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暫く後、ヴィディーレ、リート、そしてラフェと名乗った男の三人は仲良く街中を歩いていた。何故、こうなったのか。それは少し時をさかのぼる。
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「とりあえず化膿はしてなさそうだな残念」
「リートさん……。出来ればもう少ぉし丁寧にやってくれんかね?見ている俺も居たいんだが?」
「くぅぅっ」
訳の分からない状況をとりあえず全力でスルーした後、ヴィディーレは薬師であると紹介されたリートから治療を受けていた。受けては居たのだが、如何せん、荒い。巻いてあった包帯と薬の塗ったガーゼを思いっきり引っぺがし、状態を見た後に心底つまらなそうに回復状態を詰る。経験上から言っても腕は恐ろしく確かなのはわかるのだが、荒い。
「いてぇ……」
「これくらいで根を上げるとは。情けない男だ。この程度、ラフェでも耐えられるというに」
「いや、俺もつらかったりするんだが……」
悶絶するヴィディーレと青ざめる男、改めラフェ。ガタイの良い戦闘職たる二人の男に恐怖の目で見つめられているが、リートは一切気に掛けない。寧ろ嬉々として楽しんでいる。
「おい、お前の相棒、どうなってやがる」
「ば、馬鹿!」
食いしばった歯の隙間から零れ出た文句。正当な文句であるはずだが、言われた方はというと、哀れなくらいの慌てようで、ヴィディーレの口を閉ざそうとしている。そこではっと失言に気付いたヴィディーレだったがもう遅い。恐る恐るリートの様子を窺うが、当の本人は、にっこり笑うのみ。
「いや、その」
「ん?何か?俺は、何も、気にして、ないけど?」
天使もかくやな笑みを浮かべる青年と巨体をこれでもかと縮める男を何度も見やり、ヴィディーレはその頭を全力回転させる。
此処から、どうやって逃げる。
その思考に必死なヴィディーレの包帯を丁寧に巻きつけたリートは、終わりだと言わんばかりにその背を叩く。
「くぅあっ」
じぃんと痺れが全身を駆け回り涙目でリートを睨む。しかし相手はリートである。そんな視線はモノともせずに、にっこり笑う。
「じゃ、大金貨5枚ね」
「……は?」
間抜けな声が二人分。相棒であるはずのラフェがどうしてそのような声を出すのかは一旦置いておくとして。
「大金貨5枚⁈おま、どんだけ、ぼったくるつもり⁈」
言われた金額に絶句する。流通している通貨は6種類。金、銀、銅貨でそれぞれ大と小がある。基本的に使われるのは大銀貨、頑張って小金貨だろう。大金貨と言えば一枚で普通の4人家族の一か月分の生活費が楽々賄えて、おつりがくる。それを5枚。
治療費は払うつもりではあったが、余りにも。いや、払えるが。
非難の眼差しを向けるものの、リートの紅い唇が弧を描くのを見て悪寒が走る。
いや、負けるな。これは完全にぼったくりだ。
「ぼったくり?ダンジョンで倒れている君をここまで連れてきて?とんでもなく面倒くさい解毒をし?全身打撲の手当てをし?普通だったら全治数か月もおかしくないところを一か月、もしくはそれ以下に短縮し?次いでに子供たちの怪我も?これまでやったんだけど?」
結局、リートに勝てるはずもないヴィディーレであった。
――――――――――
そんなこんなで、三人はギルド会館へと向かっていた。ギルド会館は冒険者達の銀行も兼ねている。ギルドカードさえあれば、どこででも預けられ、どこででも引き出せる。それを利用して治療費をさっさと払ってしまうことにしたのだ。
「金貨。金貨」
ふんふん、と愉し気に口ずさむリート。やや後ろをついていく男二人は疲れた表情を隠せない。
「そんなに金が欲しいか……」
「守銭奴だからな……」
極々小さな声で悪態をつくと、隣から同じく極々小さい声で返答がある。随分と律儀な性格だなと思いつつ、リートの相棒である事への同情の目をむけてしまう。その視線の意味を正しく理解したラフェが遠い目をする。すると。
「何か言ったか?」
くるりと振り返ったリートが可愛らしく小首をかしげている。ただし、その眼は一切笑っていないため、底冷えのする笑みであるが。
「じっ……」
地獄耳、と悪態をつきそうになって口をつぐむ。ヴィディーレに自殺願望はない。どう言い訳したものか、と頭の中を過去最高に回転させていたが、ふと、リートの目が自分達を素通りしていることに気付く。
「おい、リー……」
保身の為一切口を開かないラフェに変わって何事かと問おうとしたヴィディーレだったが、問いを発する前にさらっと無視され、その脇を通り抜けられる。
