灯台下暗し
南張駅から列車で二駅先が三逆駅だ。
あの例の子とのデート(笑)をさせられた際に待ち合わせをした駅であり、俺の自宅の最寄り駅でもある。
御日様が頑張る時間がだんだんと長くなり、あれだけ放課後時間を費やしたにも関らずまだ橙の空が広がっていた。
駅から出て駐輪場に向かって歩きながら、南張駅で解散する前の、数十分前の岸絵とのやり取りを思い出す。
岸絵から教えてもらった事をまとめると、こうだ。
まず、写真に写っている子はマーキュリーの一員であるということ。
これに関しては、なんとはなしに察してはいた。
デート(笑)をした写真のこの子が金髪の差し金である以上、マーキュリー関連の人物の可能性は大いに有り得る、そう思ってはいた。
次に、オースティンという名前ではない事。
こちらに関しても、ですよね、といった感じだ。
どう見ても俺には日本人にしか見えない。
尚且つ、初対面で彼女に名を尋ねた時、黒目を斜め右上に動かし、少し考えてから返事をしていたのだ。
偽名を使う理由までは分かり倦ねるが。
そして最後に岸絵がくれた情報は、写真のこの子は賢道学校の生徒であるが、滅多に学校に姿は現さない、という事だった。
……うちの学校の生徒? 俺は一回も姿を見ていないぞ。
特定の友達も居らず、普段から無意識的に人間観察をしてしまう俺が見たことが無いのだから、滅多に学校に来ないのは確かではあろうが……。
まさか同じ学校の生徒とは考えもしなかった。
不登校の生徒という事だろうか。
そういえば、観察はすれども、生徒の名前や名簿リストまでしっかり結びつけて調査したことなどない。
まあ生徒の名簿なんてものがどこでどう開示されているのかすら知らないけど。
そうなれば無論不登校の生徒など調べようがないな。
こうして岸絵のお蔭でオースティン(仮)に関しては僅かな手がかりを得ることができたが、相も変わらず肝心の金髪に関しては足踏み状態だ。
天文学室で初めて会った時、あの子も賢道高校の制服を着ていたが……。
それはともかく。
そう、俺に遂に友達ができたのだ。まじかよ。
目下初めての友達にどうしていいか分からない感は否めないが、何にもたとえようのない高揚感がある。
未だ心臓は駆け足気味で、いつもより空気もおいしい気がする。
しかもあんなに可愛い年下の女の子だぞ。なんて幸運なんだろうね俺。
数時間前までは、銃口なんかを向けられてなんて不幸なんだろうね俺。って思ってたけど。
駐輪場につき、鍵の入った財布を取り出そうと左のお尻ポケットに手を回すと、携帯を入れる右腿がバイブした。
母か、妹か、今ならどんなお遣いだってきいてやれるくらい気分がいい。
高ぶるテンションの中揺れる携帯の画面を見ると予想は当たっておらず、「非通知設定」と表示されていた。
非通知の電話程出たくないものはないが、絶賛気分高揚中の俺はノリで応答してしまった。
「はい」
右耳にピタリと受話部分を当てているが、しばらくしても俺の言葉に続く返事は聞こえてこなかった。
緩い風にそよぐ木々の葉擦れの音だけが静かに響く。
無言電話?
「もしもし? どちらさま?」
…………。
なんだろうか、いたずら電話かな。
また非通知というところが厭らしい。
「悪戯なら切りますよ」
ぶっきらぼうに吐き捨てながら、左手を再び財布へと向かわせていると、
「春枝」
と、か細い小さな声が受話部分から聞こえた。
――なんだ? このチリリと火花が散るような胸騒ぎは。
「はあ、ええと、春枝ですが。どちらさまです?」
「……一応、報告。報酬は正しく受け取った。参考までに聞かせて。……少しは分かった?」
か細くも芯のある声だな、などと呑気に考える俺と、
「報酬?」と思考を置き去りにして鸚鵡返す俺と、
聞こえてきた言葉の意味をジグソーパズルのように組み立てて熟考する俺と。
そのすべてを俯瞰して見る俺の全てのシナプスが遅れに遅れて通電した。
金髪美少女。
この電話の主は金髪のあの少女だ。
『報酬』という言葉が出るという事は、間違いない。
俺が赤面必至で恥ずべき依頼をし、不気味に快諾したあの天文学室の長髪美少女だ。
「その、っあ、っと、」
おかしいぞどうした俺の声帯と舌。
あんなにも此奴には言いたいことがたくさんあったじゃないか。
電話とはいえ、俺の想い――殆どが文句だけど――を伝える絶好の機会だぞ。
しかし舌に針金でも入っているかのようにうまく動かせない。
「……春枝?」
聴こえてくる金髪少女の声を自動的に反芻する俺の脳内は、処理落ちするスクロール映像のようにカクつき、再び会えたら言ってやろうと思っていた文句や意見その他が正常に出てこなくなっていた。
「久しぶり!」
ようやっと絞り出すように口から出た言葉はこれだ。
なんとも情けない。
しかしここから冷静に、論理的に、心臓の躍動を宥めながら話さねば。
「……で、どう?」
「どう、というと……依頼に関しての事か?」
「そう」
限界まで鼻で空気を吸い込んでから、マイクに吐息が当たらない様ふぅー、とゆっくり息を吐いてから、
「率直に言うとだな……はっきり言って、お前が何をしたいのかわからない。俺がした依頼は恋について知りたいってことで、可愛い女の子とデートがしたかった訳じゃない」
