金髪の美少女
放課後、俺は教室で一人窓からの生ぬるい風を顔に受けながらグラウンドのサッカーを見物していた。
「今日の17時に、天文学室にきて」
昼休みに生徒会長に言われた言葉。そしてこう続けた。
「きっと手助けになってくれると思うけど、絶対に詮索はしないであげてね」
詮索の意味は解らないが、今まで黒川がいうことが間違っていたことはない。
とりあえず言う通りにしてみることにしよう。
しかし部活に入っていない俺に放課後の約1時間は退屈すぎた。
私立賢道高校は創立80年を越えた、よく言えば伝統ある学校だ。
床にも壁にも歴史ある傷が多く、使用禁止になった教室もあり、何より全体的に狭い。
そのくせ部活動が多いものだから、廊下まで使って活動しているところが多い。
そんな訳で、放課後の帰宅部たる俺の居場所は自分の教室くらいなのである。
教室でやれることなんてのはほぼない。
読書用の本も持ち合わせていないし、勉強なんてものは健全な俺がするものではない。断じて。
かくしてふらりグラウンドを見ていたわけだが、それもそろそろ終わるとしよう。
黒板の上の掛け時計は16時51分を示していた。
二年六組の教室を後にした俺は、廊下でラリーに勤しむ卓球部の隙間を抜け、階段を上り三階の放送室の奥にある、天文学室に足を運んだ。
でも、確か使用禁止の教室だったはずだ。粗方入学してから校内探索はしていたし。
案の定、天文学室の扉には禍々しい赤文字で「使用禁止」と張り紙されていた。
正面で止まり、1つ深呼吸を決めた。どうやら俺は緊張しているらしい。
カンカン――と2回金属の扉をノックする。
……。
えーと。ああ、優しく叩きすぎたかな。聞こえなかったのだろうか。
ゴンゴンゴン――中指の第二関節が少し痛い。
……。
うん、使用禁止だしね。誰もいないよね。
生徒会長のやつ、どこかの教室と間違ったのかな。
或いはちょっとした嫌がらせかな。あれだ、やっぱ乙女の色恋事情を鑑みずに不躾な質問飛ばしたことへの当てつけのつもりかな。
普段から生徒会長には気兼ねなく何でも聞いてしまうから、その癖を直さないといけない。
戒めになったところで帰ろうかと思いつつも、左人差し指で後頭部をポリポリ掻きながらスッと右手をノブに伸ばし、ゆっくり右に回してみる。
ゆっくり引くとドアもそれに応え、ゆっくりと開いた。鍵がかってなかった。
「失礼しまーす……」
小心者らしい音量でつぶやき、入室。
初めて天文学室に入った。
電気は付いておらず、日光もカーテンの隙間から僅かに入るくらいで薄暗い。
右には本棚、左には食器棚?がある。
部屋のど真ん中にある低めの長テーブル2脚、それに並ぶパイプ椅子。4脚。窓の近くに校長室にでもありそうな大きなソファー。
の上に。
とても小さな金髪の少女が仰向けに寝ていた。
ものすごく髪が長く、遠巻きに見ると人形?を連想させた。
どういう状況なのかさっぱり解らないが、とりあえずゆっくりと扉を閉めた。
本棚の上の壁にある掛け時計の秒針音と、金髪少女の静かな呼吸音だけが室内に響く。
寝ているのか。
何故この少女は使用禁止の教室で寝ているのだろう。
この高校の制服を着ているようだがそもそもこんな少女は見たことがない。
だが、何でも知りたがる俺の興味をそそるには十分な状況ではあった。
起こしてはいけないと、息を殺し足音を立てないように細心の注意を払いながらゆっくりと近づいていく。
ソファーに一番近い右奥のパイプ椅子にゆっくりと腰を下ろした。軋む音にも気を付けながら。
再び少女を凝視。
やっぱり見たことはない。こんな子がこの学校にいただろうか。
閉じているまつげはすごく長く、鼻も口も小さい。肌は白く、本当に人形みたいだ。
胸は……身長に比例しているかな。お腹の上で手を組んでいる。
っと、スカートが片側捲れて透き通った太ももが見えている。
「……」
――直してあげましょう、そうしましょう。
お互いのためにね。
布地を摘まんで元に戻すだけだ、と自分に言い聞かせながらゆっくりと立ち上がり近づいていく。
ゆっくり、ゆっくり。
右手を翻ったスカートの端へ伸ばす。
あと少し。
――ピピピピピピ!! ピピピピピピ!!
