買い物での邂逅
「合計で千円のお買い上げでございます」
やってしまった……もやし、納豆、天かす、氷だけを買うだけなら、絶対にこんな値段にはならない。では、何故こんな値段になっているか……それは、余分な物を買ってしまったからだ。
これも安い、あれも安い。今買っておかなくては、絶対に損だと思い、ついついカゴに入れてしまったのだ。カゴに入れている時は、まだ大丈夫。まだ問題無いと思いつつ入れてしまった。
その結果が、このザマである。
(はぁー……)
俺は心の中で、自分の犯した過ちを悔いながらも、ため息を付く。
がっくりと肩を落としていると、後から自分に話し掛けてくる声がした。
「あれれー?まさか淵本がこんな時間に出歩いているとは……」
声のした方に視線を巡らせると、そこには自分より少し幼いぐらいの女の子が居た。
髪色は栗色で、長さは肩より少しあるぐらい。所謂セミロングという長さだ。
顔立ちは容姿端麗とは言い難いが、それなりに整っていると言えるだろう。
特徴的な小顔と、くりっとした二重の目が相まって、可愛い顔と言える顔立ちだ。
(さて、この女の子は誰だろう……)
俺にはこの子がどこの誰なのか、皆目見当もつかなかった。
それは仕方の無いことだ。俺……淵本千真は記憶喪失なのだ。
知識は残っているが、記憶は全て消失している。所謂、エピソード記憶のみが消失している状態だ。
当然、おそらく知り合いだったであろうこの女の子の事を欠片も覚えていない。
それ故に、この女の子の存在は厄介だ。
知り合いならば、俺が踏み違えた発言をすれば、何かしらの違和感を覚えてしまうかもしれない。
その違和感のある発言が数日続けば、ふとした拍子に記憶喪失をしている事がバレてしまうかもしれない。
記憶喪失をしている事を知られたくない俺としては、次の俺の発言は大事な物になるだろう。
(考えろ……考えるんだ俺!)
俺は自分の脳を通常の何倍も働かせ、言葉を考えた。
しかし、人間という生き物は意識すればする程、通常の時よりも実力が発揮できなくなる生き物だ。
例外としてメンタルが強いと言われる人……所謂、本番に強いタイプの人もいるが、俺はそれに当てはまらなかった。
(駄目だ、思い付かない……)
その結果、沈黙という自体に陥ってしまった。
沈黙というのも一つの手かもしれないが、自分の名前を呼んでいる相手にそれをするのは、悪手としか思えない。
あーでもない。こーでもないと俺は考えたが、結局どうにでもなれーと考える事を止めた。
「そんなに珍しいか?」
俺は適当にそう答えたが、ありきたりな返答を出来たのではないかと思った。
「昼間に出掛けるとかバカがする事だよとかこの間言ってたじゃん!……それに仕事も夜しかやらないし……」
どうやら場を凌ぐ事には成功したようだ。
(それにしても記憶喪失をする前の俺は、そんな事を言っていたのか……)
確かに今の自分も昼間出掛けるのは嫌だなと思うが、さすがに昼間出掛ける事は馬鹿がする事とは思えなかった。
多分ウケ狙い?か何かで言ったのだろう。
それよりも、この女の子は気になる発言をしていた。
この女の子は、俺に向かって「仕事」も夜しかやらないしと言ったのだ。
俺の部屋には、教科書が散らばっていた。教科書には、しっかりと高等学校数学やら英語等と記されていた。
その教科書があるという事は、俺が高校生だという事を表している。
もちろん、高校を卒業している可能性もあるが、散らばっていた教科書の裏の名前を書く欄には、二年と書かれていた。
つまり、俺は記憶を失う前は高校二年の教科書を使っていた事になる。現に部屋中に散らばっていたのだ。その可能性はかなり高い。
だから、俺が仕事をやっていたとは到底思えない。
アルバイトをしていたという可能性はゼロではないが、そうなるとこの女の子の発言がおかしくなる。
この女の子はバイトではなく、態々仕事と言ったのだ。
バイトと仕事では働くという面では一緒かもしれないが、学生が「今日仕事怠いわ」と言うと違和感しか感じられない。
逆に「今日バイト怠いわ」と言えば、違和感は全くと言っていい程感じられない。
つまり俺はバイトではなく、何らかの仕事……所謂勤労学生だった可能性がある。
あくまでも可能性の話であり、単にこの女の子がバイトの事をバイトとは言わずに、仕事と言う人だけなのかもしれないが。
「そんな事言ったけ?」
とりあえず俺は、惚けた返しをした。
特に理由はないが、自然と出た言葉がそれだった。
「言ったよ!……それより、最近何でホームに来ないの?……あの人メッチャ怒ってたよ」
俺の恍ける発言に対して、この女の子は違和感を感じなかったようだ。
それよりも、この女の子はまたも気になる発言をした。
この女の子は、ホームと言ったのだ。
ホームを直訳すると家になるのだが、この女の子の発言のニュアンスを鑑みると、家という意味でホームと言ったとは到底思えない。
上手くは説明出来ないが、家というよりかは集合場所と言うようなニュアンスで、この女の子はホームと言った。
ホームを家と仮定して、女の子の発言を復唱すると「それより、最近何で家に来ないの?」となる。
これでは、違和感しか感じられない。
では、ホームを集合場所と仮定すると、「それより、最近何で集合場所に来ないの?」となる。
集合場所が何処かは分からないが、集合場所の名前をホームの所に入れれば、違和感はほぼ無くなる。
そうなると、俺は何らかの形でこの女の子と行動を共にしていた事になる。
それを裏付けるかのように、女の子は「来ないの?」と俺に聞いた。まるで、ホームに来る事を待っているかの様にだ。
普通ならば、「行かないの?」と聞く筈だ。
それをこの女の子は、態々「来ないの?」と聞いたのだ。
もう俺はこの女の子と行動を共にしていた事は、ほぼ確定と言っていいだろう。
さらに、女の子はもう一つ気になる発言をしていた。
それは、「あの人メッチャ怒ってたよ」の所だ。
そもそも、あの人とは一体誰なのか……おそらく、俺とこの女の子以外の仲間みたいな存在だとは思うが、この発言だけではそれ以外の事は検討も付かなかった。
だが、自分の置かれていた環境を知るという意味では、あの人とやらに会った方が得はあるだろう。
もちろん、会話には細心の注意を払うが。
「……どんな風に怒ってたのか聞いても良いか?」
「それはもうねー……氷で淵本の顔を作っては壊し、壊してはまた作りを繰り返してたよ!」
それもこの女の子が言うあの人は、物凄くお怒りのようだ。
俺は何かしらの事をやらかしたようだが、記憶が無いので謝るにしても何をどう謝れば良いか全く分からない。
自分が置かれていた環境を知る為に、一度あの人とやらに会ってみたいと思ったが、これではあの人に会った時に、余計に怒られてしまう……。
「とりあえず、今日はホームに来た方が良いよ……これから用事あるから、マタネ」
女の子は最後に一言そう忠告し、手を振りながら街中に消えていった。
(……結局ホームというのは、何処にあるんだ)
俺は結局ホームが何処にあるかすらも分からず、女の子との会話を終えた。
これでは、忠告してもらえた意味が無い。
「まぁ、今日会えなくても死ぬ事はないよな?」
俺はそう自分に言い聞かせつつ、帰途へついた。