中国古代の王朝~「周王朝 春秋時代」 宰相 その一~
春秋時代は、戦国時代と比較すると名宰相が多い事に気づく。理由は色々あるが、一番簡単な理由は国の数の違いであろう。春秋時代の最初は所謂八百諸侯に近い状態であり、小国から大国まで侯の補佐は必要であった。
また、先程の邦が多い事とリンクするのだが、邦が多い分一国の規模が大きくないことになる。戦国時代の宰相は政治家であることが多かったが、この頃の宰相は規模の小ささから、軍事から内政まで全権を握ることが可能である。全権を握れるということは、国の改革もしやすい立場という事であり、改革に成功した者が個人の名声を得やすくなるというというわけだ。三國志でいうなら、魏の国の丞相といっても直ぐに名前が思い浮かばないが、蜀の丞相といえば諸葛亮孔明と出てくるような感じだと思われる。蜀の国は魏の国土の約三分の一だったので、孔明一人でも目が届いたのであろう。魏の国であれば、流石に孔明だけでは無理があった筈だ。
もうひとつ、前周では敵は大体騎馬民族に代表される「夷」であり、邦同士は小競り合い程度であった。しかし後周に入ると、まず楚が周りの小国を併呑し、大国へと変貌しはじめる。そしてそれを各諸侯が警戒し、小国が大国を恃みにするようになる。実質的に大国が小国を従えるようになるが、従えられた小国も併呑はまぬがれたい。そうなると大国と虚々実々の駆け引きをする人材が必要となる。そして、後周では楚の伸長政策により、国同士の争いが小競り合いから、併呑を目的とした戦いへと発展していくのである。こうなると、家柄ばかりでは人材が間に合わなくなる。勢い前話のこともあり、士や庶民からも賢人が登用され、功績次第で地位が向上していくこととなる。
様々な理由により人材が豊富となり、宰相クラスの人間が有能でないと、国の運営が出来ない時代となっていく。それにともに、君主も配下の能力を正確に把握し、酬いなければならない時代でもあった。




