楽しい白浜旅行(1日目)
アスファルトに照りつける日差しが眩しい。まだ9時前だというのに、すでにじりじりと地面が熱を帯びている。
稲原はたった今買ったコンビニのアイスコーヒーを一口飲んで、空を見上げた。呆れるほど青い空だ。底抜けに、夏だ。
サービスエリアには既にぼちぼちの数の車が止まっている。稲原たちと同じように、連れ立って遊びに出かけている大学生のような姿も多い。
稲原の隣に柏木がやってきて伸びをする。
「けーすけ、次運転代わろうか?」
「お、じゃあお願いしようかな」
鍵を受け取り、車に戻る。七人乗りの大きめの車を運転するのは久しぶりかもしれない。運転席に座ってシートベルトを締めていると、他の皆も戻ってきた。
一番後ろに柏木と石田、真ん中の三席に佐藤と丸岡と立石、助手席に、
「いな先輩、運転席に座ってるのもかっこいい~」
コンビニコーヒーをすすりながら楽しそうな佐久間である。かっこいいとか気軽に言わないでほしい。照れる。死ぬ。
丸岡がにやりと笑うのをバックミラーごしに見て渋い顔をしつつ、稲原は車を発進させる。
目的地まではあと一時間半ほどだ。青い空が清々しくてとても気持ちが良い。外は暑そうだが、クーラーの効いた車の中は快適である。
立石が車とスマホを繋いで音楽を流している。稲原は最近自分から進んでポップスを聞いていないので、今これが流行っているなどと説明されてへえとかそうなんだとか言いつつ、気分よく車を走らせる。
「あーこれめっちゃ好き、歌詞が切ない」
さっきから歌える曲を全部歌っている佐久間が、新しく流れた曲もノリノリで歌い始める。立石と柏木も一緒になって歌っている。賑やかな車中で楽しいことだ。切ないと言った割に誰の声もあまり切なそうではない。
「稲原は普段なに聴いてるの」
切ないらしい曲の余韻に浸る佐久間の後ろで、佐藤が尋ねる。稲原はうーんと考え、
「えー何だろう……でもクラシックばっかりかも」
「それっぽーい」
「何聴かれてるんですか、ピアノとかですか?」
立石も乗っかる。
「ピアノもだし、オケもたまに」
混んでいない高速道路はつい飛ばしたくなるもので、少し遅い車がいると助手席の佐久間が飛ばせ飛ばせーと煽るが、稲原は一般常識の範疇で運転を続ける。
シートに背中を預けてコーヒーをすすり、佐久間は感心したように、
「いな先輩は真面目だなあ」
「煽らないでよ」
苦笑しながら稲原は返す。後ろではよく聴く曲の話で盛り上がっているようだ。
楽しく運転していたら一時間半はすぐで、高速を降り、市街地を少し走って、ヤシの木のような背の高い街路樹に南国感を覚えたりしつつ、今日最初の目的地にたどり着いた。
食事もできて土産物も色々と選べる、市場と名のついた大きな施設だ。
「海鮮だー!」
「海鮮だー!!」
大喜びで走っていく佐久間と立石に続き、三回生たちも建物に入っていく。とはいえお昼時には少し早く、土産物コーナーを眺め、水槽を泳ぐ鮮魚を眺め、ひとしきり館内を練り歩いてから、食事エリアに腰を落ち着けた。
フードコートのようになっているそのエリアは、色々なお店から各々好きなものを買ってきて持ち寄る形だ。
「うひゃー美味しそう」
豪華な海鮮丼を前に、佐藤が目を輝かせる。稲原も色々な種類の刺身がふんだんに盛り付けられた海鮮丼を選んだ。つやつやの刺身に心が躍る。みんな揃って、手を合わせる。
「いただきまーす」
「うひゃー美味しい!」
頬を押さえてうっとりと佐藤が言う。横で丸岡も幸せそうな顔をしている。亜衣の写真、とせがむ白鳥の顔が浮かんだので、稲原は海鮮丼を撮るふりをして丸岡の写真も撮っておく。
