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中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 倒行逆施 その三十八~
また勾践の性格も攻め込むことをえらんだのではないか。勾践は泰然自若な君主ではなく、自ら前線にたつことを好むトップである。座して敵を待つより、自ら攻め込む方に活路を見いだすことは、小数の兵の側ではままある話である。まして一度は呉を破っているのである。勾践が自らの能力を頼りに、もう一度と思っても仕方はない気がする。
勾践をみていると、腰の軽さ、決断の速さ、積極的な人材の登用、必要とあらば相手の沓をなめる事ができるクレバーさ、そして後年の事になるが猜疑心旺盛になる所など、織田信長によく肖ている。この戦いは言うなれば、織田信長が今川義元を破った桶狭間ともいうべきものか。しかし、桶狭間とて信長の本国である尾張まで敵を引き込んでいる。呉は今川義元以上に越を警戒し、また恨んでいた。そのような中に飛び込むのは愚の骨頂といえるものである。この時范蠡は当然出兵には反対した。范蠡ならば、呉をできる限り越の中に引き込み、奇策をもって奔走させ、勾践の義父の楚王へ援軍を要請したであろう。しかし、勾践はこの時范蠡の言を聞かなかった。
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