中国古代の王朝~「周王朝」と「武器」 その五「槍」
感想ありがとうございました。
矛は長い間主力武器であったが、時代と共に新技術が発見されると、徐々に新しいコンセプトの武器が主力となり始める。
矛から進化したものとしては、「槍」になるだろう。矛の色々な欠点を改良した槍は、その後近代に至るまで主力武器となる。矛と槍の最大の違いはその刺突力であろう。矛は金属の技術の限界もあり刺す力より薙ぐ力を優先したが、槍は硬い金属の導入と、鋳造技術により細い穂先となり刺す力が増した。これはおそらく、鎧や盾の改良と、戦車への対策だったのではないか。鎧や盾が強靭化し、斬撃に対する強化が計られると、矛はその特徴から鎧の継ぎ目を狙うことを余儀なくされる。それにはかなりの技量が必要となる。それにくらべて槍は刺突力があるので鎧を貫通しやすく、また先端が細いので盾を破壊したり、鎧の隙間に入りやすくなったのではないだろうか。逆刃刀をつかう浪人漫画で、新撰組三番隊隊長が盾をつかう相手に「刺突」を繰り返したあんな感じであると思う。
また、戦車に対して矛は真っ直ぐではなく、少し斜めか横からの攻撃を余儀なくされる。只でさえスピードのある相手に、地上から戦車へ、つまり下から上へ攻撃する際には予備動作は少ない方がよい。槍は真っ直ぐ攻撃するためにあるのだから、その点も都合がよい。
この時代にかぎらず、歩兵同士の槍合戦は叩きあいから始まるようになる。これは長柄を利用して少しでも相手に衝撃を与え、戦を有利にするためのものであるが、これも矛ではやりづらかったであろう。矛は先が柔らかい金属を使うため、遠心力で攻撃をする戦いでは破損しやすくなる。また、矛の方が穂先が大きいので叩いた後の引く動作で少し立ち後れてしまう。その点、槍の方が重量の軽減化と穂先の縮小により取り回ししやすくなったはずだ。柄との繋ぎからしても穂先が小さい方が外れにくくなるであろう。更に、金属そのものの使用量が減ればそれだけ量産化もしやすくなる。矛が廃れていき、槍になったのも道理であると思われる。
しかし、だからといって槍に「切る」動作が不要になったわけではない。戦車同士の戦いになると、スピードに乗ったもの同士がぶつかるわけで、車右の武器が槍であると点の攻撃ゆえに当たりづらかったり、衝撃に負けて折れたりすることが当然考えられる。では、どうすればよいか?一つは矛を使うという選択である。矛は使いなれた車右であればよい武器であったろう。もう一つは、槍と違う機能を追加する新しい武器の発想である。この発想が「戈」と「戟」を生んだ。
戈は槍や矛と違い、穂先をピッケル状にして所謂「T」の字形の先端をもつ長柄武器である。Tの字の内側と先に刃を備えることにより、スピードにのったまま先端で打撃を相手を食らわせたり、引っ掻けて戦車から落車させたり、内側の刃を使い継ぎ目や首を狙ってみたりと様々な使い方をすることができた。この戈は戦車戦が華やかかりし春秋時代までは、特に戦車に乗れる上流階級に人気を博す。
戟は槍や矛に刃を加えた形の長柄武器である。槍の穂先があり、両側に刃を加えることで「刺す」「切る」「薙ぐ」といった様々な動作ができた。ファンタジーでいうところの「ハルバート」が近いものか。しかし、これはおそらく戦車戦では、武術の達人クラスしか使いづらかったであろう。何故ならば、戈に比べると複雑な動きを必要とするからである。それぞれに違う武器を使う技量と、それを瞬時に繰り出す判断力と膂力がもとめられるわけで、一種の浪漫武器ではなかったか。しかし、これを使いこなす者は「格好よかった」であろう。後の三國志演技に登場する呂布がもつ「方天画戟」は、実は三國時代にはなかったそうである。しかし、武術の達人たる呂布に持たせたくなるほど、後の世にいる戟の使い手ですら格好よい存在だったのでかもしれない。
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