二十八話
昴が私を彩音だと知っていた事には驚いた。言われてみれば、たまに意味ありげな視線で私の事を見ていた気もする。小さい頃よく、泣いている時に頭をなでられていた事を思い出して、懐かしく思った。
昴たちが寝付いたあと、私はひたすら計算をしていた。ドーム外から渡りを返すなんてことはしたことがないので本当にできるのか分からない。でも論理上はできるはず。時空を調節する資材はこの戦闘機にあるものを応用すれば何とかできる。
昴たちが来た初日に大体の計算が終わっていてよかった。本部のシステムが使えない状態ではかなり厳しいがやるしかない。
「……あの」
小さな声で話しかけられて、初めは計算に集中していて気が付けなかった。でも肩に軽く触れられて私は声をかけられたことに気が付いて、振り向いた。
ラッテが私を見て何か言いたそうな目を向けていた。
「どうしたの?」
「少し、お話をしておきたいことが」
そういえば、ラッテの話は全然聞いていなかった。立て続けに起きた出来事に、話を聞く余裕などなかったのだ。話し辛そうにしているラッテに、ついてきてと、言って私は寝ている昴たちのいる座席から少し離れた貨物室に案内して適当に座らせる。話し声は聞こえないだろうが、昴たちの様子も見えるこの位置は話をするのにちょうどいい。さっき淹れた紅茶を渡して、話を聞く体制を作った。
ラッテは紅茶を一口飲んでから、私を静かに見つめた。
「私はあなたの遺伝子から作られたクローンです」
記憶喪失だと偽っていたラッテがついに自分の事を話そうと決心したらしい。
「えぇ。知っているわ」
「ご存じだったのですか」
「あなたのDNAを検査した時に、私の配列と同じものがあったの。そこから想像ができたわ」
「そうだったのですね。私は、とある研究施設で試験的に作られたクローンで、同じように作られた人が何十人といます。いろいろな実験をさせられましたが、研究者たちの思うような成果がだせなく途中で命を落とす子たちが後を絶たず、六歳前後に亡くなる子殆どでした。クローン実験は失敗だったと毎日言われていました」
目の前の少女が私のクローンだと知ったとき、そういう特別なクローン施設があるのだろうと想像できた。だがその実態がそこまで非人道的だとは思わなかった。思えばラッテは検査を異様におびえていた。日ごろからひどい検査を受けていたのかもしれない。
生まれた時からそういう施設で育ったのなら、ラッテが研究者たちに従い自殺を繰り返そうとする、マインドコントロールを受けていた。でもマインドコントロールってそう簡単に解き放たれるものではないはずだ。
「私は失敗作の中でも一定の基準をクリアしているので、この件に選ばれました。私の役目はスライムをドーム外から侵入してきたと見せかけて、スバルたちをスライムに飲み込ませることでした。私は、失敗作なので生物兵器に対する体制は殆どありません。でも、十六歳まで生き延びた珍しいクローンみたいです。本当なら、こんな風に話しちゃいけないってわかっているのですが、少しでもあなたの役に立ってから死んだほうがいいかと思うようになって」
「話してくれてありがとう。あなたのおかげで今起きている状況が少しわかりやすくなるわ」
「作戦では、あなたを生け捕りにして、催眠させたまま実験道具にするという話が出ていたそうです。ずっと寝たままだなんて、死んでいるのと同じだと思います。だから、私、あの三人と一緒に元の世界に戻るべきだと思います」
「元の世界に……」
三人と一緒に戻ろうとなんて考えたことはなかった。
「ラッテはどうするの?」
「私は元々死ぬ予定だったので、行く場所もありませんし、今後の事は考えなくてもいいんです。今はあなたに質問しているのです。時空の歪はよくわからないけれど、絶対に、戻の世界に戻るべきです。あなたは三人を戻した後どうするつもりでした?」
戦闘機を強奪しニノドームの壁に穴をあけて逃げてきたのだから、私はドームでは立派な犯罪者だろう。外からの攻撃には強いドームも中側の攻撃は弱い作りになっている。だれも、中側から攻撃があることを想定して設計していなかったからだ。ドームの外に穴をあけたが、破壊された時にすぐに修正できるようなシステムがあるため、中の住民たちには特に被害はないはずだ。
ほかのドームに行っても犯罪者の私が生活もできるはずもなく、ドームに戻ればすぐに捕まり処刑されるだろう。
