4月上旬の入学式
4月上旬、先週の雨で咲き始めた桜が散ってしまったが4月だ。皆は4月にどんなイメージがあるだろうか。大体の人は”始まりっぽい”イメージがあるだろう。僕も4月にはそんなイメージを持っている。そしてそんな”始まりっぽい”4月の中でもとびきり”始まりっぽい”イベントがこの4月某日に行われるのだ。僕は松野宮にある紅葉学園の校門から学校の敷地内に入った。本日は紅葉学園の入学式、しかも入学式は入学式でもただの入学式ではない、僕の入学式なのだ。人生で数える程しかない自分の入学式に出席するためにこの紅葉学園まで来たのだ。
午前8時の紅葉学園には在校生しかいなかった。その在校生も会場準備の生徒しかいないので人はまばらだ。しかしまばらであっても在校生たちは来るべき入学式に備えて準備を進めていてそれなりの賑わいを感じることができた。
「あらあら?もしかして新入生くんかな?」
校門の飾りつけを行っていた上級生らしき女子生徒が僕を見つけて出迎えて来てくれた。
「はい、そうです」
僕は元気よく、そして先輩の敬意もいれて答えた。
「あらぁ、もしかして時間間違えちゃった?新入生の集合は10時よ」
先輩は耳の下あたりに人差し指を当てて困ったような仕草をした。しかしながら口調と表情を見る限り本当に困っているのかは怪しいものだ。
「いえ、集合時間が10時だと知ってこの時間に来ました」
そして僕は自信満々に間違ってきたわけではないことを主張した。
「ええ~2時間も前よ・・・」
先輩のウェーブのかかったロングヘアーが少し揺れた。髪の揺れたその周囲に先輩のいい香りが舞ったように感じた。腰くらいまで伸びるふわふわの髪に隠れてよく見えなかったが腕章には”生徒会”の文字の書かれた腕章をしていた。もしかしなくても生徒会なのだろう。
「まあ来ちゃったものはしょうがないわね、こっちにいらっしゃい」
先輩は招き猫のように小さく手招きすると僕を昇降口まで案内してくれた。昇降口は新入生の受付を兼ねているようで昇降口手前には長机がいくつか並んで置かれていた。その長机の上にはクラス別に名前が書かれたA4の紙が置かれており名前の横にはチェック部分の四角の空欄が規則正しく並んでいた。もちろん集合時間の2時間も前に訪れる新入生は僕のほかにおらず名簿はワープロで打った綺麗な文字ばかりでボールペンによる人力で書いた丸はどこにも見られなかった。
「それじゃあこの中から自分の名前を探して丸をつけてね」
先輩は受付に使う名簿を僕に手渡すとボールペンを貸してくれた。地元の遊園地のマスコットがついたボールペンは初対面ながら先輩らしいと思った。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。私は白沢姫梨、見ての通りに生徒会よ。これでも副会長をやっているの、だからではないけれどもよろしくね」
「はい、よろしくです」
「君の名前は?」
白沢先輩が名前を訪ねた時にちょうど僕は1年3組の一番上に自分の名前があることに気がついた。僕は自分の名前の横にあった四角の空欄に丸をつけてそれを白沢先輩に渡すと先輩は笑顔で受け取ってくれた。
「僕は相井進です。白沢先輩、これからよろしくお願いします」
僕はやっぱり元気よく敬意もいれて答えた。
そう、僕は相井進だ。
