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 竹志(たけし)の右の膝頭に、少女の小さなお尻が乗っていた。彼女は、丈の短いワンピースの裾も気にせず、白い素足を左右に放り出し、跳び箱のようにそこへまたがっている。その、いささか不確かな姿勢を安定させるためか、小さな両手は竹志の腿に置いてあった。

 少女が乗っている部分にほのかな熱を覚え、本来であれば触れてはならない身体の部位が、わずか二枚の布を隔ててあるのだと、竹志は頭の片隅で意識する。

 少女は膝の上から竹志を見上げ、意を決したようにぎゅっと目を閉じた。彼女が求めているものは明白だった。あとは全て、竹志の決断にゆだねられていた。


 このような事態に至る端緒は、ゴールデンウィーク初日の朝にあった。

「ふざけてると思わない?」

 早朝に竹志のアパートを訪れた姉の梅子(うめこ)は、台所に立って手際よく朝食をこしらえながら、そう言った。

 まったく、その通りだ――と、竹志は内心で同意する。

 突然押しかけてきて、昼過ぎまで惰眠をむさぼると言う彼の計画を台無しにしておきながら、わびの一つもないとは確かにふざけているとしか思えない。

「ゴールデンウィークが明けたらすぐに使いたいからって、ゴールデンウィークの直前に言ったら、それはもう確信犯でしょ?」

 ポテサラに茹でたソーセージ、スクランブルエッグをまとめて盛りつけた皿が、テーブルの上に三つならぶ。コーヒーのカップが二つ、ミルクのカップが一つ。そして、なぜかカレー皿に盛られたモーニングロール。たぶん、丁度良い器が無かったのだろう。

「まあ、そう言うことだろうね」

 竹志は適当に相槌を打ってから、朝食に手を伸ばす。そして右斜の席に目を向ける。なにやら緊張した面持ちの少女が、そこにいる。

「時に姉者(あねじゃ)

 竹志は言う。

「どうした弟者(おとじゃ)

 向かいの席に腰かけた、姉が応じる。

 この、古いネットスラングによる受け答えは、畏まったり気まずい状況を避けたいときに交わされる、彼ら姉弟の間における合図のようなものだった。

「このロリは?」

「姉の娘をロリとか言うな」

 梅子は、フォークで突き刺したソーセージを口に運びながら、眉間に皺を寄せて言った。

 竹志は少女に目を向ける。

「それじゃあ、やっぱり小梅(うめこ)ちゃんか」

 少女はこくりとうなずいた。

 竹志が最後に彼女と会ったのは、もう五年ほど前になる。当時の小梅は五歳だったから、今は九歳か十歳くらいの計算だ。

「美人さんになったなあ」

「『お母さんに似て』を忘れてる」

 梅子は指摘した。

 竹志はそれを無視した。

「覚えてる?」

 竹志が尋ねると、小梅は硬い表情でうなずいた。

「竹志おじさん」

 正直なところ、竹志はこの幼い姪の答えを、信用ならないと考えていた。おそらく彼女は、母親から事前に告げられていたのだろう。「これから竹志おじさんの家に行くよ」とか、なんとか。なにより前回にまみえた折は、うつろいやすい子供の記憶に、五年もとどまっていられるような印象を、彼女に与えた覚えがない。せいぜい、五百円ほどの小遣いを渡した程度だ。

 それでも、

「ちゃんと覚えてくれてたんだ。ありがとう」

 と言うだけの礼儀を、欠いてはならない。

 すると小梅は、もう一度うなずき、続ける。

「だって、パンツ見られたし」

 テーブルの向こうから伸びた手が、竹志の襟首をつかんだ。

「時に落ち着け、姉者。誤解だ」

「問答無用」

 梅子は右拳を引き絞った。

 身の危険に際して、竹志の記憶が蘇った。

 それは、梅子と小梅の母子が、今の住居に引っ越してきた時のことだ。家具の搬入などに手伝いとして駆り出された竹志は、一仕事を終えシャワーを借りようとしていた。脱衣所で、汗まみれの服を抜いでいる時――

「見せてきたのは小梅ちゃんだぞ」

 竹志が急いで言うと、梅子は動きを止め、娘に目を向けた。

 小梅はうなずいた。

「おじさんが、着替えてるところを見ちゃったの。だから、代わりに自分のパンツを見せなきゃって思って」

 梅子はため息を落とし、弟の襟首から手を離した。

「あのね、小梅。女の子のパンツは、野郎のパンツより価値が上なの」

「そうなの?」

「そうよ。だから、あなたのパンツと愚弟のパンツじゃ、等価交換が成り立たないわ」

 人にもよると思うが――などと余計な口を挟むほど、竹志は間抜けではなかった。

「と言うわけで」

 梅子は娘に向かって、人差し指を立てて言った。

「今日のお昼ご飯は、せいぜい高いものをねだって、損した分を取り返すのよ」

「わかった」

 小梅は生真面目にうなずいた。

 もちろん竹志にしても、可愛い姪っ子に、ご馳走するのはやぶさかでもない。が、梅子の言いようは、あることを示唆していた。

「それはつまり、急な休日出勤で小梅ちゃんの預け先に困ってるから、俺に面倒を見ろと言うことか?」

「愚弟にしては、察しがいいわね」

 察するもなにも。幼いころから横暴な姉に鍛えられてきた竹志にしてみれば、それは得ていて当然のスキルである。もちろん、逆らっても無駄だと言うことも、とっくに承知している。