「そうね。三人とも無事に戻ったことを確認できたら、ラッテと一緒にこのドーム外を旅でもしましょうか」
私が軽く笑って言うと、ラッテは少し怒った顔をする。
「私は真面目に言っているのです」
「私も真面目に言っているよ。時空の歪からは四人は帰せない。三人で来たのだから、三人で戻さなければダメだし、そのための計算式しか私は知らない。今から計算をし直すのは絶対無理」
ラッテの顔に悲痛の表情が浮かぶ。
「でも、それじゃあ、あなたは死んでしまう」
「なんで、死ぬことばかり考えるのかしら。私、死ぬつもりなんて全くないわよ。私一人なら、途方に暮れたでしょうけど、ラッテもいるしアヤメもいるじゃない。だから大丈夫」
「でも、わたしは」
「自殺なんてしないでよ。私は一人きりでドーム外の生活に耐えられるほど強くないわ。ラッテも行くところがないのなら、私と一緒にいましょうよ」
「いつまで、生きていられるか私はわからないんです。施設の友人たちは年齢を重なるたびに居なくなっていきました。だから、突然死するかもしれません」
施設での待遇は想像するだけしかできないけれど、遺伝子操作のせいで死んだのだろうか。妙な実験に使われたから死んでいったのではないだろうか。どちらにしても、私にはその原因はわからない。
「亡くなるのを見るのは悲しいわね」
「…………」
「それじゃあ、こうしましょう。ラッテが死ぬまで私のそばで一緒に行動しましょう。あぁでも、自殺はやめてね」
「私の役目はもう終わったんだから、死ななきゃ……」
「自分から死ななくてもいつかは、人は死ぬのだからその時を待てばいいのよ。その時まで私にはラッテが必要だわ。あなたがいないと私は困る」
「…………私、必要ですか?」
「もちろん、あなたがいないと私はとっても困る」
「失敗作ですよ」
「それは、私の評価じゃないわ。ほかの人が付けたあなたに対する評価でしょう。私は、あなたが、失敗作っていうところを何一つ知らない。私を助けようと助言してくれているのでしょう。私のあなたに対する評価は二重丸よ」
私が微笑むと、ラッテは手に持っている紅茶に視線を移した。
「屋上から飛び降りて、助けられたとき。本当に怖くて、生きていることが、どうしようもなく怖くて。死ぬはずだったのに、まだ生が続いていることが怖くて。研究者の言う通りにできない自分の不出来に、失望していました。でも、夜にあなたの話を聞いて、私が死ぬ前に逃げられるチャンスをあなたにあげようと思いました。次に目を覚ました時、見知らぬベッドで、襲撃を受けているようで、何がなんだかわからないけど、まだ生きていることが、信じられなくてどうしたらいいのかもう、わからなかった。屋上で、何度も、戦闘機を降りて、あなたを後ろから捕まえるようにという指示が、送られていました。やろうと思えばできました。でも、また失敗したら、どうしようと思って動けませんでした」
死ぬよりも、生きていることのほうが怖いと思うような洗脳を受けていたのだろうと思うと、ラッテが可哀想だった。
「私、あなたと一緒にいてもいいのでしょうか」
「もちろんよ。さっきの二重丸をおまけにはなまるにしちゃう」
ラッテが私を見て嬉しそうに笑った。かわいらしい笑顔に私もつられて笑う。
「あの、私の遺伝子の半分はあなたのものなんです」
「えぇ。そうね」
「それで、あの」
ラッテがもじもじと、恥ずかしそうに私を見ている。なんだろう。
「お母さんって呼んでもいいですか?」
軽く上ずった声で言われて、私の体が一瞬硬直する。私、二十八歳で十六歳の子供を持つような母親じゃない。でも、ラッテはキラキラとした純粋な眼で私を見てくる。
「だめ、ですか?」
不安そうに眼が揺れている。
「お、お姉さんじゃだめかしら……?」
「……お母さんはダメすよね……。ご免なさい……」
ラッテは施設で育ったと言っていた。母親代わりになる人もいなかったのかもしれない。母親というものに強い憧れがあるのだろう。
「わ、わかったわ」
「本当ですか!? 有難うございます。えっとあの、お母さん」
ラッテは愛らしく微笑む。でもお母さんって、心臓にダメージがある。あれ、もしかして、これからずっとそう呼ばれることになるのだろうか。やっぱりやめてもらえばよかったとちょっと思ったけど、口の中で何度もお母さんと恥ずかしそうに呟いているラッテにそんなこと言えなかった。




