二十七話
彩音が泣きそうな顔で戦闘機から降りて行った。何の躊躇もなく、降りて行ったその姿を見て俺たちは困惑していた。細菌兵器が外にはあって、出たら死ぬのかと思っていたけれどそういうものではないらしい。
妹の彩音は、泣きたいときはすぐにその場で泣いていた。でも、大人になった彩音は俺たちの前では泣けないらしい。そのことが少し寂しく思えた。俺の知らない二十二年間で、彩音は人前で泣かなくなったのだ。今までどんな生活をしていたのだろう。
シューアムといる時は、幸せそうに笑っていた。俺がいるのも気にしないぐらい二人でいちゃいちゃとハートマークを飛ばしていたから、幸せなのだろうと思っていた。
でも、彩音が気を失う前に起きたことで、彩音は立ち直れないぐらいショックを受けているようだった。
「俺、ちょっと見てくる。愛美たちはここにいて」
彩音が気になった。だから降りようとしたら、陽菜たちに止められた。
「彩音ちゃんはブレスレットしていたから平気で降りたのかもしれないよ。ほら、防御シールドっていうのを張ったのかもしれない」
「そうだよ、昴が降りて、細菌兵器にやられたらどうするの? 大人しくここにいるべきだよ」
「兄の俺が、一人で泣いている妹を放っていけないだろ。それに、俺、平気だから」
二人の静止を振り切り俺は扉を開けて降りた。
二人の言う通り、彩音がブレスレットの防御シールドを張っていたから迷わず降りたのかもしれない。実は今の俺は、今までとちょっと違うのだ。
女神の加護があるから、という理由じゃない。
戦闘機を降りると乾いた地面を踏みしめた。草も生きているのか分からないぐらい、弱弱しく生えている。これが、戦争によって荒れ果てた世界の果てなのだ。
鳥の気配も、獣の気配も全くない。虫一匹すら見つけられない、枯れた土地だ。彩音はこの土地に六歳でやってきたのだ。もし、彩音の言う通り日本に帰ることができたのなら、俺たちが戻ってきた時にどこかに隠れている彩音を捕まえて、ここに来られないようにしよう。
戦闘機の周りを少し歩くと、彩音はすぐに見つけられた。蹲って泣いているようだった。お菓子を勝手に食べた事を怒って、押し入れに閉じ込めた時、こんな格好で泣いていた、六歳の妹の姿と重なって見えた。
何も言わず隣に座り頭をなでる。彩音はびっくりして俺を見たけれど、気にせず頭をなでた。妹の彩音が泣いている時よくこうやって慰めていた。アヤメは何か言いたそうな顔で俺を見たけれど、涙が止まらないようでなでられたまま俺の肩に頭を預けた。
俺が彩音だと知っていると気が付いたのかもしれない。そのまましばらく彩音が落ち着くまで頭をなでた。
日が暮れ始めて、彩音は涙をまだ右手にしているハンカチで拭って顔を上げた。目が真っ赤で、いつも澄ました顔をしていた大人の彩音が、六歳の妹の彩音の顔にそっくりだった。やっぱり同一人物だと、改めて思った。
「ありがとう、もう、大丈夫だから」
「何があったのか、話してくれないか?」
彩音の表情がまた暗くなる。
「……そうね、今のこの状況をみんなに伝えなければね。でも、その前に、いつから気が付いていたの?」
「アーネが彩音って?」
彩音はやっぱりさっき俺がなでたことで気が付いていると分かったらしい。少し、睨まれるように見られて肩を挙げる。俺に隠していたのはそっちなのに、なんで怒られるように睨まれるのだろう。
「確信したのは病院で、日本語をしゃべっていた時。でもその前から、彩音に似ているって思っていたし、ここって、東洋系っぽいのや、西洋系っぽいのがいて人種もさまざまいるみたいだけどさ、日本人って顔はやっぱりわかるよ」
