。
「どうしたら吹っ切れるのかなあ」
酔いが回ってきた柏木は、春以降必ずと言っていいほど別れた彼女の話になる。石田はよしよしと面倒くさそうに慰めつつ、
「合コンでも行ったら?」
「合コンかあ……いな、一緒に行かん?」
がたいはでかいが時として気の小さい男である。稲原はひらひらと手を振る。
「僕は行かない」
「じゃあ俺も行かない」
「稲原が行ったら全てを持っていかれそう」
石田が言って、みんなが笑う。稲原も一応笑ったが、考えただけでげんなりする。ちらりと丸岡を見ると、黙ってコップの水面を見ている。
「丸岡さんは」
稲原はわざとらしく振ってみる。
「新しい恋をする秘訣とか、どう思われますか?」
丸岡はきっと稲原を睨む。言いたいということだからパスを送っているのに。面白くなってきて、稲原はにやりと笑う。横から佐藤が、
「え、何? まるちゃん何かあるの?」
普段と違う丸岡の様子に目を輝かせる。丸岡は何か言いかけ、それからむっとした表情で、
「わたしにはちょっと分かりかねます」
わざとらしく返した。稲原はすっとスマホを構え、おもむろにカメラのシャッターを切る。
「ちょ、何で写真を撮った」
慌てる丸岡に、稲原はメッセージアプリを開きながら、
「いやだって撮れと」
「送るな!」
「え、なになにこの展開」
柏木が面白そうに身を乗り出す。稲原はスマホを下ろし、ちらりと丸岡に目線を送る。言わなくていいの?
丸岡がぐぬぬと座り直す。ひと呼吸おいて、おもむろに手を挙げる。
「言います」
おお、と場がどよめく。間があって、丸岡は、挙げた手をすっと下ろす。
「やっぱりやめます」
「いやそれはないでしょ!! まるちゃん!! なになに聞きたい!!」
「女性部屋戻ります? 女性部屋で聞きましょうか?」
立石と佐藤が両側から丸岡を揺する。面白くて稲原はもう一度写真を撮る。ぽちぽち。
「待て、送ろうとするな」
「もう送ったよ」
稲原がとても楽しそうに笑って、丸岡ががっくりとうなだれる。柏木が二人を見比べ、
「なに、丸岡の彼氏と稲原が知り合いとか?」
「彼氏じゃない」
丸岡が言い、みんなの頭に疑問符が浮かぶ。稲原は帰ってきたメッセージを見てまた笑う。
「『有能』だって」
「もうやめて」
うなだれる丸岡に稲原は笑う。あれ、と立石が口元を押さえて、
「もしかして……まるさん、あの、前すれ違った……」
探り探り尋ねると、丸岡はうなだれたままこくこくと頷いた。佐藤が今度は立石を揺する。
「えーなに見たの!! 聞きたい!!」
「えっ……言ってもいいですか?」
丸岡はこくこくと頷く。耳まで赤い。
「すごい美人の……髪ふわふわで、スタイル良くて、めちゃくちゃ美人の方が、まるさんにべたべたしながら歩いてたの見たんです」
立石は自分の頬を両手で押さえながら言った。よほど印象的だったらしく、美人と二回も言っている。稲原はこらえきれず大笑いした。人目のあるところでもべたべたしているなんて白鳥らしい。
「まじで! ええっ、まるちゃん、写真とかないの、写真っ」
「僕あるよ、見せようか」
「やめい」
「ええ見たい」
稲原はスマホをたぐって適当な写真を探す。これならいいかというものを見繕って丸岡にちらっと視線を送ると、すごい勢いでスマホを奪われ、そっと返される。返されたということは、いいということだ。稲原のスマホを覗きこんだ一同はどよめいた。
「うわーほんまの美人!」
「えーめっちゃ素敵じゃないですかこの写真も」
六月の休日に三人で三室戸寺に行った時の写真だ。紫陽花を背に、傘をさした丸岡と白鳥が並んでいる。照れくさそうな丸岡と、堂々たる笑みを浮かべる白鳥。二人らしい写真で、シャッターを切った稲原も気に入っている。
「え、ていうかこの人……」
柏木と石田が顔を見合わせる。
「稲原の元カノだよね?」
「そうだよ」
こともなげに稲原は答える。丸岡が発表したので、もう引きずっている設定は終わりにしておこう。柏木と石田は混乱ぎみだ。
「えっ……いな、だいぶ落ち込んでなかった?」
「まあ最初は落ち込んだけどね。なんだかんだ大事な幼馴染だし、二人が幸せそうなのは僕も幸せだよ」
二人が幸せそう、と強調すると、丸岡はぐぬぬと顔をしかめる。同期の前で丸岡の恋愛話になるのは、大学入学以来これが初めてのはずだ。耐えかねたように、丸岡はいつの間にか抱えていた稲原の枕にぼすんと顔をうずめた。
「えっとでも……つまり彼女は最初から……そういう……?」
大混乱の柏木が、稲原と丸岡を見比べながら口をぱくぱくしている。涼しい顔で日本酒をあおりながら、
「そういうことは僕の口からは言えない」
アウティングはしないよということなのだが、伝わるかどうか。有無を言わさず稲原がにっこり笑うので、柏木はそれ以上突っ込めない。
「そうかーそうだったのか……で、いつからなの?」
佐藤と立石は早くも恋愛トークのモードになっているようだ。少なくとも彼女たちには、ほとんどストレスなく受け入れられたようで、稲原もほっとする。
稲原はほっとしているが、そんなに直ちに詳しい事情聴取が始まるとは思っていなかった丸岡は、口をもごもごさせている。すぐに佐藤がすっくと立ち上がり、
「よし、じゃあ続きは女子部屋で聞こう! ね、はるちゃん」
「そうしましょう! おやすみなさい!」
立石と一緒に満面の笑みで丸岡を引っ張って、嵐のように男性部屋から去っていった。稲原は心の中でグッドラックと親指を立てる。
残された男性陣はしばし無言になった。石田が日本酒をごくりと飲んで、
「いやーびっくりしたなあ」
しみじみと言う。柏木も頷く。
「そんなに驚くことかなあ」
稲原はなんでもないように言いながら、布団を広げ直す。広げた布団の上でくつろいで酒を飲むと、寝酒をしているような背徳感がある。というかこれが寝酒そのものなのだろうか。
「ていうか、いなは本当に大丈夫なんか? 無理してない?」
気遣わしげに柏木が尋ねてくる。引きずっていた設定との整合性は悩ましいところだが、もういいだろう。稲原は爽やかな笑みを、吹っ切れたというような演技を込めて、浮かべる。
「まあ本人が自分らしく幸せでいられるのが一番だしね」
「……いな先輩はすごいなあ」
ずっと静かだった佐久間が、広げ直した布団に腹ばいになって、ぼそりと呟いた。
「丸岡もなんだかんだ幸せそうだしね」
無事に発表できたので、稲原もなんだか肩の荷がひとつ降りたような思いだ。だがこれ以上の話になったら怖い。伸びをして、鞄から歯ブラシを取り出して立ち上がる。
「僕はそろそろ寝ようかな」
「ああ、もう寝ようか。明日も運転するしな」
柏木もあくびをして、立ち上がる。男性陣が順番に歯磨きをしているところ、佐藤が扉を叩いて、残っていた日本酒を回収していった。隣の部屋の夜は長いらしい。どことなく微笑ましく思いながら、稲原は布団に入る。石田が電気を消す。
「おやすみー」
「おやすみなさーい」
白浜の夜は更ける。