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中国古代史あれこれ  作者: kuroyagi
~序 中国古代史へのいざない~
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古代中国から続くもの~「王」~

「王」という言葉に皆様はどんなイメージを持たれるか?例えば「王道」はあっても「皇帝道」「帝道」はない。「百獣の王」はあるが、「百獣の皇帝」は見当たらない。「王権」は言っても、「皇帝権」はいわれない。王と皇帝にはこのような違いがみられる。何となくではあるが、「王」には周りから推しあげられたか、天上から賜るような、他からのちからが加わったイメージがみられる。

古代中国の「王」は、商王朝(教科書等では殷とあるがここでは商に固定する)の祖である湯からつけられた。「王」という漢字は、「鉞の広い部分」からとられたらしい。大切な事は、鉞は正義を執り行うために使う武器であり、これを持つものは正義の代行者となることだ(この場合の正義とは現代の物とは異なる)。前王朝の夏王朝は、五帝の一人である「舜」から禅譲されたので「帝」を名のっていたようであるが、商王朝はそれを武力により覆したため、「帝」は使いづらくなった。また、「湯」は有力諸侯の中のリーダー的存在であって、「帝」のような権力者ではなかった。そのため、新しい呼び名が必要になったのでないだろうか。

商王朝に続き、周王朝も「王」の名を継ぐ。周王朝も諸侯の中のリーダーであって、絶対権力者になりえなかったのだ。しかし、周王朝より王のイメージは変わる。というより、変えさせられる。儒教が周の「文王」を聖人にしたからである。これにより「王」は「仁愛」や「仁義」を主として地を治めるイメージになっていったのだ。商王朝の王はかなり血腥い物であったが、儒教の教義により「王」という言葉が「柔和」なイメージとなっていったのではないか。少なくとも私はそう思える。


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