みゆき
カーテンの隙間から差し込む日光が目蓋を突き抜けて目に刺さり、惰眠からリアルワールドに引き擦り出してくれた。
惰眠と言ったのも、もうすでに正午を回っていたからである。
土日の無駄遣い、学生あるまじきこの行為は帰宅部の特権でもあり友達の居ない者の宿命でもある。
いや、友達は最近できたんですけどね。凄い子が。
睡眠とは何とも素晴らしいもので、昨日感じていたどうしようもない胸の苦しさが、起きてみればあら不思議、幾分か軽減されているではないか。
後悔の念が消えたわけではないけれども、あらゆる意味で自分をリセットするためにも必要な本能であると再確認したところで、俺はリビングに降りることにした。
「あ、兄ちゃんおはよう」
声を掛けてきた妹のみゆきの方を見ると、テーブルに雑誌を置いて読んでいた。
今日は剣道部休みなのね。
「おはようさん」
冷蔵庫まで行き、パックで作った麦茶を取り出す。
食器棚から俺用の黒いマグカップも取り、妹とは向かいの椅子に座った。
麦茶を注ぎながらちらりと雑誌に目をやると、それは母親が良く見ている料理本だった。
嘘でしょどうしたのみゆきちゃん料理なんかしないじゃない!
まさか作ってあげる男でもできたの!?お兄ちゃん認めないぞ!
「なーんかあったのー?」
テーブルに肘をつき、料理本から目を逸らさずに妹がそう発声した。
「なにが?」
いや本当に何がだよ、びっくりしたぞ兄ちゃん。
「いつもの兄ちゃんじゃないみたい」
雑誌から目を離さずに続ける妹。
俺は注いだ麦茶を一口飲んでから、
「そうか? どした、急に」
「いつもの、気持ち悪い兄ちゃんじゃない」
「おーい、ひどいぞー、兄ちゃん泣くぞー」
「だってー、本当の事だもん。いつも、動きとか態度とか顔とか気持ち悪いし」
「顔のことは言っちゃダメですよみゆきちゃん、同じような顔ですよ」
「まあそうだけどー」
否定しないんかい。
「そんな辛辣だと、兄ちゃんじゃなかったら号泣してるぞ」
「だってー、本当の事だもん」
一生料理本から目を離さないまま喋るみゆき。
というかずっと同じページしか見てないよこの子。
「兄ちゃんはいつもは気持ち悪いけど、今日はもっともっと一段と気持ち悪いよ」
「おいおい、オーバーキルもほどほどにね……兄ちゃんでもそろそろ泣く」
「だってー、本当の事だもん。なーんかあったんでしょう?」
「なーんかって……」
「なんかはなんか。昨日帰ってくるのも遅かったし。そこでなんかあったんでしょ、どうせ」
我が妹ながら鋭いな。
いや、妹だからか? 長年一緒に生活しているから気付けることもあるという事か。
昨日の夜。
由宇の過去を知って、俺の後悔が増えて。
俺のポリシーも大きく揺らいで、何が正しいか分からなくなった。
八年前のあの時からずっと縋ってきた信条によって自分自身を追い詰めることになった。
なんて妹に言えるはずもない。
「いや、大したことじゃないよ」
「大した事なかったらそんなに気持ち悪くならないっつーの!」
みゆきは何故か声を荒げた。依然目は雑誌だ。
「話したくないならいいけど、抱え込んで気持ち悪くなるくらいなら誰かに話した方がすっきりすると思うよー。まあ、それは私じゃなくてもいい……というか私はメンドクサイから私じゃなかったらありがたいんだけどね」
「親切にアドバイスをくれるのか俺を邪険にしたいのかはっきりしろよ。それともう泣いていいか?」
「ご自由に」
テーブルの上に置いてある箱ティッシュを俺の前に突き出すみゆき。
冷徹な妹に涙目になっていると、
「まあどうしても話す人いないんだったら、いつでも聞いたげるから言って」
突然の優しさに本当に泣きそうになった。
「あと一つ。無理して明るく振る舞うのって、結構周りにもダメージあるから気を付けてね」
それを告げると、読んでいた料理本を閉じ、みゆきは席を立った。
みゆきがリビングから廊下に出る寸前に俺は声を掛けた。
「俺も一つ聞いていいか」
「何?」
立ち止まったみゆきが顔だけこちらを向く。作ったような仏頂面だった。
「みゆき、彼氏でもできたの?」
「はー!? んなわけないでしょ! バカ!」
本日二度目の声荒げをかましたみゆきはプンスカ音を立て階段を上っていった。
いやいや、我が優しい妹よ、ありがとう。
でも不器用すぎるだろ……。