1年3組のプレート見た僕は開けっ放しの教室の扉をくぐり、迷わずにためらうこともなく一番前の一番右の席に座った。誰もいない教室に僕は出席番号1番の特等席であるこの端っこの席に座って先ほど白沢先輩からもらった日程表とクラスの名簿に目を通す。クラスメイトには僕の知り合いの名前もちらほら見ることができた。僕の幼馴染や前の学校で一緒だった名前も見ることができる。名簿の一番上には“相井進”の文字が誤字脱字なく綺麗に印字されていた。この相井のネームは素晴らしく僕は未だかつて1番以外の出席番号になったことがない。そして1番は苗字だけでなく僕の名前にも現れている。
進という名前は僕のお父さんが“誰よりも進む”との願いを込めて名づけたという。僕はこの名前をとても気に入っている。自分で自分の名前を気に入っていると言うのは恥ずかしいので普段は言葉には出さないが普段の行動には出ているのだ。僕は常に誰よりも早く行動することを心がけている。夏休みの宿題は毎回最初の3日で片付けていたし、この学園の受験も誰よりも早く対策をしていた。そしてこのように誰よりも早く登校している。
早いことはいいことだ。早く事を済ませればその分時間ができる。その時間は僕の自由に扱えるのだ。先ほどの例だと夏休みの宿題が最もわかりやすい。ひと月かけて宿題をやるよりも3日かけて宿題をやったほうが明らかに自由時間が多く感じられるし何よりも気が楽だ。そう、早いことはいいことなのである。
一人っきりの静かな教室に時計の針の音がしっかりと響き渡った。時計の長針はまっすぐ天空をさしており短針は長針の直角の位置をしっかりとさした。現在時刻は午前9時ジャスト、僕が紅葉学園の門をくぐって約1時間がかかった。
「はぁ、流石に早く来すぎたか・・・」
早い行動を心がける僕でも今日は流石に早かった。いつもはだいたい1時間前行動を心がけて登校し宿題のチェックや教科書の準備、そして今日の授業の予習を心がけているのだが今日はいつもの1時間前行動ではなく2時間前行動になってしまった。それどころか入学式もまだなので宿題も予習もできない。教科書すらまだもらっていなかった。明らかに早すぎの行動でありそして明らかに僕は張り切っていた。今僕にできることはたった2枚のA4プリントとにらめっこする事くらいだった。
9時を少しだけ過ぎた校舎の廊下から足跡が聞こえてくる。わざと音を立てているとしか思えないようなしっかりとした足音だった。どういうわけだろうか僕はこの足音を知っているような気がする。
「す~す~む~!」
新入生が気軽に入れるようにあえて開けっ放しになっている扉から見知ったショートカット少女が入ってきたと思うと僕の机を両手でバンッと叩いて自分が怒っていることを前面にアピールした。はてはて、僕の幼馴染はたいそうご立腹のようだ。
「おお、千佳じゃねえか」
玉瀬千佳、僕の家から徒歩5分のところに住む僕の幼馴染だ。家は若干離れているが誕生日が1日違いであり同じ病院で生まれ、幼稚園に小学校とずっと一緒だ。僕は先ほど名簿とにらめっこをしていた時に千佳の名前を見つけたときは謎の安堵感を体から生み出していた。そんなところを見るとどうやら千佳は僕にとって当たり前の存在になっているようである。
「何であんたはいつも早すぎる行動をとるのかしらねぇ」
千佳は邪魔そうな前髪を手で払いのけた。髪はいつも短いくせに前髪だけは長めになっているため、いつも安っぽい飾りのついたヘアピンをつけている。なぜ切らないのだろうか?
