中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 唇滅歯寒~
春秋時代の名を宰相は、大国だけにあったのではない。晋の国に滅ぼされる事と為った「虞」の国に「宮之奇」という賢相がいた。この人がいった言葉に「唇滅べば歯寒し」と後の世に使われた名言が残っている。
そもそも虞の国は、晋と当時大国であった「虢」の国の間にあった。こういう国の場合、後の晋と楚の間にあり何度も戦禍に見舞われた「鄭」のように、緩衝地帯になりかねない。だが虞の国は両軍を通さず、両国の均衡を保つ事で戦禍を免れていた。それを実現していたのが宮之奇とされており、この人物のお陰でどちらの国も攻め込めないと言われる程の影響力をもっていた。ちなみにこの三国の姓はおなじ「姫」であり、周王朝所縁の家でもある。
さて、晋の荘公の時代、晋は拡張路線の一途を辿っていた。虢の国も同じ様に侵略を繰り返しており、両国は一触即発であった。両国とも相手を滅ぼさんと考えていたが、そのためには虞を通らなければならない。しかし、虞はどちらの軍も通す許可は出さなかった。そうなると迂回して軍を起こす事になるが、それでは相手に気づかれてしまう。どうすれば相手に気づかれずに奇襲をかけるか。この時晋の重臣がある策をたてる。虞の当時の君主は、虢の国が大嫌いであった。それを知っている重臣は、虞の国へ賂として荘公の愛馬と玉を差し出し、虞を通してもらう策を実行し見事に成功させる。これもまた故事成語になっているが、とにかく虢の国の半分は晋の物となった。賂をもらった上に、虢に痛い目をみせた虞侯は上機嫌であったろう。翌年晋がもう一度虞を通りたいと言ったとき、二つ返事でこれをうけた。それに対して宮之奇が諫言した言葉が冒頭の「唇滅べば歯寒し」である。
宮之奇は虞の国が、両面外交によってのみ成立することを感じていたのであろう。一方が一方を支配するようになれば、間の国には存在価値がなくなってしまう。これを思った宮之奇は強諫を行ったが、虞侯は妙な言い訳をして取り入れなかった。そして、宮之奇の予言通り、虞の国は虢滅亡後の帰り道に、晋に滅ぼされるのである。
この事について、敵方である晋の側に的確な指摘がある。「宮之奇と虞侯は近すぎて、諫言が軽く扱われる可能性が高いです」と。確かに親の言より先生の言の方が、人は聞くものである。思うに虞の国は、宮之奇に頼りっきりになってしまっていたのであろう。それ故自分で考える事が出来る人材が育たなかった可能性がある。複数人の諫言があれば、虞侯も聞き入れざるを得なかったかもしれない。この虞が滅ぼされる時に、捕虜となった人物がいる。百里奚というその人物こそ、後に秦の国で名宰相となるその人である。この人物を見いだせなかったのも、宮之奇の存在が大きすぎたのかもしれない。
宮之奇は最後の最後で虞を救えなかった。だか、宮之奇自身は晋が虢を滅ぼす頃に、虞の国から亡命を果たしている。小国に賢人が集まっていたのに、上や周りがそれを見抜けなかった一つの悲劇であろう。やはり虞の国は滅ぶ運命だったのかもしれない。




