パルプンテ女子
ムツゴロウの命名理由を有無を言わさず訊きだされた後に、パルプンテ文学少女のいる教室にたどり着いた。
先の田丸女子の忠告の意味を知るまではそう時間はかからなかった。
具体的には数分。
例の如くノックを三回、「失礼します」とともにノブを回してドアを押す。
それにしても、ここ数日で一体俺は中指の第二関節を何回ドアにぶつけたのだろう。
ノック系男子の二つ名でも自称しようか。
――岸絵、といったな。
文学部室に、それらしき女の子は一人しかいなかった。
というか、またしても人間が一人しかいなかった。
部屋の中央に大きな机が置いてあり、そこにパイプ椅子が左右三つずつ、計六つがそれぞれ向かっている。
その一番入口に近い右手前のパイプ椅子に髪の短い小さな女の子が座っている。
先まで手に持っている文庫サイズの本を読んでいたのだろう。
今は入ってきた俺に、彼女の少し長めのぱっつん前髪から覗くおっとりとしたその目を向けていた。
「あ……えー……どうもです」
何がどうもですだよ俺。
コミュニケーションのセオリーが分からん。
無言で俺のことを見つめる岸絵と思わしき少女。
もっと社交的かつ安心させるような事を……。
そうだ、まずは名乗らないとだ。挨拶の基本中のそれだ。
「俺は二年の春枝っていいます」
……。
無反応。
しかしおっとりとした目はこちらを凝視したままだ。
「一年の岸絵さん……だよね?」
この問いにも返事はなかった。
その代わりに岸絵はゆっくりと一つ瞬きをした。
こんなに見つめられ続けると、さすがに、なんだろう、恥ずかしいというかなんというか。
誤魔化すように「Uって君のことだよね」と続けて訊く。
これにも無反応だった。
何だろう、何かの試練かなこれ。
「君がUだと聞いて、少し訊きたいことがあるんだけど」
………………。
頼む、喋ってくれ。
無反応のまま見つめられ続けるのは意外と精神にくるものがある。
取り敢えず、突っ立っているのもバツが悪く、テーブルを挟んで向かい合うように反対側のパイプ椅子に腰かけることにした。
俺が移動する最中もこちらから視線を逸らさない岸絵。
「よいしょ」とおじさん染みた台詞を吐き出しながら座るとギシリと音が鳴った。
視線を逸らさない岸絵に、俺は気まずくなり、机に目を落としながら左手で後頭部をポリポリと掻いた。
もしかしてこの女の子は、喋れないのだろうか。
それも考慮しつつ、再び目の前の女の子に視線を戻す。
さっきまで岸絵が手に持っていた本はいつの間にか無くなっていた。
音もなく鞄にしまったのかな。
しかしながら相も変わらずこちらを凝視している。
「取り敢えずの確認なんだけど、岸絵さんはマーキュリーの一員……でいいんだよね?」
案の定の無反応。
警戒されているのかもしれないと踏んだ俺は世間話から始めようとした。
しかし世間話なんかまともにした事がない。
世間話ってなんだ。世間ってなんだ。
やたら冷たいってことは知っているぞ。
「さっきは何を読んでいたの?」
世間知らずのボッチ系男子俺がひねり出した言葉がそれだった。
まあ、無難なところだと思いたい。
これに対してもパルプンテ女子は無反応をキメるかと思われた直後、机の陰から手品のように本を出した。
おそらくさっきまで読んでいた本だ。
どこにしまっていたんだろうかと、身体を軽く引き、机の下を覗いた所で俺は小さく悲鳴を上げてしまった。
机の下に人がいた。
小さな女の子が、だ。
どうみても小学生にしか見えないような小さなその女の子は、机の下で体育座りをしていた。
「あー、と……岸絵さん? この子は誰? 岸絵さんの妹とか?」
椅子ごと少し後ろに移動した俺は、正面で沈黙を貫く岸絵に問う。
驚嘆が混じり余裕のなくなった俺は正面の沈黙の眼と、机下の幼い視線にあてられ思考回路はショート寸前だ。
ちらりと下の女の子を見るとどうやら俺を睨んでいるように見えた。
「やあ、君いくつ? お父さんかお母さんはどうしたの?」
迷子へ向けるベタなセリフを吐いた直後、机下の女の子は信じられないものを俺につき向けた。
黒く、鈍く光る金属。
どう見ても銃だった。
人間というものは危機管理が正しく機能する場合が多いらしく、俺は無意識に両手を上げていた。
心臓が加速するのと同時に、本当に恐怖すると声が全くでなくなることを俺はこの時に知った。
偽物の銃、エアガン、こけおどしのつくりもの、その可能性も大いにあるとわかっていながら、最終的には「本物」という一番悪いパターンを予想する俺の本能は正しいのだろうか。
