責任者
時代が進むにつれ、人々の労働と仕事において機械やロボットの占める割合は大きくなっていった。次々と人々は労働から解放されていった。そして、いつしか仕事を持って働くということ、つまり労働は人々にとって権利義務ではなく、ある種のステータスとなっていた。
製造業から農業に至るまで完全オートメーション化され、各分野で特化した人工知能によって生産管理されていた。多くの人々は働くことなく、各々やりたいことをやるか、怠惰に過ごしていた。今や世界で働く人々と言えば科学者か芸術家の類、それと伝統芸能の職人か、さもなくば形ばかりの政治家と、そして“責任者”と呼ばれる人たちだった。
全てを人工知能に任せ、無人のオートメーション化するにあたって問題がないわけではなかった。それどころか、ある種の特殊な問題が発生した。人工知能に仕事を任せて、もしもトラブルが起きたらその責任の所在は何処にいってしまうのかということだった。もちろんその人工知能自身に負わせればよいではないかという声もあったが、一方で、それでは権利はどうなるのだといった意見まで出てくる始末であった。このデリケートな内容をはらんだ問題は“責任者”と言う職業を新たに作ることによって解決が図られた。これは文字通り、もしものときに責任を負うという仕事だった。
“責任者”の仕事の内容は月に数回、生産ラインのシステム、ソフトウェアの確認をするというものだった。非常にシンプルな仕事内容だった。だが、この職を得るためには機械工学から始まり電気工学、プログラミング、統計学などの多くの知識を頭に入れておかねばならなかった。加えて技術も身につける必要があった。そして何よりそれらを踏まえた試験に合格する必要があった。
今、ある工場の制御室でパソコンの画面を眺めている男がいた。その彼も難関試験をくぐり抜け、“責任者”と言う職を得た一人だった。
「よしっ。チェック完了っと。今日も異常なしだ」
画面をスクロールし終え、男はそう言って画面から目を離すと両手をあげて伸びをした。男は今日中には出発する予定だった。予てより計画していた海外旅行に行くためだった。
この時代、仕事に着いていない人たちは、その代償と言うほどでもないが、遠くに出掛けることは許されなかった。とはいえ、この便利な世の中でわざわざ時間と手間を掛けて遠出しようと考える人も皆無に近かった。
昔は工場の機械が自動で動いても頻繁に人がチェックし、メンテナンスまでしないといけなかったんて…それでは働くために生きているようなものじゃないか。そんな時代に生まれなくてよかった。帰り支度をしながら男はそんなことをふと思った。しかし、男は不安を抱かないわけではなかった。もし機械やシステムにトラブルがおきて自分が対処できなかったら…。いったいどうなるのだろうか?そもそもそうなること自体が非常に稀なことだ。何重にもトラブルを回避するための策がシステムに組み込まれているのだから大丈夫だ。そもそもトラブルの話も噂もニュースも聞いたことが無いじゃないか。男は自分に言い聞かせた。そして、この後の海外旅行のことに考えを移し、職場を後にした。
その時は唐突にやって来た。旅行から戻ると男は職場から緊急連絡を受けた。男は仕事場に急行した。制御室に向かうとパソコン画面には警告やエラーの表示が出ていた。そして部屋一杯のコンソールは、まるでクリスマスツリーのようにあちこちで赤、黄、緑のランプが瞬き、輝いていた。男はあまりにもカオスな光景に不意に笑いが込み上げてきた。だが、すぐにその気持ちを振り払い、対処に集中した。これはどうすればいいのか。パソコンの画面に向かってみたが、エラー表示を増やすだけだった。部屋には警告音やブザーが充満していた。
「くそっ!」
男は最後の手段を講じた。主電源を落としてシステムを再起動したのだ。ランプが次々と消えていく。パソコンの画面も暗くなり、警告音がすべて消えた。そしてシステムは再び起動した。
トラブルの一件の後、男は省庁から出頭を命じられた。もちろん責任を負うためだった。向かいながら男は不安で頭の中が一杯だった。いったい何をされるのだろうか。そして庁舎に出向くとと一人の職員の出迎えを受けた。庁舎の一室に通されると職員に向かって男は訪ねた。
「私はどうなるのですか?」
男の声には不安が混ざっていた。すると職員はこう答えた。
「貴方のIDを私たちのリストに記録するだけです」
男はいささか拍子抜けした。
「そ、それだけ…」
「ええそうです。それと、貴方はもう仕事に就くことはできません。以上です。どうぞご自由にお帰りください」
職員はそれだけ言うと男の前をあとにして自身の仕事に戻っていった。