歯車の咬ませ方
辛い思いや体験は誰かに吐露することで軽減され良い方向に向かう事がある、という妹のアドバイスに縋らざるを得ない俺は、なんと精神が脆弱になったものだろう。
俺の八年の処世術を否定されかねない事案に、どうしていいか分からなくなってしまった。
これからの指針を決めようにも、どうしても苦しさが思考に靄をかける。
というわけで今からそのみゆきちゃんアドバイスを遂行すべく、自慢のミニベロで「スーパーよしむら」に向かっていた。
待ち合わせ時間は十五時。
勿論相手は先程通話を交わした生徒会長だ。
どうやらそこでまたしても買い物をしているらしく、近くまで来たのでついでに俺に話したいことがあるらしい。
何となくは想像がつくな。
直接由宇に聞けない昨日の出来事を俺から聞こうってことだろう。
駐輪場につき、しっかりとツーロックをした俺は、約束のスーパー入口まで歩く。
そういえば前回言っていた、ここにしか売ってない物を今日こそ聞いてみるとしよう。
近づいていくと、入口のすぐ傍のベンチに座っているのが見えた。
「やあやあ春枝君。お疲れ様」
黒川はベンチの空いている部分を指差している。座れってことね。
「おっす」
横にビニール袋が置いてあり、それを黒川と挟むような形で座った。
「ごめんねー、呼び出しちゃって」
「いいよ、俺も生徒会長に話したいことがあったから」
「ほほう、もしかして私に愛の告白とか?」
「んなっ!」
訳あるか!! ちょっと顔熱くなっちまった。
とてもそんなメンタルじゃねえっつーに……。
「あはは。分かってる分かってる、どうせ由宇の事でしょ?」
「まあ、そんなところだ」
「でもその前に私の話が先。いいー?」
黒川はビニールからサイダーの缶を取り出し俺に差し出す。
「ありがとう、どうぞそちらから」
「んーと……どう言ったらいいかなあ」
ビニールから今度は粒々オレンジジュースを取り出した黒川は、すぐにそれを開けた。
「これ、おいしいのよね」
「へえ、つぶつぶとか懐かしい……今日日みないな」
「でしょ?」
頭を少し後ろに傾けて飲む黒川の髪が、少しある風で優しく舞っている。
「飲んでみる?」
唐突な黒川の提案に、
「え!? いやしょ、それはちょっと、いくらなんでもいや飲みたいけど悪いというか」
無邪気に男を揺さぶるなよ……噛んじまったし。
「あははは、私は気にしないのにー」
そういって再びオレンジを一口飲む黒川。
優しい風が、どこか遠くの木々を揺らす音が聞こえる。
併設の駐車場に車が入ってきた。
中から男女が降り、入口に入っていく。
自動ドアの動く稼働音と、入店の電子音が聞こえた。
「春枝君はさ」
横目で見ると黒川は顔を曇らせながら遠くを見ていた。
「由宇のこと、どう思う?」
漠然とした質問が飛んできた。
どう答えればいいか考えていると、
「率直に、素直に、思った事をそのまま言って」
「そのまま……」
オレンジジュースを握る手に力が入っているように見える。なんでだよ。
「初めてあった時は、お人形さんみたいに綺麗で、それでいて冷徹な印象だったかな。現に少し怖かったよ。でも昨日、由宇に会って、しっかりと話をした。黒川も多分もう知ってるかなとは思うんだけど、昔俺らは会っていて、俺の知らないその後の話も聞いた」
「で、今はどう思うの?」
「今は……」
確信ではないが、やはりこれはそうではない。
俺の求めていた答えではない。そう思う。
「今は、由宇の事は懐かしさと、申し訳なさを感じているよ」
「懐かしさと申し訳なさ? それだけ?」
「んー、他にも細かい思いはあるけど、メインはその二つかな。この年になるまで忘れることはなかった出来事の中心人物だし」
「本当にそれだけ?」
「だと思う」
「好きだなーとか、一緒に居たいなーとか思ったりは?」
「なんだよそれ」
「真剣に答えて!」
いつの間にかこちらを凝視していた黒川が少し声を大きくした。
「そういわれてもなあ……確かに会いたいなと思ったけど、それは俺のポリシーが由来だろうし……」
「由宇に恋してるって感じは本当にないの?」
「だからさあ」
その感覚が分かってたらあんな恥ずかしい依頼なんかしてないって。
「逆に聞くけどさ……恋ってのは、実際に経験するとそれが恋だとすぐに自覚できるものなのか? 黒川はどうなんだよ、恋したことがあるのかよ」
「うん、あるよ」
え。
「説明は出来ないけど、それは恋、ってのはハッキリわかる。自覚できるよ」
マジかよ……。
「だとしたらやっぱり俺は恋なんてしたことがないよ。自覚したことはないし」
「そっかそっか、良かったー!」
突然笑顔になり、残りのオレンジジュースを一気に飲み干す黒川。
「春枝君が由宇の事好きになっちゃったらどうしようかなって思ってた」
「なんで?」
「秘密」
黒川は両足を交互にパタパタさせていた。
どういうことだよ。俺が例えば由宇に恋したら黒川が何か困るのか?
それって黒川さん。どういった深い意味が……。
もしかして俺にそっぽ向いて欲しくなかったとか?
とか考えてたら心拍数が上がってきた。
「いやいや、杞憂で済んで良かったー、ってもまだ分からないけど。今はとりあえず大丈夫よね」
「杞憂?」
「あー、こっちの話」
そういって俗にいうテヘぺロをする黒川。なんだこれ超絶可愛いな。
じゃなくてさ。おい騙されるな。
俺の話を滞る事なく聞いていたという事は、やはり黒川は全て知っていたという事だ。
俺の過去の過ちも含めて。
それでいて、全てを知った俺が昔の中心人物である由宇に恋をしなかったことで、それは杞憂で済んだ……ということは。
黒川は俺が由宇に恋をすることを恐れていた?
どうしてだ?
漠然とした不明瞭を生みだした俺は、同時に高鳴っていくのも感じていた。
――それは恋、ってのはハッキリわかる。自覚できるよ。
反芻する黒川の言葉。
「黒川は、今現在、誰かに恋をしているのか?」
聞いた黒川はゆっくりと笑顔が消えて行った。
「うん」