それから自分も海鮮丼に手をつける。つやつやの刺身は、口に入れれば甘くかつさっぱりした旨味の溢れる脂を放ち、大変幸せな感覚をもたらしてくれる。
「夏休み最高だな~」
とろけるような表情で海鮮丼を頬張る佐久間の横で、寿司を選んだ石田もお茶を片手にぱくぱくと食べている。
欲張って海鮮丼と寿司の両方を買った柏木と、海鮮丼だけにしたが元々小食の立石は、食べ進めるにつれだんだんペースが落ちてくる。
「買いすぎた……でもうまい……」
「私もちょっと欲張りました……」
「お、食べきれなかったらもらうで!」
自分の分をぺろりと食べきった佐久間が言うので、立石は自分のどんぶりを佐久間から遠ざける。
「食べきるもん!」
「無理しなくていいんやでー」
仲が良さそうな二人の様子に稲原は目を細める。
美味しいものを食べて満腹になり、今のうちにお土産を買っておいて、一行は市場を後にした。今度は石田が運転席に座る。
一番後ろのシートで柏木の隣に座りながら、稲原はぬるくなったアイスコーヒーを飲み干す。助手席にいる佐久間との距離が開いてほっとする。後ろからこっそり眺めているくらいが、自分の推し活としてはちょうどよい。
短いドライブののちたどり着いたのは、太平洋を臨む断崖絶壁の観光地である。潮吹き岩で有名な洞窟に潜っていけば、暗い洞窟に轟音を立てて流れ込む波を間近に見ることができる。しぶきを若干浴びつつ、わーとかすごーいとか言ったり写真を撮ったりした。
立石は首から下げたデジタル一眼レフが濡れないように注意しつつ、潮吹き岩のところで垂直にしぶきが上がる瞬間を撮ろうと頑張っている。
「いいカメラじゃん」
一歩下がって眼鏡を拭きながら、石田が立石に話しかける。立石は自慢げに、
「ちょっと奮発して買いました、めっちゃいいですよ」
「いいなあ、俺も買おうかなあ」
「買ったらいいと思いますよ! お出かけが楽しくなります」
微笑んで、立石はまたカメラを構える。
地上に戻って、今度は断崖絶壁を見渡せる展望台に上がる。水平線が広い。絶壁に当たって砕ける波が豪快だ。はしゃいでお互い写真を撮り合うみんなをよそに、稲原は引きつった顔をして、なかなか前に進もうとしない。
「いな、こっち眺めいいぞ!」
柏木が呼びかけても、稲原は引きつった顔のまま首を振る。柏木が引っ張って行こうとするので、稲原は悲鳴のような声を上げて抵抗する。
「僕はいい! 遠くで見てるから!」
「なんだ、いな、高所恐怖症?」
「いいから行ってきなよ! やめて、引っ張らないで」
情けない声を出す稲原の珍しい姿に、みんな笑う。丸岡がスマホでぱしゃぱしゃ写真を撮る。便乗して佐久間も写真を撮る。そのみんなの様子を、引いたアングルで立石が撮る。
「…………」
たった今撮った写真を確認しながら、口元は微笑んだまま、立石は密かに切ない顔をする。
南国の真夏の日差しは強い。散策しているうちに暑くてたまらなくなったので、一行は車に戻ってきた。いい時間なので、チェックインするために一旦宿に向かう。
男性部屋で荷物を下ろして、石田は早速お茶を入れた。石田が入れたお茶を飲みながら、佐久間は早速お菓子に手をつける。石田は佐藤とメッセージをやり取りして次の予定について話しているようだ。
「温泉行くよな? まあ、メシ後に宿でも入れるけど」
「行こうぜ行こうぜ。外湯があるんだよな」
「ある、浜辺が見えるらしい」
「めっちゃいいじゃないですか」
はしゃぐ三人を横目に、荷物の整理をするふりをして、稲原はこっそりため息をついた。