「じゃあ、私が妹だって疑っている時から、無茶しまくっていたその理由を教えてほしいわ。屋敷で保護しようとした時、掃除を頼んでいたのに、外に出た理由は? あれがなければスライムとも遭遇しなかったでしょう」
昔の事を思い出して、畳みかけてくるなんて夫婦喧嘩の時のお母さんみたいだ。げっと顔を歪ませる。
「あれは、すごい悲鳴が聞こえて、何かと思って飛び出したんだよ。屋敷から逃げ出そうとしたわけじゃないって」
「どうだか。夜あったとき、嘘を付こうって顔をしていたし、明日決行するって言っていたあれはなに?」
「聞いていたのか? ちょっと、外に出て周りを見ようって愛美と陽菜たちと話していたんだよ。屋敷でずっと掃除しているだけで、七日間しかいられないドームの生活をここで終わるのはもったいないと思ってさ」
「屋敷で小火を起こしたのは愛美と陽菜なのだから片づけをするのは当然でしょう」
「愛美たちは片付けなきゃって、嫌がったんだけど、ほら、彩音とあいつがいない間しか、自由に動けるときないだろ。だからちょっと出てみようって。逃げようとはしていないよ。本当にちょっと歩いたら戻るつもりだったし」
「愛美たちが止めたのを昴が強引に連れて行こうとしたのね。そのちょっとならいいだろうっていう傲慢さで、今までどれだけ私たちに迷惑をかけたかちゃんと理解しているの?」
「傲慢だなんて……」
「違うの? 女神の加護とかどうとか恥ずかしいこと言っているって自覚している?」
「いきなりトリップしたら、なんか選ばれた者っぽくてカッコいいだろ? なんかチートな能力あってもいいと思うだろ?」
「思いません」
「六歳で来た時、思ったりしなかった?」
「この草原のようなところにぽつんと現れて、私が自分は特別だからだからここに来たって思えるはずがないでしょ。三日三晩泣いて、雑草食べて、懐中電灯を分解させて入れ物にして雨水をためて、ポケットにあった飴玉だけで生き延びたんだから。衰弱して死ぬかと思ったときに助けてもらって生き延びたのよ」
「それは、本当に大変だったな」
「大変だったけれど、もうそれはいいのよ。これからもう変な行動はとらないと約束してほしいの」
俺はもちろん大きくうなずいた。
「変な行動なんてしない」
頷いたのに、彩音は眉をひそめる。
「昴の基準じゃなくて、私の基準で変な行動はとらないという意味よ」
「わかっているって。彩音を困らせるような事はしない」
「…………本当に約束よ。一人で突っ走ったりしないでよ」
「しないって、そんなに兄が信用できないのか」
大げさにため息を吐くと、彩音は即答した。
「今までの事があるから信用するのは難しいわね」
「ひどい言われようだな」
「言っておくけど、女神の加護はないからね」
「わかったって、チートな能力はないんだろ」
しつこい彩音にちょっとうんざりする。今の俺に対する評価が、恐ろしく低いと言う事がよく分かった。俺的には、変な行動だと思ってはいないのだけど、確かにちょっと無理をしたし、彩音に迷惑がかかるようなことをしたような気もする。
戦闘機に戻る最中にも、もう一度念押しの変な行動はしないでと言われて、さらにうんざりとした。
戦闘機に戻り彩音から今の状況を話し合うことになった。あと一日で、俺たちが家に帰れる歪が生まれる。同じ数値で調節した歪に入らなければ家に帰れない。その歪を生み出すのは、ドーム内の研究所だ。そこに戻らなければ帰れる道は開かない。
どうやって行くつもりなのだろうと、彩音に聞くと彼女から帰ってきた言葉は予想と違っていた。
「ドームには戻らないわ。機材さえあれば歪を調節ができる。二十二年前、私がこの世界に来た場所から、三人を日本に戻すわ」