俯き、拳を握って数を数え始めるヴィディーレ。ポンと肩に置かれた手に顔を上げ、恨みがましい視線を投げかける。
「ああいう奴さ」
ニカッと、多分に諦めを含んだ笑みを向けられれば最早どうにでもなれ、と思ってしまうのは仕方ないだろう。とりあえずため息をついて視線を巡らせる。すると、性格最悪の守銭奴、もとい薬師は、冒険者であろう剣士に纏わりついていた。
「何やってんだ?」
「あいつ、またっ」
二人の声が被る。訝し気なヴィディーレの視線を気まずそうに避けるラフェ。そそくさと相棒の側に寄っていく。その様子に、先程からずっと付きまとう嫌な予感が一段階高まる。
「つまり、俺に任せればその症状は治まる、ということさ」
裏の無さそうな純真な声。その内容が聞こえた時、ヴィディーレの体から力が抜ける。
あいつ、また。
その指す意味は、"あいつ、またぼったくり治療を"。いや、腕はいいから、良いんだけど。それにしても、相手は冒険者としてはよろしくないのか、残念な風体をしている。ハッキリ言ってみずぼらしい。金、無さそう。そんでもって、こんな相手にたかったら。
「おいっ……⁈」
流石に、と止めようとした瞬間、がっしりと羽交い絞めにされる。犯人は言わずとしてた苦労人。ブンブンと頭を振って、口パクをする。
こ、ろ、さ、れ、る、ぞ。
リートを止めようとするヴィディーレと、ヴィディーレを止めようとするラフェの攻防はなんのその。さっさと治療を進めていくリート。肩から掛けていた大き目のバッグから幾つもの薬を取り出す。
「ちょいま、落ち着け!!」
「それはお前だぁ!!」
哀れな犠牲者の事を思ってあわあわするヴィディーレとリートの逆鱗に触れまいと必死なラフェが喚く中、リートがさっさと冒険者に薬を飲ませていく。
「倦怠感、謎の魔力喪失。そんでもって、さっき見えた影……」
ブツブツ呟くリートがニヤァと笑う。その笑みが見えてしまったヴィディーレ、ラフェ、そして哀れな子羊の顔から血の気が引く。刹那。
「ぐぁぁぁぁ⁈」
突然冒険者のみすぼらしい……ではなく、引き締まった体が弓なりになって苦しみ始める。
「おいっ⁈」
「先程からなんだ喧しい。お前たちは静かにするという簡単な事すら出来んのか」
苦しむ男と、平然とする美青年。それに詰め寄る美丈夫と、さらにそれを押さえようと必死なもう一人の美丈夫。最後の一人は既に、目の前の光景を見ていないモノとしている。
そんな光景に、周りの人間が足を止め、興味津々で様子を窺ってくる。そんなのっぴきならない状況にヴィディーレは更に焦る。
「大丈夫なのかよコレっ」
「だから喧しいと。それにこの俺を誰だと思ってるんだ?大丈夫に決まって……。お、始まったな」
「なっ?!」
もがき苦しむ男の全身から煙の様なものが噴き出している。まるでそれ自体が意志を持つかのように蠢く様に、周りの野次馬すらも悲鳴を上げて距離を取る。その時、ヴィディーレは頭の中で警鐘が鳴り響くのを感じ、顔色を変える。この勘は今まで外れたことはなく、何度も助けられた。しかも、それが起きるのは決まって命の危険があるとき。
流石にマズいと思ったのか、力の抜けた腕から脱出しリートに詰め寄る。
「コイツ、相当ヤバい!今すぐどうにかしないとっ」
「だから、喧しいと言っているだろうが。これ自体、大したもんじゃねぇよ」
「んな呑気な事言ってる場合か!」
何処までもマイペースなリートに怒鳴るヴィディーレ。とっさに封印系の魔法を思い浮かべるものの、元々攻撃特化タイプのヴィディーレ。攻撃魔法以外は不得手。どうするのか、とリートを振り返り、息をのむ。
飄々とした表情は先程までと同じ。のんびり構え、それからゴソゴソとカバンを漁り何かを引っ張りだす様も特に変わった様子はない。にもかかわらず、何処か違和感があって。
スルリと脇を抜けて前に出ていくリートの顔を見て、漸く気付く。その眼は全く笑ってなかった。先程までの揶揄いの冷ややかさとは違う、恐ろしいまでに真剣な眼差し。そして、何処か冷酷さを醸し出す、その瞳だ。
「さぁて、大人しく捕まって貰おうか?」
ばさり、と手に持った紙を拡げて声を上げるリート。同時に、その紙に書かれた魔法陣が光を放ち、煙を吸い込んでいく。
抵抗するように蠢いていた煙だったが、やがて全て吸収される。最後に魔法陣が大きく輝き、完全に沈黙すれば、魔法陣を使用した封印が完成する。魔力を持っていればだれでも簡単に魔法が使用できる、いわゆる魔道具と呼ばれるものだ。
「一件落着」
それだけ呟いてクルクルと封印を行った紙―魔道具を巻いてしまうリート。その鮮やかな手並みに唖然としていた周囲の者達だったが、はっと我に返り、その華奢な痩身に称賛の声を浴びせかける。