「まあ、今日は僕も早すぎたと思っている」
とりあえず僕は無駄な釈明の言葉を放っておく、もしかすると千佳は僕の家まで来ていたかもしれない。もしそうならば千佳は大変な労力を使ったことになる、なぜなら千佳の家から僕の家は学校と正反対の位置にあるのである。千佳の家から学校まで20分程だろうが僕の家に立ち寄ったとするならば往復10分の追加で彼女の登校時間は30分と大幅に増えることになる。
「進の家に行ったらおばさんが“進はもう出かけたわよ”っていうのだもの!無駄足だったじゃない!」
案の定、千佳は僕の家に来ていたようだった。
「別に一緒に行く約束はしていないだろ?」
「約束はしていなくても今まで一緒に登校していた!」
前の学校では僕の出かけるタイミングを見計らって千佳が迎えに来ていた。千佳の登校ルート上に僕の家があったのでなんとなくそんな流れになっていたが今回はそうではない。僕の家から紅葉学園までの最短ルート上に千佳の家が無いため僕は今日、普通に千佳をスルーしていた。
「そのぉ千佳さんや、今日からは僕が迎えに行ったほうがいいかね?」
「そうですのぉ進さん」
僕の老人風の喋り方に乗ってくれた千佳だが内心はまだ怒っているだろう。若干のタイムロスになってしまうが明日からは千佳の家によってから登校することにしよう、でないと毎朝千佳の怒った顔をご観覧する羽目になってしまう。本当にそれだけは回避したかった。
集合時間の30分前となり徐々に1年3組の教室の人口密度は増加していく、それぞれ前の学校の知り合いと雑談していたり、中には新しいクラスメイトとの親睦を深めている人もいた。僕はというと千佳の怒りを鎮めるためにあれこれ頑張っていたが結局一口チョコ10個で納得いただけた。チョコ好きとはいえ安い女である。
そして9時55分、新入生の集合時間5分前に背の高い男子生徒が入ってきた。高さだけでなく横幅もガッチリと筋肉で固められており横幅の割に引き締まった体である。いかにも柔道とかやっていそうな体つきだった。
「そこにいるのは進と・・・もしかして千佳か?俺だよ俺!」
190cmはありそうなその男子生徒は僕と千佳の名前を知っていた。僕は名簿に目をやってまだ顔を見ていない知り合いを探してみる。
「あれ?もしかして大地?」
僕よりも先に千佳が気づいたようだ。
「大正解だ、藤和大地だ」
名前を聞いてようやく僕はハッとした。
「大地ってあの大地か?幼稚園以来じゃないか!」
「おお、久しぶりだな!随分たくましくなって!」
大地とは何年ぶりの再会だろうか、大地は幼稚園の時の友達だ。幼稚園の時は千佳も含めてよく一緒に遊んだものである。小学校に進学してからは交友が途絶えてしまったがこうして再開することができた。懐かしい以外の言葉が見当たらないほど懐かしい。体格は随分とたくましくなったが顔立ちは昔の面影が残っていた。
「いやぁ進も賢そうになったな!千佳も女っぽくなっちまって!」
「よくあたしたちだって分かったね」
「名簿に進と千佳の名前が見えたからな、相井進となれば間違いなく出席番号1番のこの席に座っていると思ったらこの通りだ。正直出席番号が1番じゃなかったらすぐに気がつかなかったぞ」
僕の名前はこんなところでも役に立った。つくづく役に立つ名前である。そんなさなか、懐かしの友人との再会を楽しむ時間はチャイムによって絶たれることになった。大地がもっと早く来ていてくれればもっと話すことができたのだが今悔やんでもしょうがない。
チャイムから約1分の遅れを伴って現れた先生に案内されて1年3組の一団は体育館に向かうこととなった。在校生の拍手に出迎えられて入場後、若干長い校長先生の挨拶を聞いて在校生代表の挨拶となった。在校生代表は生徒会長の男子生徒だった、校長先生の挨拶に比べれば短い挨拶ではあったがこちらのほうが身近な感じのする挨拶だったと思う。挨拶を終えた生徒会長は教職員と同じ席の方に戻っていった。よく見ると教職員席は生徒会の席も兼ねているようでその中には白沢先輩の姿も見ることができた。
次は在校生代表の挨拶である。呼ばれて出てきたのは肩くらいまでの長さの女子生徒だった。なんとなくだが頭のいい感じのする優等生っぽい生徒だ、どのようにして新入生代表が決まるのかは知らないが彼女に決まったのもそれなりの理由があるのだろう。女生徒は生徒会長の挨拶にお礼を言って生真面目そうに入学に対する意気込みを簡単に語った。
