5月連休の餡子
5月連休、つまりゴールデンウィークが近づいてきた。しかし学園生活をバイトに尽くすと決めた僕に連休なんてものはない。ゴールデンウィークもシフトを入れようと僕は希望表に記入しておいた。4月も下旬になりミハラ薬品でバイトを始めて約2週間、バイトの仕事にも環境にも慣れてきた頃だ。
「お、相井くんちょうどいいところに」
バックヤードを出たところで店長とばったり遭遇した。
「相井くんは高いところは大丈夫?」
「大丈夫な方ですけど、それがどうかしたんですか?」
「天井に広告がぶら下がっているでしょ?それを新しいものに変えて欲しいんだ」
店内の天井にはセール内容を記した広告がいくつかぶら下がっており、それらは空調機の風によってフラフラと揺れている。どうやらそれを新しい広告に張り替える作業のようだ。
「ゴールデンウィークも近いでしょ?品出しはその間自分がやるから頼むよ」
「あれ?だったら店長がやったほうが早くないですか?」
「自分じゃあ・・・」
「店長?」
何やら店長の様子がおかしい、あえて例えるなら散りかけのチューリップのような・・・
「自分じゃあ天井に届かないんだよぉ!」
チューリップの花が一瞬にして全て散った。お客さんがいるというのに店長は声を張り上げたのだ。ああそうだった、馴染んでしまっていたので忘れていたが店長は背が小さいのだった。そして今の様子を見ると背が小さいのをとても気にしているようだ。店長がネガティブモードに入らないように今後は背の話題を慎むようにしよう。
「相井くんわかる!?この気持ち!」
「わ、分かりましたから・・・お客さん居るしそのへんで・・・」
店長は半泣きでバックヤードに入っていった。時間帯的に混んでいる時間帯ではなかったのでよかったが・・・もしかすると混まない時間帯だからこのような作業を頼んだのかもしれない。店長は・・・しばらくそっとしておいてやろう。
僕は脚立を担いで早速作業にとりかかることにした。最初は“高いところは平気”と大口を叩いたのはいいが今見てみると天井は思ったより高い。レジ打ちの時はお客さんの目線、品出しの時は大体下の方を見るので天井なんて気にしたことがなかった。
脚立を立ててまずは古い広告を取り外す。“新春特別セール”の広告は上の隅2箇所に穴があいており天井にはフックが取り付けられていた。これならばわざわざテープで止める必要はないということである。なるほど、よく考えられている。しかし・・・
ガタガタ・・・
脚立が揺れている。倒れることはないだろうが怖い、これは怖い、大した高さではないが怖いものは怖い。無事に古い広告を回収し、脚立から降りたが未だ足元不安定の状況にいる気分だ。しかし僕のミッションはまだ終わっていない、僕は“ゴールデンウィーク到来”の広告を手に再び脚立を登り始めた。新しい広告にも穴があいているので天井のフックにかければいい。よし、行くぞ。
ガタガタ・・・
ふむ、この揺れは脚立の揺れなのか自分のへっぴり腰のせいなのか・・・
「あ、終わったみたいだね。大丈夫だった?」
脚立を倉庫に片付けると店長が出迎えてきた。高いところは大丈夫と言った手前、死んでも作業が怖かったとは言えない。
「はい、大丈夫でした」
ここはひとつ強がってみる。ここで強がんないと僕の面子が・・・
「じゃあ、次回も頼むよ」
「・・・はい」
「?」
店長が心配そうな目線を送ってくるが気にしない、気にしてはいけない。
「ありがとうございました!」
店先から六倉さんの元気な声が聞こえてきた。
「六倉さん、最初は覇気がなかったのに今はすごい元気に挨拶するよね」
店長がレジで接客にあたっている六倉さんを見てポツリとつぶやく。
「バイト始めて気持ちが変わったんじゃないですか?」
