中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 倒行逆施 その三十五~
夫差は父の仇を討つために、毎晩薪の上で寝たという。これが「臥薪」の由来である。親の遺言を忘れず、遺言に忠実な様は、優等生タイプの王と謂われる所以でもある。
しかしそもそもなぜ「臥薪」なのであろうか?これは、晏嬰の項でも紹介したが、親が亡くなったときの弔い方と関連があるかと思われる。本来の親が亡くなったときの弔いかたは、25ヶ月間、粗衣を着て、薄粥をすすり、筵で寝るのである。流石にこの時代ではそこまでする人は希であり、王ともなれば政務を疎かにしてまで父を追悼するわけにはいかない。そこで、政務ではないプライベートタイムの就寝時間だけは、この形式を真似る事で父の追慕を果たすと共に、更にもう一つパフォーマンスを加えることで、仇討ちも忘れていないと周囲に見せたかったのではないか。何しろ史書を書き記す史官といえど、プライベートといえる王の寝所に勝手に立ち入ることはできなかったであろう。薪に寝る姿を誰かに公開しなければ、史書には記載されないのだから、パフォーマンス以外の何者でもあるまい。
しかし、古今東西この手のパフォーマンスをしたがる政治家は、大体人物的に中身が薄い人が多い。元々父を追悼し、遺言を忘れないという誓いは、古代に限らずアジア圏にはそういった「陰徳」の考え方も根付いているわけで、人に隠れてやるべきであろう。それを見せつける事自体に、夫差の性格がうかがえる。おそらく夫差は優等生タイプを演じていたのであろう。この後、越との戦いで夫差の本性が徐々に現れ始める。この事が伍子胥にとっての不幸となって行く。
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