中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 和而不同~
「和して同ぜず」とは論語に出てくる言葉だが、同時代に同じような言葉を後の世に遺した人がいる。春秋時代でも一、二を争う名宰相と言われた晏嬰である。先の言葉は、その時の君主、景公へのある一言への強烈な突っ込みである。どこかのサイトに「晏嬰は景公の突っ込み役」とあったが、正にそのような関係性であった。ちなみにどのような会話かというと…
【景公が自分に媚びる近臣を見て「あの者は自分と和するなぁ。」と言ったのを聞き咎めた晏嬰は、「彼の存在は同する、というのです。君主が命じたことに考えずに「はい」としか頷かないのは、水に水を足すようなもので、意味がありません。和するとは要するに足し算です。不興を被ろうとも君主が命じたことにすぐに頷かず、足りない所を考えて補い完璧にすする。言うなれば、様々な具材を入れて羹を作ることが和するというのです。」言われた景公は自分の愛する臣を貶されて、甚だ機嫌を損ねたという。】
要するに「イエスマンばかりでは駄目になるから、諫言にも耳を傾けなさい。」という晏嬰からの愛の突っ込みである。しかし、景公は一時不快に思うものの、結局晏嬰の意見を取り入れ傍から離そうとはしなかった。そこにこの君主の救いがあった。
晏嬰という人を一言で表すなら「直言の人」である。誰に向かっても、どのような場面でも、おもねらず正しき事をはっきりともの申す人であった。おそらく晏嬰には神の加護があったのではあるまいか。そう思えるほど、命がけの場面でも暴虐な支配者にも正言を掲げて、それを貫き通し生き続けるのである。そして、恐ろしいことに晏嬰を遠ざけたり。言を聞かなかった者達は非業の死を遂げている。逆に晏嬰を側に置いた者は、幸福が訪れている。先の景公は正直盆暗君主であったが、彼の時代に斉の国は、桓公に並ぶ盛況ぶりを見せることとなる。正に神に愛された人物なのであろう。