「晩飯は寿司がいいな」

 せめてもの反撃だった。

 梅子は渋い顔をするが、「三Kまでなら」と折れた。

 回転寿司で三千円なら、十分すぎる予算である。せいぜい、腹いっぱい食い倒してやろう――と、竹志は心に決めた。

「小梅も、それでいい?」

 母親に聞かれ、小梅は表情を崩した。

「くりや寿司がいい!」

 五皿に一回、ガチャが引けることで有名な回転寿司チェーンの名前だった。確かに、子供うけの良いシステムだ。

「じゃあ、決まり。仕事が引けたら連絡するわ」

 梅子は言って、急いで朝食を平らげてから、仕事へと向かった。

 年の離れた姪っ子と二人きり。竹志は、なかなかに気まずい思いを味わいながら、ともかく朝食をやっつける。しかし、それはおそらく小梅も同様に違いなかった。やはり、いくら親戚とは言え、ほとんど見識のないアラサーのオッサンと、一日を共に過ごさなければならないのだから、これを愉快な状況であると受け取っているはずもない。

 その証拠は、彼女の表情にありありと現れていた。寿司の件で機嫌が戻ったのも束の間、小梅はもたもたと食事を口へ運びながら、時折眉間に皺を寄せている。今日と言う日を平穏にすごすためには、今すぐ何かしらの手を打つべきだと、竹志はすぐに思い至った。

「ごはんが終わったら、テレビもゲームも好きに使ってくれていいからね」

 そう言うと、小梅は素早くテレビの方へ目を向けた。そこには有名どころのゲーム機が、三機種ほど棚に並んで鎮座している。小梅は目を真ん丸に見開いて叔父を見た。咀嚼が止まっていた。

「もちろん、一時間までみたいな制限はなしで」と言ってから、竹志は付け加える。「ただし、姉さんには内緒にしといてくれると助かる」

 梅子に知られれば、過度に姪っ子を甘やかしたと、理不尽な小言をぶつけられるであろうことは容易に想像ができた。予防線を張るのは、当然のことであった。

 ともかく小梅は、口の中の物をすっかり飲み込んでから、笑顔になってこう言った。

「ありがとう」

 竹志は自分の機転を自画自賛しながら、テレビの前のソファーに腰を降ろす。ゲームの占有権は小梅に与えてしまったから、他の暇つぶしが必要だった。幸い、かたわらには読みかけのページを残す文庫本があった。竹志はそれを手に取り、ページを開いた。

 やや遅れて食事を終えた小梅は、食器を流し場に片付けてから、さっそくやってきてコントローラを手に取った。竹志はアカウントの登録など、少しばかり手を貸した後は、もう小梅の好きに任せる。これ以上の大人の干渉は、むしろうざったいばかりで、子供にとっては有難迷惑であることを、彼は理解していた。

 ところが、いざソフトが起動すると、小梅は竹志の隣にちょこんと腰を降ろした。ソファーは二人掛けだが、それほど大きなものではない。当然、距離は近くなる。

 普通、この年頃の女の子は、異性の大人に対して、いくらかの忌避感を持つものである。いわゆる、「お父さんのパンツと一緒に洗濯しないで!」なる要求も、そのような少女の心理を表すものであった。ひょっとして、この可愛らしい姪っ子は、叔父に対していくらかの好意を覚えてくれているのだろうか。

 否やと竹志は即座に否定する。おそらく小梅が必要としているのは、この適度な硬さのある座り心地の良いソファーなのだ。むしろ竹志は、余計な付属品でしかない。そうとなれば、姪っ子がよりゲームを楽しめるように、邪魔っけな叔父はソファーを譲るべきではなかろうか。

 竹志は再び、自分の思い付きを否定した。一見、親切のように思える行動だが、これは悪手である。例えば電車で、自分が座った席の隣の人が、すぐに立ち上がってどこかへ行ってしまったとしよう。当然、自分に不届きな点があったのではないかと、勘ぐってしまう。つまり、幼い少女が自身を否定するような考えに至らないよう、気付かぬふりをして黙って座っているのが正解なのだ。

 そんなわけで竹志は、少女の体温と、馴染みのない柔軟剤やシャンプーの香りに耐えながら、置物のように身じろぎもせず、姪っ子の隣に座り続けるのだった。

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