ぐるぐる不毛な思考が頭の中を渦巻いていると、
「朱雀」
という声がした。
その声で、机下の女の子はハッとした表情になり、向けられた銃はするりとどこかえ消えた。
そしてそのままサッと体育座りに戻った。
向けられた緊張から解かれ、両手を下げ安堵の息を吐く。
汗と疲れがドっとでてきた。
「うちの朱雀がすまねえ、です。これ朱雀、言うことがあるだろうが、ですよ」
先程まで沈黙を貫いていた岸絵から、突然小さく発せられた頓珍漢なセリフに、何が起こっているのかわからなかった。
机の下の少女は場所は動かずにその場で正座をし、
「すいやせんっした」
と言いながら土下座の体制になった。
……俺は何を見せられているんだろう。
「それで、何か用でもあんのか? です。春枝…さん」
何だよその喋り方。
語尾に「です」を付けりゃいいとでも思っているのか。
まるでチンピラみたいな喋り方に、少し前の田丸女子の言葉をふと思い出した。
――絶対に怒らせないで。怒らせると何が起こるか分からないから。
――可能な限り近づかないで。何が起こるか分からないから
先程俺に突きつけられた鉄の塊。
岸絵の変わった喋り方。
これらがすべて頭の中で綺麗に繋がった。
岸絵組――以前どこかで聞いたことがある。
この辺りではそこそこ有名な本業のソレだ。
もしかすると目の前のこの少女は、そこのお偉いさんのお嬢さん、といったところだろうか。
どうみても大人しい文学少女にしか見えないこの子が、急に恐ろしく見えてきた。
が、怒らせなければどうってことはない。と思いたい。
「どうした、です。黙ってちゃ分からねえな、です。春枝さん」
「はい!すいません」
……すぐ小心発揮しちゃうのは相変わらず。
「あの、変わった喋り方をされるんですね、女の子なのに」
机の下から舌打ちが聞こえたので仰け反り気味に見てみると、相変わらず小さな女の子がこちらを睨んでいた。
その女の子に俺が苦笑を飛ばしたくらいのタイミングで岸絵は返答してきた。
「さっきはだんまりですまねえ、です。おや…父から知らん奴とァなるだけ話すなァいわれてやがる、です」
そのお父さんは……組長的な感じだったり?
じわりと背中に冷や汗が伝った。
「わたしは海、言う名前、です。喋り方はオヤジ譲りなもので、聞き苦しゅうたらすまねえ、です」
おっとりした目からは想像のつかないちぐはぐでシュールな自己紹介だった。オヤジ言っちゃってるし。
世の人間はギャップに弱いといわれる事があるが、そういう次元ではないギャップに脳の処理が追いつかない。
「えー……岸絵さん、こちらの女の子は妹さんですか?」
机の下を指さしながら俺は訊く。
すると再び指の先の方向から舌打ちが聞こえた。
岸絵は無音で俯きながら振動していた。笑っているらしい。
「コイツァうちの家で一緒に暮らしてる赤柳朱雀、言うモンで、一応同級生、です」
「同級生!?……って言うと、飛び級か何かですか」
この俺の発言に、朱雀という少女は舌打ちと共にスカートの中から銃を取り出し、再び俺に向け構えた。
俺はわけもわからず両手を上げ、ごめんなさいを無意識に朱雀少女に向け放っていた。
本物の銃怖え。
「朱雀!!」
先の文学少女とは思えないほど低く腹に響く声を岸絵が出した。
顔も今までで一番怖い。目からビームなんか出そう。
「しかしお嬢、コイツが狼藉を――」
「そらァ、しょうがねえだろ、です。もうちったァ身体も成長してから文句言いやがれ、です」
「くッ……」
朱雀は俺のことを睨んだまま銃をスカートにしまい込んだ。
「朱雀は、わたしとおなじ歳の正真正銘の華の高校一年生、です」
俺は両手をあげたまま、というか下げ忘れたまま机の下の少女をまじまじと見つめなおす。
いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、どう見ても小学生だよ。うん。
……マジで? 高校生?
怪訝そうに朱雀を見つめる俺を見て、再び岸絵は無音で笑っていた。
「それで、春枝さん。何の話をしに来やがった、です?」
その岸絵の言葉で俺は当初の目的を思い出した。
朱雀と呼ばれる少女からの敵意剥き出しの視線を感じながら俺は話した。
「さっきも言いましたが、あなたがマーキュリーのひとり、Uであると聞いてます。」
「だれから聞きやがった、ですか?」
それを答えると、その人が組に消されてしまう……なんてことはないよね。ないよね?