なんとかこんとか、言いたいことの最低限は言えただろうか。
「かわいかった……?」
ああ、可愛かったさ。オースティン氏はそりゃこれ以上ないくらい可愛かったさ。
本来そんな女の子とデートをさせてもらえるだけで、感謝極まりないのが普通なんだろうけども。
「可愛い女の子とお近づきになりたくてこんな恥ずかしい依頼をしたんじゃない。俺はこう、もっと恋の概念というかプログラムというか……そういうのが知りたかったんだ」
言っていて恥ずかしい野郎だとは自覚しているが、ここを譲るわけにはいかない。
譲れないというよりは、金髪少女、お前の短絡的な解決法に納得はできないし落胆しているのだ。
「そう」
「そうって……。君は、俺があの子のような可愛い子との時間を過ごせば、容易く恋に落ちるとでもおもったのか」
「そうではない」
「じゃああの日のデートはなんだったんだ? あれじゃ、恋がどういったものなのか分からない。俺は単純に、恋ってのがどういうものなのか詳しく知りたかっただけだ。感情とか本能とか、曖昧なものなのも解ってはいるが、それでも出来る限りのディテールを知りたいんだ」
恥ずかしいことをつらつらと言っている自覚はあるが、報酬を払っている以上、納得のいかない結果に対してコンプレを挙げてもいいはずだ。
むず痒い顔で文句を垂れる俺に、帰ってきた金髪言葉は意表を突くものだった。
「言語で上手に概念を説明することができない事象に関しては、実際に目にするのが一番。百聞は一見にしかず、という諺を知っている?」
金髪の唐突なこの切り返しは、意味を介するのに時間が必要だった。
……いや、うん熟考しても理解できなかった。
何を言ってるんだ。
「百聞は……って、俺にアレの何を見ろってことだ?」
「恋について知りたかったんでしょ」
ああ、そうだとも。
「それなら、実際に間近でソレそのものを見るのが良いと思った。だから、あの日、春枝に……その、Aさんを会わせた」
Aさん、というのはオースティンさんってことなのだろう。
だから此奴は何を言っているんだ。
「どういうことか、分かるように説明してくれ」
なりふり構ってられないのと、混乱状態が相まってストレートに訊いてしまった。
「…………春枝、鈍いんだね」
「はい?」
「Aさんは、恋煩い。そのAさんと過ごしてもらえば、少しは恋について理解できる可能性があると思った」
まるで耳打ちされているかのような掠れ声で金髪は喋る。
その言葉が俺の耳の中に入り、その全てが乱雑に頭の中を掻き乱す。
ということは?
恋煩いのオースティンと過ごすことで、恋についてそこから理解し、盗み取り、納得しろということか。
ゆっくりと、自分の眉が中央に寄っていくのが分かる。
冗談じゃない。
そんなレベルで理解が出来るのだとしたら、とうの昔に理解してるさ。
友達は居なかったが、それなりに観察眼はあるつもりだ。
中学時代も、高校に入ってからも、恋に現を抜かす思春期どもだって大量に見てきている。
その上でも理解が出来なかったから、こうして恋がどういうものなのかを恥を忍んで訊いているんじゃないか。
それに、事感情に関しては目にするのではなく、実際に経験しないと分からないものだという俺の持論にも反する。
「黒川からは、俺の依頼の関してどんな風に聞いたんだ」
「春枝が、恋について知りたがっているって」
ああ、それは合っている。
「それだけか?」
…………。
「春枝の依頼に関してはそれだけ」
「依頼に関しては? 他には何を話したんだ? そもそも、黒川とはどういう関係だ? 友達か?」
「詮索はダメ、言われたでしょ」
ああ言われたさ。
そりゃ黒川にこれでもかというくらい言われたけどさ。
「だけど、俺は君が俺の依頼を完遂したとは思ってない。未だ依頼が不完全な以上、俺にだっていろいろ知る権利があってもいいだろう? 報酬は払っちまったけど……」
何度目かの沈黙が訪れた。
考えているのか、困っているのか。
俺は携帯を握る手がいつの間にか汗ばんでいる。
ここが正念場な気がする。
ここで沈黙に追い打ちだ。
「報酬を貰った以上、しっかり最後までクライアントを納得させるのが、マーキュリーって組織じゃないのか?」
「えっ」
金髪の小さな悲鳴のような声が受話部分から聞こえた。
俺がマーキュリーなる裏組織を知っていたことに驚嘆したのだろうか。
「とにかくさ……。このままだと俺も納得がいかない。電話だとどうしても意思疎通が上手くいかない気がするから、その、今度どこかで直接会えないだろうか」
このセリフを吐いた瞬間、俺は今までの苛々や悲しみ等のもやもやが昇華されるような、得も言われぬ快感があった。
自分では薄々気付いていた事ではあるが、この開放感でそれは確信へと変わった。
何でもいい、ただ俺はもう一度、金髪に会いたかったのだった。
日が落ちかけ、カンカンと街灯が付き始める中、電話口から小さな声が聴こえた。
「分かった。明日の放課後、天文学室で」
開放感は高揚感へと変化し、誰もいない駐輪場で俺は小さくガッツポーズを決めた。




