中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 倒行逆施 その三十六~
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古代中国では親、特に父親がなくなった場合、貴族を中心に25ヶ月は喪に服することとなる。それは君主とて例外ではない。政務では余程の大事以外は重臣達により処理され、特に出征は喪に服する者にとって忌む行為であった。呉は南方の国なれど、周王朝の縁者と名乗る以上この仕来たりは守ったであろう。闔閭の出征は相手国とはいえその禁を破ったわけで、その意味では越の祖霊達に戒められたといっても、よいかもしれない。おそらく優等生たる夫差も喪の期間は守ったであろう。復讐を三年の間に、と誓ったのは、喪に服する事も考慮してかと思われる。
その間伍子胥は、夫差に替わって実質的な宰相として政務を司っていたであろう。王や君主が喪に服する間に国を動かすのは宰相の役目でもある。伍子胥もそろそろ老荘となり、先が短い身となっていたはずで、闔閭の遺言と呉の繁栄を考えると越を討ち滅ぼすことが最後の奉公と考えていたのではないだろうか。夫差の喪が明け次第、越に攻め込めるよう準備に余念がなかったであろう。その事が相手の越の焦りを誘う。勾践は戦ってはいけない相手と、戦うべきでない時に戦をしかけてしまう。天地人全てに逆らってしまった勾践は、これから苦難を背負うこととなる。
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