4月中旬の新人達
4月中旬、桜はほとんど葉桜となり紅葉学園の足元には散った桜が地面をピンクに染めていた。今日は僕のバイトデビューの日である。
「確か今日からバイトだったよね?」
放課後一番に千佳が僕のもとにやってきた。僕の席は出入り口に近いので帰る生徒の邪魔になる。渋滞の原因が千佳だなんて事にはしたくなかったので僕は場所を千佳の席に変えることにした。せっかくのご足労だがこれにはしょうがない。
「そうか、今日からお互いにスタートか」
体操着に上だけジャージを着た大地がよってきた。大地も今日からサッカー部に入部だ。今日はお互いにスタートとなる日で入学式とは違った初々しさがあった。4月は始まりっぽいイメージだが本当に4月は始まりでいっぱいだ。
「ああ、大地も頑張れよ」
「1年だからやることは雑用や簡単な練習だろうがな」
ボクと大地は互いに握手を交わしていた。と、その横でニマニマ笑っている女子一名。
「どうした千佳、気持ち悪いくらいに笑顔で」
流石にその視線は気になってしょうがない。監視カメラのある個室にでも閉じ込められたみたいだ。
「青春だなーと思って」
お前いくつだ!お年寄りくさいこの上ないぞ!
そんなわけでシフトの30分前にバイト先に到着。
「早っ!」
店長は事務所に入ってくる僕を見るなり口を四角にした。
「相井君、面接の時も早かったよね!?」
「早いのがステータスですので」
「いや、そのぉ早すぎるな・・・」
店長によるとミハラ薬品の給料は15分おきにカウントされる為それ以上前に来てしまうと“上”から怒られてしまうらしい。なんというか人生いろいろ社会もいろいろだ。
「あぁ・・・じゃあこれからは15分前に来ます」
「そうしてくれ、そこまで大きな会社でもないしお金には限界があるんだ」
本当に世の中は金で成り立っている。だからこそ早く一生ぶんのお金を稼ぎたい。ちなみにミハラ薬品はこの近辺に8店舗展開しているローカルなドラッグストアである。大手のドラッグストアのようにはいかない。
「まあ、予定の問題もあるから時間まで待ってくれ」
早く行動する僕のアイデンティティがすこし崩落した。僕は新品の名札とエプロンを身につけてシフトの時間まで待った。
僕は店長の指示でシフトの15分前まで待ってパソコン付属のバーコードリーダーに名札をスキャンした。あともう少しで僕のアルバイト初日のスタートである。
事務所に戻って数秒も待たないうちに扉が開いた。小柄な人影に僕は店長だろうと思ったが予想を外れて全く知らない人だった。知らない人ではあるがどこかで見たことがあるような気がしてならない。
「あ、えっと・・・はじめまして六倉香苗といいます!」
肩までの髪を切りそろえていてさらに前髪を切りそろえている女の子はやはりどこかで見たことがあるような気がした。しかし彼女は”はじめまして”と行っていたので初対面だと思われる。僕の記憶は当てにならない。彼女が何やら寂しそうにこっちを見ていてなんだろうと思ったがそこでまだ僕の自己紹介をしていないことに気がついた。
「あ、僕は相井ちゅちゅむです」
慌てていたので自分の名前なのに噛んでしまった。
「進です」
自分の名前をテイクツーしておく。六倉さんが若干引いているが気にしないでおく。
「私は今日からなので色々わからないことだらけですがよろしくお願いします」
六倉さんも今日からバイトのようだった。もしかすると店長が面接の時に行っていた紅葉学園の1年とは彼女のことなのかもしれない。
「僕も初めてなんですお互いによろしくです」
「あ、相井さんそうなんですか。こちらこそよろしくです」
4月中旬の新人達がここに揃った。最もまだ新人がいるかもしれないが。
「もしかして紅葉学園の生徒ですか?」
「はい、そうなんです。もしかして私の事入学式で見ました?」
見たっけ?もしかするとどこかですれ違ったことがあるかもしれないがクラスメイトではないし記憶が抜けてしまっている。見たことがあるような気がするのに思い出せないという背中に手が届かないような気持ち悪さが絶賛脳内遊覧中であった。
「いや、店長から同じ学校の新人がいると聞いたので」
見たことがあるような気がするが思い出せないでは六倉さんに失礼なのでそう答えた。嘘は言っていない。間違ってもいない。
「ああ、店長が。実は私、入学式で新入生代表をやったので・・・それで見たのかと思いました」
頭のピースが対につながった。なるほど、通りで見たことがあるはずだ。入学式のときに新入生代表を務めたあの女子生徒が六倉さんだったのだ。すっきりした、とてもすっきりした。このままでは六倉さんに会うたびに頭の中であれこれ考えてしまうところだった。
「おお、通りで見たことがあると・・・すごいですね」
「いや、まあ頑張ったので・・・」
