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中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 火より水を恐れよ その二~
では、子産は何を目指していたのか。それを考えるために、彼の人となりをみてみたい。子産は孔子と親交があり、兄弟のように遇されていたという。孔子は好悪の情が激しい人であるから、嫌いな人であればこのような待遇は受けないであろう。また、子産が亡くなったとき涙を流して死を惜しんだというから、肝胆相照らす事ができる人格であった筈だ。また、この時代に各国を廻っていた「季札」という人物がいる。呉の国の人で、当代随一の知識と礼を体現し、何となく周の文王を彷彿とさせる人物である。この人は、各国の重臣と面談した記録が残っているが、その人物たちが時代を代表する人格者が多いのである。おそらく自分とレベルの釣り合う人間の記録しか遺っていないのだろう。このような事例から見ると、子産が相当な人格者である事が窺える。彼は礼にも精通していたと謂われるが、それも頷ける。
その子産が、中国史上初の「法」を制定したとされる。それにより各国の名だたる人物から、色々と非難されている。この時代に限らないが、中国大陸では国を治めるには「徳」をもって為すのが、最上の価値観である。人格者とされる子産が法に頼ることは、君子と言われる人達からすれば一種の敗北と思えたのではないだろうか。