その声に対し、優雅に一礼したリートはニコリと一瞬笑ってから男に近寄っていく。その際、人に見えない角度でヴィディーレに向かって侮蔑の眼差しを投げるのも忘れない。男を起こそうと声を掛けるその側で、ワナワナと震えるヴィディーレの肩を叩き、慰めるラフェ。その眼は、だから言ったといわんばかりである。
「では、この薬、体力回復薬と魔力回復薬だからきちんと飲んでおくように」
目で会話を続ける男二人を他所に、治療は終わったと薬を押し付けて立ち上がるリート。早速薬を飲んだ男が、もう既にその効果を体感したのか驚いて目を見張っている。だが、さっさと去ろうとしているリートの姿を見るや、動きづらそうにしつつも、冒険者の男が慌てて起き上がりカバンから金子の入った袋を取り出す。
「あの!金!」
「ああ、じゃあ魔法薬三つ分な。全部で小銀貨一枚でいい」
「へ?」
間抜けな声が二つ。勿論、冒険者の男とヴィディーレである。絶句する二人に、慈愛に満ちた笑みを浮かべ、リートが囁くように告げる。
「人を助けるのが、薬師の務めだ。気にするな」
再びワナワナと震えだすヴィディーレと、感動して涙ぐむ男。
「何処へ行っても治療法はないといわれた病を治療してくれただけでなく、凄い効き目の薬を処方してくれたのに。それだけでありがたいのに、そんな低価格でいいとおっしゃるなんてっ」
捧げるように小銀貨一枚を渡され、リートが微笑んで受け取る。周りの称賛、感嘆の声にはにかんで答えつつ、その場を後にする。その後に、震えたまま動かないヴィディーレを引き摺ってラフェが続く。暫く歩き、人通りのない小道に入った所で、ヴィディーレが復活する。
「おいアレどういうことだ⁈俺は大金貨5枚であっちは小銀貨1枚だと⁈」
「喧しいと何度言わせるつもりだ能無し!」
早速噛みつくものの、へっと吐き捨てられ睨みつける。
「百歩譲って、あっちが金無さそうだし、金額差があるのはいいとして、それをあっさり引き下がるなんてどういう風の吹きまわしだ⁈お前、ホントにリートか⁈」
「それはどういうことだ?失礼にも程があるだろう!」
グルルと唸り合う二人。この短い間で、良くこれだけ理解したもんだとヴィディーレを内心で褒めつつ傍観するラフェ。触らぬ神に何とやら。
しかし、一向に睨みあうだけで話が進まない二人に、やれやれと首を振って種明かしをリートに促す。
「どーせ、大金を得られる算段があったんだろ?」
「は?」
疑問符を浮かべるヴィディーレに肩を竦めるラフェ。彼はリートと付き合いが長い為、大体考えそうなことに予想がつく。今回の場合はそんな事だろう?と視線を投げると、リートはその薄い胸を逸らし、どや顔をする。
「これを治癒ギルドに持っていけば金が手に入るのさ。この大きさだったら大金貨10枚はくだらないね」
「はぁ⁈」
やれやれと力なく頭を振るラフェと、悲鳴に似た声を上げるヴィディーレ。リートの手にある封印の術式が掛かれた紙を一瞥して、何処にそんな価値が、いや、それよりもやはりリートはリートだったか、と現実逃避に似た何かを始める。ラフェはというと、頭痛が引いてきたのか頭を上げ、溜息交じりにリートを一瞥。ついでの様に呟く。
「アレか?」
「っ正解」
極僅かな間をおいて飄々と返すリート。二人の視線が一瞬昏い色を孕んで交わり、すぐに掻き消える。その一瞬を目敏く目撃していたヴィディーレだったが、すぐに自分の分るモノでなく、二人が話すことも無いだろうと目を細めるだけで流す。
「と、いう訳で。とりあえず薬師ギルド会館に向かうか」
クルリと踵を返して足取りも軽く動き始める。
「……疲れた」
「まぁ、そんなもんさ」
アハハと乾いた笑いを零してラフェがリートを追いかけ始める。大きく頭を振ってソレに続いたヴィディーレは、ふと気になっていたことを思い出す。
「そう言えば、俺たちが初めてあった時、リートがなんか耳打ちしてたろ。アレ、何だった訳?」
それを聞いたラフェの足がピタリと止まる。
「聞きたい?」
ヤケに虚ろな笑みを浮かべて問うてくるラフェに、ヴィディーレが一歩後ずさる。とりあえずお互いに引きつった笑みを披露しあい、ポツリとラフェが零す。
「とりあえず、お前さんの治療費をぼったくり、その上、今闘えばお前さんの傷が更に増えるだろうからその治療費が上乗せできるってさ」
聞かなきゃ良かった。というか、それを聞いた目の前の男が止めに入るようなきちんとした人間で良かった。
頭を抱えて、心底思うヴィディーレであった。因みに、その瞬間を戻ってきたリートが一瞥して、大の大人二人が変な顔で笑い合うなんて気持ち悪い、と毒を吐いたのは余談である。
あれ、ちょっと、長い……?というか、すすまない……?