肩までの髪をポニーテールにまとめてエプロンのひもを締めている六倉さんは顎を少し下げて照れていた。
「お、ダブル新人揃ったね」
店長が事務所に入ってきた。口ぶりからすると新人は2人だけのようだ。自分の名前を噛む心配がこれ以上なくなるので安心だ。六倉さんはちょっとだけ急いでパソコンのリーダーで名札のバーコードを読み込んだ。
「それじゃあ朝礼を始めよう」
「今、夕方ですけど・・・」
「あぁ・・・まあやることは朝礼と変わらないし」
店長は僕たちをホワイトボードの前に招いた。ホワイトボードには今日の日程が書かれている。ちなみに僕と六倉さんの名前の横には閉店時間まで「レジ練習」と書かれていた。まあ初日なのでこんなものだろう。
「2人はもう自己紹介は済んだかな」
僕と六倉さんは同時にうなずいた。とりあえず六倉さんの名前と顔はバッチリである。もっと深いところはこれからゆっくり知っていけばいい。千佳ほどではないだろうが六倉さんとは長い付き合いになるだろう。
「それじゃあ今日の予定だけど今日は2人とも初めてだから基本的な業務を教える、以上」
「ざっくばらんですね」
「ま、まあ初日ですし・・・」
「まずシフト時間の10分前にはここに来て名札をスキャンする事、これは事前に言ってあったから2人はできていたね。あ、相井くんは来るの早すぎ」
「すいません」
横で六倉さんが首をかしげているが気にしない。目線に入れない。六倉さんがものすごく“何があったの”的なオーラを発しているが絶対に気にしてはいけない。
「そして5分前にこうやって集まって連絡事項を教えるから時間がきたら自分を呼んでね」
僕と六倉さんは持参のメモ帳に大まかなメモを書き記しておいた。次第に当たり前の日課のような行動になるのだろうがそれまでの間はメモは大切である。
「そして一日の大まかな業務内容はこのホワイトボードに書いてある。基本的にはこの内容を見ればいいのだけど初めてだらけだからいろいろ教えるよ」
「業務内容はレジだけなのですか?」
六倉さんが控え目に右手を上げてこれまた控え目に質問をする。そこまで控え目になる必要性はいかに。
「本当は品だしや前だしとか色々あるけど習うより慣れろというしね。それに一度にたくさん覚えられないでしょ?」
習うより慣れろ。ミハラ薬品だけなのかもしれないがその精神があるようだ。しかし世の中には習うより慣れろとの言葉があるのなら学校で黙々と勉強をする意味がないのではないかとボヤきたいところだが、そうしてしまうと全国の教育機関から目を付けられてしまいそうな気がするのでボヤくのはやめておいた。
「とにかく今日は最も基本的かつ最も複雑な操作を要求されるレジ打ちを習得してもらう」
こうして夕方に行われた朝礼は幕を閉じた。てか本当にこれは朝礼と呼んでいいのだろうか、また朝礼でないなら何と呼べばいいのだろうか。考えると切りがなさそうなので考えるのはやめることにした。今度じっくり時間があるときにじっくり考えようと思う。
「というわけでレジの操作は異常だ。今回は基本操作だけだけどこれから少しずつ教えてあげるね」
店長はレジの一つに“休止中”の立札を立ててそこを僕たちの練習に使った。レジの操作は複雑なイメージがあったが実際にやってみると意外にも単純で簡単なものだった。お客さんが来たら商品のバーコードを読み込む、全て読み込んだた“小計”のボタンを押してお金を受け取る、受け取ったお金の金額を入力するとお釣りが表示される。ミハラ薬品はオートレジを採用しているためお釣りは自動で出てくる。店長曰く“導入にはとてもお金がかかったらしい”
「じゃあ早速お客さんと相手してみよう」
店長はレジをオープンした。まずは僕が相手だ。
「見込みいいな、お客さん相手に大きい声出すし」
ジャスト1時間が経過して店長は再び“休止中”にした。ちなみに僕がヘマしないように店長は横にいて六倉さんはレジ袋に詰める作業をしていた。僕は人見知りはしない方(だと思う)なので知らない人でも問題なく会話できた。ネームプレートにはテープで“研修中”の紙を貼り付けておりそれを見たおばさんが帰り際に「頑張ってね」と声をかけてくれたり社会人1年生らしい男の人に「ありがとうございました」と言われたときは本心でなかったとしても嬉しかった。
「じゃあチェンジコートだ」
店長の掛け声とともに僕と六倉さんは持ち場をチェンジした。ところでチェンジコートといった割にここはテニスコートでも卓球場でもない。あくまでレジ打ちと袋詰めの役割をチェンジしただけである。今まで意識したことなかったが袋詰めは食品と雑貨類をわけて入れたり和らいかい物を後から入れるなど注意するところがたくさんあった。
「・・・あ、ありがとうござい・・・ました」
僕と同じ1時間を六倉さんはレジ打ちをしていた。レジ操作は問題ない、問題ないのだが。
“大丈夫か!?”
