中国古代の王朝~「紂王」と「酒池肉林」~
紂王の行為で評判の悪いものに「酒池肉林」がある。現代でも使われるこの言葉は「過度な奢侈的生活」という意味を持ち、淫靡さと背徳感を感じる。周王朝でも攻撃され続けた行為であり、儒学に置いても敵視されたこの行事ではあるが、当時の価値観で判断すると違う側面が見えてくるのではないか。
何度も書いているが、商王朝は祭政一致の王朝である。どれくらいかというと、祭祀の数のみで王の一年のスケジュールが埋まってしまうくらいだ。王朝にとって神という存在は近しい。そんな近しい神に喜んでもらうために人間が出来る事はまず「祭り」を執り行う事である。古来より祭りは神に捧げるものでもあった。そしてもう一つが「酒」である。古今東西、酒と関係をもつ神の話には枚挙に暇がない。ギリシャ神話には酒の神様がいるし、キリスト教と葡萄酒は不可分だ。日本も古事記以来酒と神様の話は多い。ファンタジーの世界でもこの手の話は沢山あるだろう。酒宴というものは、その「祭り」と「酒」を振る舞える両得の場なのだ。
この酒池肉林を行うとき、紂王は人生の絶頂期にいたのでないか。四方伯と呼ばれる地方豪族を束ねる者達が、臣従を申し出てくれたのである。封神演義でいう「西伯昌」や「顎崇禹」などがそれにあたる。商王朝最大の版図となった紂王は、神にこの栄光を捧げると共に、彼ら四方伯に商王朝の威光を見せつけようとしたのではないか。それが「酒池」となったのだろう。「酒」を満々と湛える「池」を作ることで、神を喜ばせ並み居る者の度肝を抜く。そんな一大イベントを計画した紂王は、間違いなく悦に入っていたであろう。そして恐らくは目論見通りに事は進んだと思われる。
それと「肉林」である。これは「肉欲」のほうではなく、「肉を林のように立てた」という事柄である。紂王は後に動物園らしきものも作った記述があるので、もしかしたら肉を木に吊り下げ肉食獣を放ち、その有り様を楽しむような事も行っていたかもしれない。今でいうならサファリパークの気分であろうか。これもまた、神への捧げ物である。神は珍寄なものを好むとされていたため、当時中国大陸には珍しかった動物を集めて神に披露していたかもしれない。
肉を林野の如く立ててそれを食すとは、どうも話がかみ合わない気がするのだ。
さらに、「男女を裸にして放した」ことも非難されているが、これも前話で書いた通りに神への奉仕である。この当時の神は「綺麗でけがれなきもの」が好みなので、美童や美男子とて対象となる。今なら逮捕案件だが、これは人間側が思っていただけだから、神は無実ではある。また裸は人間の美を現すという意味では、古代ギリシャもそう感じて数多くの彫像を残しているのだから、当時は何も問題ない行為だったのだ。
歴史を紐解けば、古今東西どの支配者も自分の権威を誇示するため、様々なパフォーマンスを行うものである。この後中国の皇帝達は「封禅の儀」を執り行うが、これとて数十万人の人員を動員して神に祷を捧げるのだし、始皇帝は自分の墓に莫大な労力を投じている。歴代王朝は豪奢な宮殿を造って権威を誇示した。西洋でも、舞踏会やパーティー等で散財することで、王族や貴族は権力を維持できた側面はあるのだ。
現在でもアメリカ大統領選で、派手なパフォーマンスによって票の獲得に躍起になっている事は、否定できない事実である。小説家になろうのようなファンタジー世界とて例外ではあるまい。
であるにも関わらず、なぜ紂王の行為は非難されるのか。それは、次代の王朝「周王朝」によってである。周の「文王」は、「質実剛健」、「質素倹約」を旨とする人であった。その人から見た紂王は、理解できない類いの人ではなかったか。彼は子孫に「酒は飲み過ぎないように。あれは毒だ。」と言い残したひとなのだ。そして周の歴代の王は派手なパフォーマンスを出来るほどの権力と財力を手に入れられなかった。その後、孔子による「儒学」は「文王」を聖人にいただき、周の礼法を元に独自の宗派を作っていく。打倒された王であり、聖人たる文王を虐げ、周王朝にも儒学の教えにも逆行する「紂王」の名と行為は徹底的に悪とされていく。歴史の中でも巡り合わせの悪い人間であった事は確かであっただろう。




