三十話
なぜ、昴がここに残っているの?
信じられなくて昴を凝視する。今この機会を逃がせば日本に帰ることができなくなる。私が作った絶好のチャンスが無駄になった。
確かに、ラッテが傷を負いこの囲まれている状況から逃げることができそうにない状態だったら、ラッテは死んでいた。日本に戻れば、救急車を呼んでラッテを助けることができるだろう。
でも、昴は?
この状況で残って兄はどうなるの?
私は昴と愛美と陽菜が無事に日本に帰れるのなら、それでよかった。これから待ち受けるすべてにそれだけで、耐えられた。私は今まで昴たちを日本に帰すという目的のために生きていた。
もう、大切に思う人もいない今。それだけが、私の望みだったのに。
「な、んで?」
声がかすれる。予期せぬ出来事で私は茫然とするしかできない。
「俺が、何とかするから」
「なんとかって」
昴が険しい顔のまま、私の隣に歩いてきて生物兵器対策班の司令に向けて、勢いよく人差し指を向けた。指さす行為は危険行為だとあれだけ教えたのに堂々とやってしまった。向けられた生物兵器対策班の司令が不快そうに険しい顔をしている。
「お前ら、まとめてやっつけてやる!」
「ちょっと、昴」
「いでよ、生物兵器たち!!」
何を言い出すのかと思ったら、この状況で何を馬鹿なことを言っているのだろう。
私の思ったことを、生物兵器対策班の司令も思ったようで昴を嘲笑う。過激派の部隊の人は失笑している。
「アーネの同郷の少年は、いかれているな」
昴を後ろに隠そうと私は昴の前に立つ。でも昴は私の前を譲らない。身長は私より五センチほど低い昴は、まるで私を守るように立った。
「昴、下がって」
「彩音こそ下がっていろ」
昴が指を動かし何かつぶやく。すると目の前に防御シールドが展開した。
なぜ?
昴はマフィアのホテルでブレスレットを外している。それからブレスレット類は何一つ渡していなかった。それなのに、ここで私と昴を守るように張られているものは、どう見ても防御シールドだ。
生物兵器対策班の司令が昴を撃つように指示を過激派の部隊に送った。四方から撃たれ、けたたましい銃声が響き土埃が舞い上がる。私はとっさに昴を守るように、足払いし倒させて上にかぶさる。でも、防御シールドがすべてを弾き返した。私がつけている、シュアのブレスレットのシールドよりも強力な防御シールドが張られている。
「重い」
押し倒された昴からつぶれた声が聞こえる。私はこの状況が信じられずそのまま昴に尋ねた。
「なんで、システムを使えるの?」
「ちょっとな、女神の加護?」
昴の頭に拳骨を落とす。こんな時にふざけるな。
「うああぁあ! ラッテだ!!」
銃声の中誰かの叫び声が聞こえた。その方向を見ると三毛猫を巨大化させたような、生物兵器のラッテが四体走ってきていた。砂煙と共にすさまじい速さでラッテは走り過激派の部隊に突撃した。鋭い爪で肉がえぐられ体が、二つに分かれて吹き飛んでいく。次々とラッテは襲い掛かり、人が人形の様にラッテに遊ばれて吹き飛んでいく。
過激派の部隊は、生物兵器に怯えて統制が取れず逃げ惑っている。生物兵器対策班の司令は、逃げ惑う部隊の人たちに指示を出しているがパニックに陥っている人たちはその指示を聞いていない。ラッテだけではなく、違う方向からスライムが近寄ってきていた。雲空がさらに陰ったと思うと、様々な方向から鳥のような生物兵器も無数飛んできていた。次々と鳥が上から過激派の部隊を攻撃していく。防御シールドを張っているが、それをもろともせず鳥たちはくちばしを体に突き刺していく。
