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ここまでで、ひとつの謎は嫌な形で判明した。
あとはそう――。
「俺があの当時由宇に会ったのは、そんな生活をしている時期ってことだよな」
「そう。大体の家事は、午後過ぎには終わって、夜ご飯を作るまでの間が唯一の自由時間だったから」
ふと天空に目をやると綺麗な半月が浮かんでいた。
然しながら目の悪くなりつつある俺にはそれもぼんやりと膨らんで見える。
膨らむそれを見ながら、
「あの日の後……しばらく俺が顔を出さなかった間に、どんなふうにして居なくなっちゃったの?」
「あの後すぐにね、あの家は売ることになったの。やっぱり、ずっと仕事が見つからなくて、資金繰りが限界だったみたい」
声向き的に、由宇も空を、半月を見上げながら喋っているのだろう。
「引っ越し先は小さめのアパートで、同じようにそこで学校には行かないで家の事をずっとしてた。小学校を卒業する年になるまで」
思考以外の全身が鈍く溶けていくような不快な感覚が俺を襲った。
ということは少なくとも三年以上そんな生活をしていたという事だ。
もしかすると俺のせいで。
「その間お父さんは色んなアルバイトを転々としていて、少しでも何かあるとお酒を飲んで暴れて。でも、私が多分十二歳になってすぐ、お父さんは暴れるだけじゃ済まなくなった……」
手の甲がビリリと痺れ、嫌な予感を察知している。
「抵抗して、大きな声も出したけど、殴られて。やっぱり所詮子供の力では大人の男の人には抵抗できなかった」
そこまで言えば、具体的な事を言わなくても理解はできた。
ゆっくり由宇に視線を移すと、無表情の、いつもの、由宇が半月を見上げていた。
「そんな日が何日か置きに定期的に続いて、何回目かの夜、いつものように抵抗しながら大きな声を出していたらインターホンが鳴ったの。お父さんは手が止まって、私に出る様に顔で合図して。服を整えてドアを開けたら、そこに金髪の男性が立ってた。その人を見て、私が一番最初に感じたのは、お父さんと同じ目をしているだった。何かを失って絶望しているような、未来を見つめていない目」
「金髪……」
「うん、金髪。どう見ても外国人だった。その人が家の中を覗きながら、小声で私に言ったの。叫び声が聞こえたけど、大丈夫?って」
由宇は再び地面を蹴り、ブランコを揺らし始めた。
「その時、ものすごく緊張したのを覚えてる。後ろを確認してお父さんが居ないのを見て、もしかしたら二度と来ないチャンスが来たんじゃないかなって。数年続いたお父さんの束縛と暴力から、もしかしたら解放される機会なのかもって。私も限界だったみたい。それで自然と口にしてた。『助けて』って」
普通の人があまり経験しない、俺にとっては身の毛もよだつ経験を、無表情で淡々と話す由宇はどこか同じ普通の人間とは乖離した存在に見えた。
普通の人の定義は禅問答にしかならないのだが、少なくとも俺の知ってきた限りでは間違いなくとも幅広く見ても一般的ではないだろう。
その凄惨な過去を、もしかすると俺が回避させることができたのかもしれないと、ますます後悔に拍車がかかるのをしっかり感じた。
「その後は、その金髪の外国人に手を引かれて裸足のままその人の部屋に私は隠れた。恐怖を感じていた私は事情を詳らかに話せなかったけど、その外国人はある程度事情を察して、警察に電話をして……そこからの事はあまり覚えてない。ずっと泣いていたから。沢山質問されて、そのままお父さんは逮捕された。それでどういうわけか金髪の外国人としばらく一緒に住むことになった」
由宇は再び足でブランコを止め、こちらを向く。
「それが、今のお父さん。クリス・オースティン・フィッツって名前」