在校生と新入生の挨拶を終え、在校生がピアノに合わせて紅葉学園の校歌を歌い今年度の入学式は閉式となった。これで僕たちも立派な紅葉学園の生徒だ。
再び在校生の拍手に見送られて体育館を退場後、教室に戻って担任になった先生から明日のオリエンテーションの日程を聞いて解散となった。今日は入学式なので午前中のみの日程である。ホームルームを終えると僕と大地は千佳の机に集まってきた。ほかにもクラスには知り合いが2~3人いるのだが前の学校が同じだったくらいで交友はあまりなかったので必然的にこの3人が集まった。入学式が始まる前は僕の席に集まっていたのだが出入り口がすぐそばで邪魔になりそうだったし玉瀬千佳と藤和大地の名前の都合上2人の席が近いため必然的に僕が2人の元に行くことになった。
「そういえば進と千佳は部活動するんだ?」
大地が唐突に部活の話を始めた。ちなみに僕と千佳は以前、文芸部に所属していた。僕は単純に本を読むのが好きで入ったのだが千佳は楽そうだったら入ったらしい。そのくせに千佳は短歌コンクールで入賞してしまった。本人曰くテキトーに書いたと言ったのだが案外才能があるのかもしれない。
「そういう大地は?」
「俺はサッカーのスポーツ推薦で入学したからサッカー部だ」
大地の筋肉質な体の理由がわかった気がした。幼稚園の頃はサッカー好きとは思わなかったが僕が知らない何年化のあいだにサッカー少年として成長したのだろう。そして大地が部活の話を始めた理由も分かった気がした。
「あたしは部活にはあまり興味がないからなぁ」
「だろうと思った、帰宅部か?」
基本的に千佳は省エネを心がける人間だ、文芸部も初めは乗り気ではなかった。半分は僕が勧誘した感じであり部員強制参加の短歌コンクールの応募以外は幽霊部員状態だった。
「そうしようかな?進はどうする?」
千佳は帰宅部への入部を希望していた。もちろんだが帰宅部に入部申請は必要ない、やることもないので青春っぽさを引換にとても楽な部活となる。
「僕はなあ、文芸部があればまた入るだろうけど」
「バイトという手もあるんじゃないかな?この学校は申請さえ出せば割とバイトをさせてくれると聞いたぞ」
紅葉学園は部活動に力を入れている学校でスポーツ推薦をしているのでそれは伺える。さらに学校としては珍しくバイトも推奨しているのだ。この学校の理事長曰く「バイトは立派な社会経験なので学業に支障がない程度には経験すべき」とのことだ。学校の掲示板にはバイトの募集チラシが貼ってあるほどである。その為、部活動に所属していない帰宅部員はほとんどがバイトに明け暮れている。
「バイトか・・・」
僕の誰よりも早く行動するモットーが震え始めた。理事長曰くバイトは社会経験、実際に社会人になるよりも早く働けてしかも給料が貰えるのである。
「バイトってことはお金がもらえるんだよな」
「そうね」
千佳はそっけなく答えた。
「そして人間は生きていくのにお金が必要だ」
「まあ当然だな」
大地もこれまたそっけなく答えた。
「より早く働いてより早く一生ぶんのお金を稼げば後は遊んで暮らせるんじゃないか?」
「は?(え?)」
千佳と大地は口をお月様のようにまん丸に開けて僕の顔を見た。
「よし!僕はバイトする!早くお金を稼いで早く楽に暮らす!」
僕は高らかに、そして強く宣言した。早いことは良いことだ、早ければ早いだけ後は楽にすることができる。それは細かいことだけではなく人生そのものにも言えるのではないか。
どうして僕は今までこのことに気がつかなかったのだろうか。さっさと一生ぶんのお金を稼いでしまえば後はどんなニート生活を送っていようが誰も文句は言えまい。事実、今までも与えられた課題を早く済ませていればその後どんなに怠けていても誰も文句は言わなかった。
バイトは社会人になる前にお金を稼ぐ最良の方法である。バイトをしていない人よりかは一生ぶんのお金というゴールに向かってフライングスタートをきる事が出来る。
「まさか進の性格がこんなところで現れるなんて・・・」
「俺、余計なこと言ったか?」
「うん・・・」
幼馴染の2人が何やらブツブツしているが僕は気にしていない。バイトをすると決めたら行動は早いほうがいい、早速行動に移すことにしよう。
「バイトするぞー!」
僕は大事なことを再び宣言した。