こんな多くの生物兵器を見たことがない。
驚いて見上げていると、昴が私の肩を叩く。
「彩音、今のうちにここから離れよう」
「この状況はどういう事?」
「さっき召喚呪文唱えただろ。それより、この混乱に紛れて逃げよう」
周りは血が飛びあう惨事なのに冷静な昴に驚いた。上から襲ってくる鳥たちはなぜか私と昴は襲ってこない。その異様な光景にまた驚いた。でも、この混乱に紛れて逃げるのはいい考えだ。
「彩音、その前にこれ使えるように戻して」
昴が時空の歪を研究所に送る装置を指さす。なぜと思うが、スイッチ一つなので特に考えずに戻した。それよりも、戦闘機に向かい私と昴は走った。戦闘機の前に生物兵器対策班の司令が立っていた。
「アーネ、行かせないぞ」
私が持っている武器となりそうなものは、ブレスレットの機能の電気ショックぐらいだ。でも防御シールドを張っている生物兵器対策班の司令には通じないだろう。
どうしよう。
生物兵器対策班の司令は捕獲銃を打ち込んできた。避けることができず、私と昴をまとめて捕まえた。防御シールドはあくまで攻撃を防ぐもので、捕獲弾をはじくことはできない。
細かい網目に捕まり私と昴は身動きが取れずにその場に倒れた。
「初めからこうしておけばよかった」
生物兵器対策班の司令が吐き捨てるように言う。それから捕獲弾に捕まって倒れている私に近寄ると腹を勢いよく蹴り上げた。
「やめろ!」
昴がもがくように言う。生物兵器対策班の司令は昴の方を見て彼の頭を踏みつけようとした。私が転がってそれを防ぐ。代わりに肩を強く踏まれて、苦痛で声が漏れる。ぐりぐりと、肩を踏みつけられた。それから私の髪を掴みあげた。
「綺麗なのはこの髪だけだな!」
「ほめてくれて、ありがとう」
嫌味を込めて言うと、ざっくりと長い髪を切られた。つかまれているものが無くなり私は、地面に顔をぶつけた。今まで伸ばしていたのに、また切られた。生物兵器対策班の司令は、懐に私の髪をしまい顔面をけられた。
どれだけ、黒髪好きの変態なんだよ。
苦痛に呻く声を上げるふりをする。現在も、昴が張っている防御シールドが展開中だ。銃弾を跳ね返すシールドが、生身の人間の攻撃をふさがないはずがない。昴が防御シールドを使いこなしていたら私の髪は切られることはなかっただろうが、神経の通っていないものだから防御シールドの保護に設定されていないのだろう。痛がるふりをしたほうが、頭に血が上っている様子の生物兵器対策班は油断するはずだ。
「それ以上彩音を傷つけたら、許さないぞ!」
「ほぉ。その芋虫のような状態でどうするつもりだ」
鼻で笑う。昴が生物兵器対策班の司令を睨みつけた。生物兵器対策班と昴の会話が通じている事に気が付いた。そうだ。私は先ほどから日本語で話していない。とっさの出来事が起きると、日本よりもこちらの生活が長い私はこちらの言葉でしゃべってしまう。
防御シールドを張れると同じ理由だろうか。問いただしたいところだが、今はその状況ではない。
「お前なんか、吹き飛ばしてやる!」
「芋虫に何ができるのやら」
生物兵器対策班の司令がまた昴を蹴ろうとした。だが、後ろで音が聞こえて焦ったように振り返った。
背にしていた、戦闘機が飛び上がった。操縦席に座っている愛らしい紫色の眼にふわふわとした栗色の髪の少女、アヤメがかわいらしく微笑んだ。
「まさか、」
「アヤメ、撃て!」
嘘でしょ。生物兵器対策班の司令が前に居るとはいえ、私と昴がすぐ後ろにいる。この状況で、戦闘機のミサイルの発射を命令するか!?