「おや、何か知っているの?」
「いえ・・・仕事戻ります」
多分だけど初日に言った“あの言葉”が効いたのかもしれないが恥ずかしいので逃げるようにその場をあとにした。
4月も残り3日となった頃、僕と千佳は案の定クラスで一番早く紅葉学園に到着した。
「むぅ・・・」
朝っぱらから僕はとある紙とにらめっこしていた。
「何を変な顔しているのよ・・・朝から景気が悪い」
そんなこと言ってジト目を向けている千佳こそ変な顔になっていると僕は思う。因みに入学式以降、登校する際には必ず千佳に家に来ている。登校中、基本的に千佳はご機嫌である。
「いや、5月のシフト表をもらったのだけど・・・」
「だけど?」
「ゴールデンウィークの全てをバイトにつぎ込めない・・・」
5連休あるうちの3日がシフトに入っているが2日だけヒマな日がある。僕はこのヒマな日が世界の秘密のように思えてしょうがなかった。
「進、あたし凄く嫌な予感がするのだけど・・・」
長年付き添っているカンなのか、乙女のカンなのか、2人しかいない教室に千佳は1歩だけ僕から離れた。それも寒そうに身を縮めながら。
「どうせ大量に宿題が出るから1日は開けておくとして、もう1日は短期バイトをしよう!」
「うぎゃああああああ!」
僕の提案を聞いたとたん千佳は頭を抱えながら奇声つきで崩れていった。
「うぃーす!やっぱり進と千佳は来ていたか・・・千佳、どうした?」
サッカー部の朝練からやって来た大地が入ってくるなり固まっていた。なんだ、そのへんに瞬間接着剤でもぶちまかれていたのだろうか?
「大地ぃ、進がまたバイトするだって・・・」
「はぁ!?なんだ進、もうクビになったというのか?」
「いや、だってゴールデンウィーク全部バイトに使えないから短期でもやろうかと・・・」
「はぁ・・・なんつーか進は絶対にニートにはならないと思う」
大地もまたガックシと腰から上を重力に任せていた。
という訳でその日の放課後に進路指導部の前に来た。短期バイトなら進路指導部に募集のチラシがある。ちなみに今回連れはいない。なんというか完全に2人に呆れられてしまったようでついて来なかった。
「んーと・・・」
僕が掲示板の前で唸っていると隣の職員室から見知った顔が出てきた。
「あれ、進くん?」
「白沢先輩!」
相変わらずのウェーブのかかった髪を揺らしながら白沢先輩が登場した。なんというかこの人と会うと謎の安心感がある。
「あれ、バイト始めたんじゃ?」
ほっぺにプニッと人差し指をあてて若干目線を斜め上に向ける。どうも白沢先輩は記憶力が良好のようだ。ほんと生徒会に向いている。
「連休中に短期バイトをしようかと」
「掛け持ちかぁ、たまにいるけど無理しないでね」
ああ、なんと優しい先輩なのだろうか。この包容力は千佳には絶対にないものだ。千佳には是非ともスキルポイントを上げて習得してもらいたい。
「でもゴールデンウィークに短期バイトしたい人はやっぱり多くて・・・もうあまりないのではないかしら・・・」
白沢先輩も一緒に掲示板を見てくれるがやっぱり残っているバイトは少ないもので。
「食品製造業・・・」
めぼしいものはこれくらいだった。
「あぁ、それは・・・」
あの白沢先輩が珍しく引き気味の表情を見せた。こんな顔するんだな・・・
「どうしたんですか?」
「いやあの・・・そのバイトは評判がすこぶる悪くて・・・」
なるほど、通りでこのバイトだけ残っているのか。
「前は週一を一ヶ月の雇用だったのだけど・・・今年から日雇いになったみたいね」
「うわぁお」
僕はどういうわけかアメリカンなリアクションをとってしまった。
「・・・これ、受けます」
「えぇ・・・」
うわ!あの白沢先輩らしからぬリアクション!今日は僕の知らない白沢先輩でいっぱいだ!
