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資治通鑑~「資治通鑑」の文法~
「資治通鑑」を編纂した司馬光は、「編年体」を選んだ。資治通鑑までは、史記に代表される「紀伝体」であったが、この資治通鑑を境に以降は編年体に変わったといわれる。
なぜ編年体を選んだか。これは、儒教の教典たる「春秋」を意識した事が挙げられる。「春秋」が書かれたとされる頃から、資治通鑑が編纂されるまでおよそ1500年の月日が流れており、縦の歴史はあっても、横の歴史は公には存在しなかった。志あるものなら、挑んでみたいテーマであろう。優れた儒学者にして、歴史学者でもあった司馬光には、皇帝の詔は天からの声にもきこえたのでないか。
また編年体の利点は、歴史上の出来事に俯瞰の視点で物事を捉えることができる、という点がある。紀伝体では一人の人物に対して、複数人が絡むという形になり、他の人物の描写を見ることも必要となる。例えるなら、一つのイベントに対して、マルチプレイのRPGでか、俯瞰からみたSLGかでみるようなものではなかろうか。優劣ではなく、どちらも必要な視点ではあるが、史記の著述から考えても1000年以上経ったこの時代だからこそ、俯瞰の視点からの編纂は必然だったのかもしれない




