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中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 倒行逆施 その三十八~
勾践は呉への侵攻を決めた。ここには孫武の策略もあったのではなかろうか。孫子の兵法は間、いわゆる諜報活動を重視する。その中で、相手国への浸透を図り、思考を誘導する役割も存在する。「内間」というやつである。これにより、呉の弱点を勾践は吹き込まれたのではないか。「人は見たいものしか見ない」とはカエサルの言葉であるが、勾践も前話や前前話の状況から、呉には隙があると信じたかったのかもしれない。しかし、その期待は見事に裏切られることとなる。勾践は夫差に越の滅亡寸前にまで追い込まれることとなる。
しかし、呉にも全く隙がないわけではなかった。むしろこの男がいたからこそ、勾践は内間に引っ掛かったのかもしれない。その頃の呉には、後の世に大変な悪名を残す男が宰相となっていた。この男が伍子胥と呉に悲劇的な物語をもたらすこととなる。その男の名は「伯嚭」。彼もまた、伍子胥と同じ亡命組なことを考えると、呉の国は他国民により栄え、他国民により滅びるという皮肉な物語を綴ることとなる。
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