「なんかそこまで言われるとむしろどんなバイトか気になるので・・・」
「まぁ・・・頑張ってね」
白沢先輩からエールをもらった以上このバイトを頑張る他ない。エールの声が若干引きつっていたが贅沢は言わないでおこう。僕はこのまま帰宅すると早速電話した。
ハイやってきましたゴールデンウィーク、略してGW!しかし僕はレジャーなどに没頭するわけではない、バイトに没頭するのだ!連休初日はさっさと宿題を終わらせて2日目と3日目はミハラ薬品で働いた。そして4日目が例の食品製造のバイトである。
場所は松野宮市郊外の工業地帯である。余談ではあるが“郊外の工業地帯”はなんだか早口言葉に使えそうな言葉だ、今度千佳に試してみよう。
「君が相井君だね」
僕を出迎えてくれたのは中年のおじさんだった。話を聞くとここの工場長らしい。
「それで僕は何をすればいいのですか?」
ドラッグストアと食品工場では業務内容が180度違う。いったい僕はここで何をすればいいのだろうか。日雇いのところを見るとそんなに難しいことではないだろうが・・・
「肉まんとあんまんは好きかい?」
工場長は唐突に僕の好みを聞いてきた。この時点で業務内容はそれとなく予想できるが恐らくこの工場は肉まんとあんまんを作っていてその作業をやるのだろう。
「まあ好きな方です」
「というわけで相井君にはあんまんのレーンに入ってもらう」
予想が見事に的中、ここは食品は食品でもあんまんの工場だった。
「ちなみにあんまんの他には何を作っているのですか?」
予想はできるが聞いてみることにする。
「肉まんだよ」
案の定だった。
工場の製造ラインに入るために僕は全身真っ白な防護服に着替えた。このままハチ退治もできそうなくらい真っ白だ。着替えただけでは工場の中に入ることはできず、30秒間の手洗いにアルコール消毒、極めつけには強風を体全体で受けてやっと工場に入ることができる。距離にして数十メートルの距離なのに入口から製造ラインまでとても長く感じた。軽く富士山を登った気分だ。
「ぐおっ!」
やっとこさ製造ラインにたどり着いたというのに僕はさっさと来た道を引き返したくなった。匂いがとてつもない。この匂いの正体はあんまんの中身、つまり餡子。巨大な機械から排出されてくるあんまんの山が兵団を組んでベルトコンベアを行進していくがそれまでは皮に餡子を包んで蒸しあげてとかいろいろ工程がある。それらは全自動で機械がやってくれるのだ。ありがたい機械が人間の代わりにあんまんを作ってくれるなら人間の手はいらないように感じるが・・・
「相井君はここに立って」
僕は言われるがままにベルトコンベアの前に立つ、ちょうどそこは蒸しあがったあんまんが出没するゾーンだ。
「相井君はここで食紅をもってあんまんのてっぺんに印をつける作業をしてもらう、簡単でしょ?」
「え、えぇ・・・簡単ですね」
防護服に包まれて見えていないかもしれないが僕は今、ものすごく表情が凍っています。
「他には・・・」
「無いよ」
これだけ!?