『了解です。ミサイル発射します』
アヤメの声が戦闘機のスピーカーから聞こえて、私は焦った。ドームの壁を破壊する威力のミサイルを撃ち込まれたら、防御シールドを張っていたとしても、ただではすまない。身体の一部は諦めなきゃいけないだろう。
『カウント開始します。三、二』
「お前、馬鹿だろ!」
生物兵器対策班の司令もミサイルの威力はわかったのだろう。私と昴を睨みつけると、カウント中に少しでも逃げようと走り出した。
『一』
衝撃に備えて身を固くするが、今まで拘束していた捕獲弾がほどけた。驚いていると、少し得意げな昴の手にビームソードがある。捕獲弾の拘束を破ったようだが、そんなシステムも使えるのなら早く言ってほしい。
『バッバッバッバッバッバッバッ!』
アヤメが口で音を言った。実際にミサイルは発射させなかった。いつの間にそんな、打ち合わせをしていた。ほっとするよりも、昴が次々とやってのける出来事が信じられず、これは本当に昴なのだろうかと疑ってしまう。
「彩音、走って」
私よりも先に立ち上がっている昴が私に手を伸ばす。その手を取って、戦闘機から伸びている梯子に飛びついた。梯子は自動的に上がるシステムになっている。
下から生物兵器対策班の司令が叫んでいるが、戦闘機に乗り込んでしまえばこちらのものだ。上空から、生物兵器たちと戦っている過激派の部隊を見下ろす。生物兵器対策班の司令にラッテが襲い掛かっていたが、戦闘機はその場から直ちに移動させたのでどうなったかは見届けることはできなかった。
「よっしゃ! 無事に逃げられたな!」
ガッツポーズで喜びはずんでいる昴。さらに私に向かいハイタッチを要求するように手を向けてきた。私はその手を叩き落とす。
「この、馬鹿兄! 何やっているのよ!」
手を叩き落とされた昴は、ちょっと膨れた顔をする。
「なんだよ、逃げられただろ? 彩音をちゃんと守れただろ?」
「逃げられたとか、そういう問題じゃない。なんで、日本に戻らなかったの? そのシステム機能はなに?」
確かに昴のよくわからないシステム機能のおかげで助かった。でも問題はそこじゃない。そもそも、昴が日本に帰らなかった理由だ。
昴は私を逆に睨んできた。
「この状況で、妹おいて逃げる、兄だと思ったのか? 俺はそんなに薄情じゃない。本当は、彩音を日本に帰そうと思った。ラッテが撃たれる前は、そう考えていた」
「何を言っているの?」
「この、荒れた大地で生きていけるわけないだろ!? ドームに、安全圏に戻ることが出来ないのに、かっこつけて残ろうとしているようだったけど、水だってあるかどうかわからない。実際、二十二年前死にかけたって言っていたその土地に、妹一人残すと思うのかよ!?」
私は絶句する。昴がそんなことを考えていると想像していなかった。
「だから、本当は、彩音を日本に帰そうと思った。彩音がシステムを起動させたら問答無用で場所を入れ替えようって。シューアムと一緒にいられるのならおいていこうと思ったけど、あんな泣いている姿見たら、置いていけるはずがない」
シュアの事を言われて胸が苦しくなる。
「俺の作戦は失敗したけど、傷を負ったラッテを見捨てることもできないから、許してほしい。お母さんや、お父さんたちに会わせてあげられなくて、ごめん。家に帰してあげられなくて、ごめん」
昴が頭を下げて謝った。ゆっくりと頬を伝う涙に気が付いて私はあわてて拭った。
「私が、言う言葉でしょ、それ」
「違う俺が、ちゃんと守ってやれば良かった。ごめん」
「いいよ。謝らないで。昴がラッテと残ったときのことを考えたほうが私は怖いわ」
「そうか? 彩音よりは、生命力強そうだろ、俺」
にかっと笑う昴。確かに、なんだかんだで昴はしぶとそうだ。
「そうかもしれないわね。それで、システムが使えるのは? ブレスレットは着けていないでしょう?」
昴の両腕には何も着いていない。
「ブレスレットはしていない。マフィアに取られただろ」
「じゃあなぜ、システムが使えるの?」
昴は着ていた上着を脱いだ。びっくりしていると、左胸の上あたりに半径二センチほどの赤い痕が付いていた。その位置につけるもの。私は学生の頃受けた授業で知っていた。
「システムバッチを埋めた」
心臓に近い位置につけるシステムバッチは、ブレスレットと同じ機能を使う事が出来る機械だ。だが、世界大戦でそのシステムバッチを破壊することのできる兵器を開発した国があったために、現在は機械を人に埋めることをしていない。
「だから、彩音のようにシステムが使えたんだ。俺も魔法使いみたいだろ?」
「いつの間にそんなものを埋めたの?」
システムバッチをいまだに使う人が居るとは思わなかった。確かにブレスレットをすることに慣れている私たちは、気が付くことが出来ないだろう。一世紀以上前に使われていた古いやり方だ。だが、他の人に持っていることを気づかれたら、一発で殺される諸刃の剣だ。
「病院で何か遭った時に、彩音を守れるようにって」
ざわりと鳥肌が立った。言葉の続きを聞かなくてもすぐに、思い当たることが浮かんだ。病院で、昴と二人きりになり、そのバッチをつけようとするような人物は一人しかいなかった。
「シューアムが、彩音を守れるようにって」
なんで?
利用するだけに一緒に居た私を『守れるように』と、昴にシステムバッチを埋める必要なんてない。
騙すだけなら、そんなシステムバッチを埋め込んだら抵抗されて邪魔だろう。
シュア。あなたは一体何を考えているの?