「ぇあう!」
大音量の音に全身がピクつくのを感じるとともに変な声を出してしまった。
体勢は変わらず右手をスカートへ向けて伸ばしたまま。
嫌な予感をひしひしと感じながらゆっくり少女の顔へ目線を移す。
バッチリ目が合った。
脳内でものすごいスピードで考えが巡った。
スカートに手を伸ばしたままのこの体勢、言い訳も逆効果だなーとか、停学の二文字とか。
「春枝」
「ひゃ、はい!」
「椅子、座って」
表情を全く変えずにゆっくり上体を起こした少女はさっきまで俺の座っていたパイプ椅子を見た。
なぜ俺の名前を知っているんだろう。
「あ、はい」
伸ばしたままの右手を慌てて背に回し、さっと一歩下がった。
とにかく座って落ち着こう。
誤解解けなきゃ停学かなこれ。未遂ですよ、僕は無実ですよ。
俺が席に着くなり、金髪はゆっくりとその長い髪を整えるように掻きあげた。
逆光で見え辛いが、開かれた眼球は驚くほど切れ長で、吊り目ではあるが気品がある。
「春枝の相談、Mからきいてる。恋が知りたいって。依頼、応える」
金髪美少女の口から淡々と発せられる言葉に、どんどん自分の顔が熱くなっていくのがわかる。そして恐らく色は真っ赤だ。
なんて恥ずかしいことを黒川に訊いちまったんだろうね。
しかもこの見知らぬ子にも伝わってるし。さっきから自分の鼓動がうるさい。
このドキドキが恋ってか? ふざけるな、これはただの羞恥だ。
そういった羞恥に慣れていない俺は動揺して「何が?」と呟いてしまった。ああ小心の困惑。
そもそもなんだ? 依頼? Mとは生徒会長のこと……だよな?
分からないことが多すぎる。
「恋が知りたいんでしょ?」
「はあ、まあ」
「曖昧……。でも依頼は依頼、報酬はちゃんともらうから」
「はい」
全く話が見えてこないのだが、メダパニ状態の俺は二つ返事を決めてしまった。報酬?
「明日、17時、三逆駅北口のベンチ」
そういうと金髪美少女は「以上」と言わんばかりに窓の外に顔を向けてしまった。
その少し儚げな斜め後姿を見て、急に懐かしい気持ちになった。
なんでこんな時に懐かしさを感じているのか良くわからない、よほど気が動転しているのだろうか。
つまり? 整理すると、恐らく生徒会長がこの子に俺の残念な悩みを何とかできないかと依頼をし、この子はその依頼を報酬の為に全力で遂行すると。
「あのさ、君、名前は?」
「秘密」
「何年生?」
「Mから言われてるはず。詮索しないで」
「でも、まったく知らない子に言われたことなんて、信用できないよ」
俺がそういった途端、金髪少女はこちらを向いた。まじまじと。
女の子とじっくり見つめあうのは去年あたりに妹としたにらめっこが最後だった。
俺はすぐに目を逸らしてしまった。やっぱり小心もの。
「春枝の依頼は全力で応える。とにかく今日は帰って」
そんなに真剣な表情で言われると何も言えないじゃないか。
「分かった。でも最後に」
「何?」
「その、報酬ってなに?」
金髪少女は少し笑った……ように見えた。
「秘密」
そういうと再び窓の外に顔を向けた。
きれいな髪をしているね、なんて常套句を言えるはずもなく、これ以上ここにいても気まずくなるだけだと悟った俺はおとなしく天文学室を後にした。
玄関で靴を履き替えながら、明日の謎と金髪の謎のことを考え、胸の中に灰色の靄が溜まっていく。
生徒会長、もとい黒川恵以外の女の子と話ができた点に関しては有難かったとは思うが、俺はもっとこう和気藹々といか、日常的な会話をごく自然にしていたい。
そしてMってなんだよ。黒川『恵』の名前のイニシャルのМか? ……MIBかよ。