「えーと……」
「Eから、です?」
Eって誰だっけ。
E……え……え……えり? 英梨さん。ああ、田丸女子ね。
「そうです!」
弾みで言ってしまった。死なないで英梨さん。
「そうですが、正確には違います」
フォローのようにこう続けた。
最初はそう、白夜の野郎の口滑らせから始まったことではあるからな。
白夜のチャラい顔が浮かび、何故かムカついた。
「……まあいいや、です。それで私に何の用だ、です」
いちいちぎこちない言葉遣いに内心引っかかりながら、ここでようやくあげ続けていた両手を下げた。
急に命の危機を感じたり、コミュ障を再認識したりと、心の中が散らかり放題だが、とりあえず落ち着け俺。
ため息にも似た浅い深呼吸をして、さて本題へ繋ごう。
「岸絵さんはぶどこんが好きなんですか?」
この発言に岸絵はキョトンとした顔になった。そのまま顔を斜めに傾ける。
「……ぶどこん?」
態ととぼけている様には見えない。
この反応で俺は、緊張とも違う、自分の全身の毛穴が開くような感覚に襲われた。
一つの予感が強く湧き上がったからだ。
「ぶどうこんにゃく、っていう購買の自販機にある飲み物、というかゼリー? なんだけど」
「知らねえ、です。そんなものがあるとは初めて聞いた、です」
自分の鼻息が荒くなっていることに気付く事もなく、恐怖も丁寧語も忘れて更に質問する。
「じゃあ、俺の靴箱に報酬の手紙を入れたのは?」
「報酬? 手紙? 何のことを言ってやがる、ですか」
「……分からないのならいいんだ。ありがとう」
やっぱりそうだ。
俺に報酬を求めたのはこのUではない。
最初に俺が依頼した金髪で間違いないだろう。
まあそうでなくちゃおかしいんだけれど、白夜のあの「Uから頼まれて」という発言に翻弄された。
しかし、どういう事だろう。白夜の意図したミスリード?
にしてはあの焦り様は解せないし、そもそもそんな頭を白夜が持ち合わせているとは思えない。
結局、どういう経路にせよあの金髪がぶどこんを報酬として俺に寄こさせたのは間違いなさそうだ。
そうなると、白夜、だ。
あいつはぶどこん引渡しに関して、「違う奴から電話で依頼された」とも言っていた。
その「違う奴」ってのが金髪少女に近しい人間ってことなのか。
それとも白夜が咄嗟に誤魔化した嘘なのだろうか。
「春枝!!」
「ひゃい!」
脳内会議を黙々としていた俺に落雷したのはドスの利いた岸絵の声だった。
ジャーキングのように動いたため、パイプ椅子が少し後ろに動いた。
「さっきから黙りやがって、どうした、です?」
「いや! なんでもないです! すいません」
こう、考え始めると周りが見えなくなる俺の悪い癖を直したい。あと小心も。
とにかくだ。
白夜の行動や態度がいまいち理解できないことは確かだが、間違いなく俺に報酬を求めたあの手紙の主は金髪少女だ。
そしてどうにか伝手を使い、白夜に受け取りをさせたという事だ。
その報酬は、あの週末のデート(笑)の報酬であり、金髪の差し金で現れた不憫なオースティンさんが、俺への「恋の答え」だと、そう金髪は言いたいのだろう。
皆目見当違い甚だしいと、浅はかだと、そう伝えねば気が済まない。
何度も諄いが、女性経験に疎かろうが免疫が無かろうが、楽しかろうが嬉しかろうが、そういう経験をしたかった訳ではない。
そういう経験を望んで、恥を忍んで(というか無意識にだけど)黒川に「恋」の意味を尋ねた訳ではない。
俺はもっとこう、根本的な、概念というか定義を知りたかっただけなのだ。
まあ、あらすじでおれ自身が感情に関するものは経験することでしか納得できない云々と言っていた気はするが……。
オースティンをあてがい、その感情の経験の発生の可能性に賭けた、という事なんだろうか。
なんにせよ金髪よ、お前に文句を言いたくて仕方がないぞ……。
オースティン――。
ふわりとその顔を思い出しながら制服の内ポケットに手を当てる。
「考え事なら余所でやりやがれ、です」
再び脳内会議に入り込む俺に舌打ちを決めた岸絵は呆れたような顔でセリフを吐き捨て、立ち上がった。
ガラガラとパイプ椅子の動く音とともに机の下の小学生――まがいの朱雀もシュバッっと出てきた。
岸絵は鞄から大きなマフラーを取りだし、目を閉じながらクルクルと自分の首に巻く。
顔の下半分が埋まるくらい大きい。にしても五月でマフラーって……。
「春枝、行くぞ、です。」
「あ、はい。……え?」
「え、じゃねえ、です。わたしの正体を知って、タダで帰す訳ァねえだろう、です」
「そうじゃボンクラ! はよ準備せんかい! お嬢を待たせるんじゃねえ!」
ええと…………。
……命の危機? 組の人の所へ連行とかですか?
「ああ、ああと、あの俺カバン教室のロッカーに置いてきたから、ここで失礼します」
「そんなもんどうでもええじゃろうが!! お嬢を待たせていい思ってんのかボンクラァ!!」
「朱雀!!」
ぴーぴーうるさい朱雀を岸絵がぴしゃりと一喝。
この光景何回目だよ。
「しかしお嬢、コイツが……」
「春枝、正面玄関で待っててやるから、取りに行ってきな、です」
不敵にほほ笑む岸絵。
やばい。どうなるのこれから俺。
ここで再び、背中に冷や汗が伝った。




