中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 倒行逆施 その三十七~
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勾践という王は、史書によっては五覇に数えられる位、有能ではあった。その勾践が、何故喪も明けきらぬ呉へ、勝算の薄い戦いを仕掛けてしまったのか。
理由として推測に過ぎないが、いくつか考えられる。まずは、一度呉に勝ってしまったことが挙げられるであろう。越からすれば、この勝利はいわば棚ぼたのものであった。奇策がはまり、闔閭が負傷し、それが元で亡くなるという、ある意味奇跡の連鎖である。ただし、勝った側は勝利を喧伝する必要がある。そこに偶々勝ちました、などの文句を入れられる筈もない。范蠡の事や自分達の武勇を持ち上げることは当然である。その事が次の戦いの困難さを、民が軽く見る事となったのではないか。一度の勝利は、次の勝利を望むことにつながる。しかし、勝敗は兵家の常である。更に呉との戦争は越にとって乾坤一擲の勝負になりかねない。越にとって敗北は、そのまま滅亡に繋がる。本当はその事を民に知らせるべきであったろう。しかし、三年の間に復讐を果たすとの夫差の言葉は、越にも伝わっていたに違いない。その言葉を訊いて、やられる前にやるとの決意が起こり、また一泡ふかせてやるとの思いが民に蔓延しても不思議ではない。南方の民は熱しやすい。その熱意を御せなかったとしても、おかしくない気がするのである。
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