中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 倒行逆施 その四十一~
勾践の投降について、伍子胥は当然の如く認めなかった。彼にとって、勾践と范蠡の首を獲ることがこの戦争の眼目であっただろう。呉の国のためにも、闔閭の仇討ちのためにも、この二人の首こそが戦争の収穫であったはずだ。これは孫武とて同じ意見だったに違いない。
しかし、宰相である伯嚭は勾践の助命を乞うた。これを史書では賄賂によるものとしている。しかし、伯嚭は楚との戦いではかなりの戦力であったらしいし、闔閭の代からの重臣であった事を考えると、賄賂に転んだと決めつけるには少し無理がある気がする。少なくとも、伍一族を冤罪に陥れた費無忌とは違うことは確かである。それでも越からの頼みごとの際には、金銭が動いたことはあっただろう。しかし、現代の賄賂と当時の付け届けを同じに扱うわけにはいかない。その当時は、金銭の他寡で誠意を図られる事もあったわけで、一国の王を助けるとあらば、それはもう莫大な額であったことは疑い無い。結局のところ、最後に勾践が勝ってしまったため、伯嚭は悪臣として取り扱われたわけで、商の費仲と似たような運命だったのかもしれない。ただし、伯嚭へ悪魔の囁きがあったことは疑われる。これ以前もこれからも、宰相とそれに近い実力者がいる場合にささやかれる言葉。「これ以下の者が功績を上げれば、あなたは宰相から外されますよ」そう、権力からの転落という致命的なおそれを突かれるのである。伍子胥にはそれほど権力欲はなかったであろうが、伯嚭にとっては一大事であったことは間違いない。
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