そして工場長は去っていった・・・
うぃーん、うぃーん・・・
ペタペタ・・・
うぃーん、うぃーん・・・
ペタペタ・・・
あんまんには赤い印がついていたけどコレ、まさか人力でつけていたとは。恐れ入った。しかしこの仕事の環境は劣悪極まりない。ミハラ薬品のように店内BGMは存在しない、代わりに機械の動作音が響いている。良く言えば一定のリズムを刻んで、悪く言えば単調なリズムで。
暫くはかぎ括弧のない文章が続きそうである。なぜならば喋ることがないから。工場内の気温は暑い、あんまんを蒸しているのでしょうがないことである。そしてこの作業、単調すぎる!ミハラ薬品のように代わり映えがあるというわけはない。ひたすら機械から排出されるあんまんにペタペタ・・・そんな作業を3時間2セット繰り返さなければならない。
1時間の休憩が来ました。チャイムが鳴ったときは脱力ものだ。文章的にはそれほど時間が経っていないように見えるかもしれないが僕的には100年くらい立っているのではないかと思うくらいに時間が経った。昼飯は工場長のご好意で肉まんとあんまんを用意してくれた。できたてホヤホヤである。もしこれがグルメ番組だとしたらリポーターが「おいしーい」とか言いながら本当に美味しそうに頬張るところなのだが僕はもうそんな気力すら生まれてこない。確かに出来立ては美味しいのだろうがそんなことを考えている余地などなく肉まんやらあんまんやらモサモサ食べながら昼休みは過ぎていった。
うぃーん、うぃーん・・・
ペタペタ・・・
うぃーん、うぃーん・・・
ペタペタ・・・
防護服に着替えて手洗いとエアカーテンという地獄の関門を抜けて僕は再び地獄に舞い降りた。僕は思う、あんまんの餡子はこんなに臭うものだったのだろうかと。餡子だけでなくそれを蒸し上げる機械からも何とも言えない香りが白い煙とともに工場内の大気を汚染していく。蒸し暑さも相変わらずで恐らくヴァンパイアがこの中にいればたちまち焼け死ぬことであろう。中にはこういう地味な作業の方が得意という人もいるかもしれないが僕は少なくても苦手だ。明日はミハラ薬品のほうでバイトだ、顔とかが死人みたいにならないようにしなければ・・・ポジティブだ!ポジティブを貫こう!僕は心が折れないようになるべく楽しいことを考えながらひたすらペタペタとあんまんの上に食紅をつけていった。
こうして翌日、ミハラ薬品松野宮店。
「店長おはようございます」
六倉さんは事務所に現れると周りを見渡してある異常に気がついた。
「あれ、相井さんはまだ来ていないのですか?」
いつもは自分より先に来ているはずの人がいない事に六倉さんは不安を感じていた。どこかで事故にでもあったのだろうか。
「そうなんだよ、珍しい」
店長は腕組みをして掛け時計を見る。まだシフトの時間10分前なので業務に支障が出るわけではないがいつも15分前キッカリにやってくるので心配だ。
「おはようございます・・・」
「お、噂をすれば」
「相井さん、今日は遅いです・・・ねぇ!?」
誰が見ても僕の顔はやつれて見えるようだった。
「相井さん!どうしたんですか!?」
六倉さんが僕の前にかがむと僕の顔の前で手を振ってくる。僕は顔を動かさずに目だけで追った。
「餡子が餡子であんこっこ・・・餡子餡子・・・」
もう六倉さんは手を振っていないが僕はまだ瞳の運動を続けていた。
「店長これ・・・大丈夫ですか!?」
六倉さんはもはや僕を“これ”呼ばわりしてくる。あぁ、でも今は“これ”呼ばわりでいいや・・・
「お客さんの前に出せそうにないな・・・裏方やってもらおう・・・」
朝礼を済ませて六倉さんは売り場に出て行った。僕はというとまだバックヤードの中で。
「えっと相井くん、大丈夫?」
「あんこうぶです(大丈夫です)」
もはや言葉に餡子が混じっていた。それほど昨日のあんまん工場は衝撃的だった。
「とりあえずそろそろ季節外れだから値引きシールを貼る作業をしてもらうよ。これならバックヤードの中でできるし・・・」
「あんこぉ(あのう)、どれに貼ればいいのですか?」
5月くらいに季節外れになるものもいろいろあるだろう。
「ああ、これだよ」
店長は一旦、倉庫の奥に行くと台車を1台押して戻ってきた。その台車いっぱいに乗っているのは・・・
「あんこぉぉぉぉぉぉぉう!!!」
そろそろ季節外れになってきた肉まんと・・・あんまんだった。
「相井くん!どうした!?相井くん!相井くうぅぅん!」
ミハラ薬品松野宮店のバックヤードに2つの絶叫が響き渡った。売り場でその絶叫を六倉さんは聞いていたが気にしたらめんどくさい事になりそうな気がしたので放っておいた。明日あたりに本人にそれとなく聞けばいいだろうと。