レッツシャットアウト。僕は心の中で叫んだ。
「まあ、最初だからな・・・」
果たして店長のこの“最初だから”の発言は経験から来たものなのかそれとも慰めで言ったものなのかは僕にはわからない。
その後も1時間交代でレジ業務を行ってお店は閉店となった。しかしお店が閉店になったあとも仕事は残っている。店内を掃除したり電気を切ったりしてやっと1日が終わる。店長はまだ事務処理が残っているらしく僕と六倉さんは先に帰ることになった。僕としてはやりきった感でとても清々しかったが六倉さんはむしろ真逆でうなだれていた。傍から見ていると夜にゾンビが出没したみたいである。知らない人が見たら絶叫して逃げ出すことだろう。
「相井さんはすごいですね。私は自分で言うのもなんですが人見知りで・・・」
帰る方向は途中までいっしょらしく僕と六倉さんは2人並んで夜道を歩いて行った。
「そういえば六倉さんは何故入学式で新入生代表を?」
さっきのレジ業務を見ている限り六倉さんはどう考えても人前で話すのが向いているとは思えない。それなのに何故六倉さんは大勢の前で挨拶をすることになったのだろうか。
「ああ、私が最優秀の成績で入学したからです」
「すご!」
なるほど、六倉さんは紅葉学園の入試でトップをとったようだ。在校生代表は生徒会長がやるとして新入生代表はどうやって選ばれるのだろうと思ったが成績優秀者とは・・・無難にも程がある選出である。
「六倉さん頭いいんだ」
「勉強したので・・・私は奨学金で通うので成績はちょっと気にしないと」
もしかすると地雷を踏んでしまったかもしれない。バイトを始めたのも学費を稼ぐためなのだろうか。かわいそうなので深く考えるのはやめておこう。
「でも入学式では立派に挨拶してたような・・・」
話題が暗くなりそうだったので話を元に戻すことにしました。
「あの時は人ではなく天井を見てました」
それでいいのか!?
「でも流石にバイトじゃ目を見ないとな・・・」
「どうしたらいいでしょうか?」
大勢の前で話す時はともかく1対1の接客は目を見ないと失礼だ。
「そういえばよく人をミカンだと思うといいと言いますよね」
「ミカンか・・・でもそれだと根本的な解決にはならないよね」
接客ではお客さんもしゃべる時がある。ミカンは喋らないのでミカンだと思って接客するのは無理があるのかもしれない。しかし僕はなぜ接客をうまくすることができたのだろうか。六倉さんのためにも考えてみようと思うが自分のことを言葉にするのは難しい。
そもそも僕は人と話すこと自体が好きなのだ。なぜなら喋ることが楽しいから。喋るのが好きだから話すのが好きとは理由にならないかもしれないがとにかく好きなのだ。
と、そこまで考えて僕はある結論にたどり着いた。
「六倉さん、会話というのは別に怖いことではないですよ」
「はい?」
横で歩いている六倉さんは首をかしげながら僕の顔を覗き込んだ。
「世の中に悪い人なんて居ないです。悪い人がいたとしても根は面白くて優しくて楽しい人なんです。だから相手のそういうところを探すためにもお話というのは重要なことなのですよ」
「相井さん・・・優しいんですね」
六倉さんはポワっと笑顔を浮かべた。気づくと僕たちは道の真ん中で歩くのをやめている。住宅街の道には街頭の頼りない明かりが等間隔に夜空に星を描いていた。
「だから言ったじゃないですか、世の中に悪い人は居ないと」
「はい・・・私、もっと頑張ってみます!」
六倉さんはトテトテと夜道を駆け出していった。
「それじゃあ私、こっちですから!」
僕の第一印象とはかけ離れた明るく元気な六倉さんが薄暗い道の奥で元気に手を振っていた。それを僕は控えめに手を振って。
「おつかれさまです」
バイト終わり定番の挨拶を返した。