史記~司馬遷と武帝~
三年余の大旅行を終えた司馬遷は、郎中という官職にて宮仕えをはじめる。この郎中という役職はそれなりのコネか卓抜した優秀さが必要だったので、司馬遷は衆に抜きん出た才だったのだろう。郎中は、決まった役目は無いものの皇帝の侍従を務める事から、皇帝の目に留まりやすい職である。実際に司馬遷は時の皇帝、武帝に目をかけられた。この邂逅は司馬遷にとって良かったのか悪かったのか…。確実に言える事は、後世の歴史家にとってはありがたい邂逅であった。司馬遷には申し訳ないことだが。
ここで司馬遷が仕えた武帝について記述してみたいと思う。この皇帝は善きにしろ悪しきにしろ、司馬遷の運命に関わってくるからである。武帝は第七代の皇帝で、治世の前半は名君、後半は暗君という極端な評価の皇帝である。武帝は「武」の諡を冠されているように、外征に極めて積極的であった。これは、前皇帝までの治世のおかけで漢王朝は全盛を極めていて、外征を行う余裕があった事が挙げられる。また穿った見方ではあるが、前皇帝まで内政にて功績を称えられており、武帝としては同じ事をするよりも外征を行う事で功績を残し、後世に名を残そうとしたのではなかろうか。しかし前皇帝までは、大陸の統一や内乱等で直接戦を経験しているに対して、武帝は内乱時に生まれているものの直接戦と対峙はしておらず、そのせいで戦の「空気」に触れていない。その事が戦を軽んじる事にならなかったか。何故なら、この「外征」こそが、司馬遷の運命を大きく変える事となるからである。
また、武帝は巡行好きでもあった。これは司馬遷にとっては大変嬉しかった事であろう。何しろ官費で旅行が出来るのだから。しかも中国大陸には至るところに史跡があるわけだから、公務であっても史跡巡りをしているようなものである。帰還後はレポート提出もあっただろうが、司馬遷であれば喜んで取り組んだであろう事は想像に難くない。
武帝の生涯をみてみると、業績といい後年の暗君ぶりといい、始皇帝を彷彿とさせる。意図したものではなかろうが、漢王朝はこれ以降衰退の道を歩むこととなる。




