中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 火より水を恐れよ~
この稿でも度々登場する鄭の国に、公族の一人として誕生し、後に名宰相と讃えられるのが「子産」である。
この人が宰相となった頃に、春秋時代でも画期的な出来事があった。「弭兵の会」である。これは晋と楚を中心にして弭兵、すなわち停戦協定を結んだのである。当然両国の間にある鄭も戦禍が治まるのだから、この会に尽力したであろう。その際にも子産が活躍したのはいうまでもない。
元々鄭のは中原の中央付近にあり、後周の始まりには強国であった。2代目たる「武公」は後周を確立させた人物であり、覇者と名はついていなかったが、実質上では最初の覇者であったろう。しかし中央にあるという事は、周りにも狙われやすい事でもある。南に楚の国が勢力を伸ばし、北に同じ「姫」姓でありながらほぼ多民族国家で拡大路線をとる晋とに挟まれてしまった。こうなると独立する実力がないうえに、どちらか一方に付くという選択肢すらとれなくなってしまい、両面外交をせざるをえない状況となってしまった。これは国を保つには必要な事であったが、人間の感情としては、そういう事する人間を好まないのは仕方がないであろう。鄭の民は他の民から、節度のない民と見られていた。
そんな状況下のなかで、最も節度がない指導者が政治をしていた時期に、子産は成長した。政治の中心にいなかった分、民や士、下級貴族たちの声は聞こえやすかったであろう。他の国から鄭の国がどう見られているかも、よく見えていたはずだ。そうした声を聞き、目を見て、子産は国の形をどうすればよいか考えた筈だ。