温泉は苦手だ。自分の裸を見ず知らずの人に見られるのも嫌だし、自分だけが変な思いをするのを隠しているのも気疲れする。まして今回は推しが一緒だ。なるべく離れて行動しよう。
一息ついて女性陣と合流し、そんなに遠くなさそうなので歩いて温泉に向かう。
脱衣所に入ると、稲原は不自然でない程度にいち早く服を脱いで、お先、と言いながらさっさと進んだ。炎天下で観光をして汗をかいたので、体を洗い流すだけでも気持ちがいい。不自然でない程度にひとりでさっさと湯船に浸かり、ほっと息をつく。
「うわーい温泉だあ」
果たして、楽しそうな佐久間が隣にざぶんと入ってきた。なるべくそちらを見ないようにしながら、稲原も気持ちよく体を伸ばす。不自然ではないように。
「気持ちいいねえ」
「ほんまに砂浜が見えるなあ」
柏木もやってきて湯船に入る。窓の近くで湯船に浸かる石田に、佐久間も寄っていって、
「うわーいい眺め!」
嬉しそうに外を眺める、その背中に思わず見惚れてしまって、稲原はすっと視線を外に逸らす。日が傾いて、砂浜は真昼とはまた違う表情を見せている。泳いでいる人もまだたくさんいるようだ。
「水着持って来れば良かったな~」
砂浜を眺めて残念そうに佐久間が言う。稲原は一瞬、佐久間の水着姿を想像して、やめる。赤くなりそうな頬を手で覆う。やっぱり温泉は苦手だ。湯船に浸かること自体は気持ちが良いのだが。
温泉を出て女性陣と合流し、宿に戻る。夕食は宿で、学生にも手が届くプランの御膳だ。新鮮な海鮮がふんだんに使われている料理はやはり頬っぺたが落ちるほど美味しい。
今日はもう運転することもないので、飲みたい人は飲みながらの食事である。
「やっぱりうまい海鮮にはうまい酒を合わせるべきだ」
瓶ビールから小さいコップに手酌で注ぎ入れながら、石田が上機嫌に言う。
「本当にね」
稲原も完全に同意する。うまい海鮮とうまい酒、この組み合わせはこの世の真理のひとつである。一方、コップ一杯のビールでもう満足そうな立石は、お茶を飲みながら海鮮を楽しんでいる。
「日本酒を飲みたくはありませんか?」
なぜか翻訳のような台詞を丸岡が言って、立石以外の一同が大きく頷いた。佐藤がどや顔で、
「買ってあるよ、なんか美味しそうな日本酒とおつまみを、昼行った市場で」
「天才なのではありませんか?」
「天才なのよ」
「この後男性部屋で宴会でいいか?」
柏木が言うのにみんな頷いて、美味しい御膳の続きを楽しんだ。立石が撮った写真をみんなで見たり、三段壁の怪談話で盛り上がったり、話はあちこち進んで弾む。
夕食を終えて部屋に戻ると、和室に布団が敷いてあった。一番奥の布団に倒れ込んだ佐久間が嬉しそうに、
「メシ食って戻ったら布団敷いてあるの、めっちゃ旅行って感じですよね~」
「わかる」
入口側の端っこの布団に陣取った石田も同意する。稲原は瞬時に考える。佐久間と隣の布団になるのはそわそわするので避けたい。だが考えている間に柏木が石田の隣に寝転がったので、しょうがなかった。
「女性陣来るなら一回畳む?」
冷静に促し、掛布団ごとばっと半分に畳んでスペースを確保する。畳に座ってくつろぐのもいいものだ。
ほどなく女性陣がやってきた。佐藤はとても嬉しそうに日本酒の瓶を抱えている。
改めて乾杯する。立石は丸岡の日本酒を少しだけもらい、あとは麦茶を飲むことにしたようだ。
つまみも美味しく、会話も盛り上がる中、丸岡は少し緊張した様子である。
佐久間がノリノリで歌っている歌詞が切ない曲は、髭男の『Pretender』を想像してください。