二十二話
マフィアに連れてこられたのは、少しさびれたホテルの一室だ。作りが古いので、この地下施設を作った当初からあるホテルのようだった。
そして、ここに来るまでが大変だった。
変態マフィアが愛美にしつこく話しかけるせいで、昴の『守らなきゃスイッチ』が入った。愛美を守ろうとして、変態マフィアと口論を起こしたのだ。はたから見ていると幼稚園児の玩具の取り合いのような言葉のやりとりに、うんざりしていると、護衛と思しき四人の男もそんな目で彼らのやりとりを見ていた。
「苦労しますね」
話しかけると、四人のうち一番背の高いのっぺりとした男が厳つい顔で困ったように笑った。変態マフィアのお守りは大変なのだろう。
つかみ合いの喧嘩をしそうになるのはさすがに止めた。変態マフィアは愛美に罵倒されるたびに嬉しそうに笑っていた。怖い。愛美を変な目で見ないでほしい。
ボスは私と話したいそうで、二人きりじゃなければ会わないといわれた。だが、昴たちを野放しにすると、何をしでかすかわからない。何をされるかもわからないので、それだけは、許可できなかった。
結局昴たちも同席することになり、ボスと対面する。
木の椅子に座っているボスを驚いて凝視する。七十前半の男は白髪をオールバックにし、黒いスーツを着ていた。貫録のある男は常に眉間にしわが寄っている。
私の知っている人がそこにいたからだ。私をドーム外で発見してくれた私の恩師。日本語を翻訳する機能を作ってくれたエンジニア、私にこちらの言葉を教えてくれた人でもある。恩師の経営する教育施設に、私は六歳から十歳まで通いこちらについて学んだのだ。
彼を頼りにここまで来た。それが、マフィアのボスだったなんて知らなかった。政府のデータベースにも違う人の顔写真が出ていた。目で人を殺せそうなほど、鋭い目つきだし厳しい人だったが、マフィアのボスだったなんて思いもしなかった。
「久しぶりだね。彩音」
ゆったりと話す恩師は私を栗色の瞳で静かに見ていた。
「お久しぶりです」
「驚かせてしまったね」
「はい。先生は……マフィアだったのですか」
私は彼のことを先生と呼んで慕っている。いまだに月に一回はメールを送り近況を知らせていた。
「君には知らせていなかったね。孫に手荒なことはされなかったかい?」
あっさりと、ボスだと認められてショックが隠せない。
マフィアのボスって、私の恩師が犯罪者だったなんてショックすぎる。祖父か父親のように慕っていたのに。
「……大丈夫です」
私がショックを受けている事に、気づいていながらも恩師は気に留めた様子はなく話を続ける。
「君が私に会いに来ていると思ってね。君たちは目立つので何かあってからでは遅いと思い、孫に連れてきてもらうことにしたのだ」
マフィアのボスの孫が迎えに来た人を誰も、襲ったりしないだろう。でも私たちが歩いている以上に、マフィアの孫に捕まる人なんて余計に目立つ。悪目立ちしすぎだと思う。それに心臓に悪い。
「お気遣いありがとうございます」
嫌味を込めていったのに、恩師はまるで気にしていない。
「君に今起きていることを教えようと思うが、その前に今身に着けているブレスレット、端末類、銃をすべてこちらに渡してくれるか」
私は思わず険しい顔をする。この状況で、装備品を外すのは危険行為だ。恩師が私たちの敵であると判明はしていないが、味方とも限らない。
私を監視しているというのが、恩師という可能性だってある。
「信用できないだろうね。当然だ。だが、それらを破壊しない限り私は真実を話せない」
無理に外させることもできるのだ。ここは恩師に従うしかない。
「代わりの物を用意してもらえますか?」
「いいだろう」
私は後ろにいた昴たちにも同じようにブレスレットを外し私に渡すように言う。昴が心配そうに見てくるが、私は大丈夫だと微笑み返す。
アヤメはアンドロイドなので記録装置が付いているため、この場所に同席させられないと拒否されたのだ。外を見張ってもらっている。気をいまだに失っているラッテは椅子の上に座らせて、昴が寄り添っている。愛美と陽菜がお互いの手を掴み不安そうな顔で私たちの会話を聞いていた。
ブレスレットや銃を渡すが、シュアからもらった婚約指輪だけは、一見ただの婚約指輪なので外さない。恩師もこの指輪に仕掛けがあると思っていないようで、見逃した。
外したブレスレットをテーブルに置くとそばに控えていた黒服の男が外した装備品を部屋の外に持っていく。
恩師は自分の前のテーブルに肘をついて手を握り私を見た。
「さて、彩音の同郷の少年たちが何に使われようとしているか、検討はついているかな?」
「生物兵器に対する実験でしょうか?」
昴たちに特殊なことがあるとしたら、私と同じ、ドーム外の生物に耐性があることぐらいだ。生物兵器対策室の司令が連れ去ろうとしていた事も、それなら納得がいく。
私も小さい時に、いくつかの実験に協力したことがある。血を取られたりよくわからない液体につけられたり、装置をつけて走らされたり、そんな感じだ。痛い思いはしていない。
恩師は頷く。
「君たちの世界の人間はなぜか、生物兵器に耐性がある。そのことについて、調べようとしている組織があるのだ」
「政府ではないのですか?」
「政府ではあるが、正式な政府の組織ではない。政府の中にある、ドーム外に興味がある過激派というところだろうか」
過激派。私も政府の特殊班に属していたのに、まったく存在を気が付けなかった。悔しい。私は政府で八年も働いていたのに、そんな組織があることに気が付けなかったのだろう。間抜けすぎる。
自分も関係してくることなので、こんな、急に逃げることになろうとも、対策が取れたはずだった。
「君には知られないように、動いていた組織だ。知らなくても当然だろう」
「それでも、気が付くべきでした」
生物兵器対策班の司令が属する組織に、泳がされていたのだ。悔しくて、手に力がこもる。私のミスで、昴たちを日本に帰してあげることができなくなるかもしれない。
あと三日で、帰れるはずだった。でも、時空歪研究所に行かなければ、同じ歪を生み出すことができない。私一人では、研究所をジャックすることもできないだろうし、特殊班の人たちが待ち構えているだろうから、捕まってしまうだろう。
「彩音が私に協力するというのなら、君の兄と従姉たちをもとの世界に帰す手助けをしてもいいと思っている」
「……どのような協力でしょうか?」
恩師がマフィアだと知る前なら手放しにその言葉を喜んだだろう。でも、もうだめだ。マフィアである恩師が、要求する協力というのが恐ろしい。
すべてに裏があるように感じる。私を教育したのだって、本当はマフィアにするつもりだったとか、そんな事を思ってしまう。
「君の卵子がほしい」
思っていた事と、だいぶ違う要求が来て驚いた。
このドームは、夫婦にならないと子供ができないように管理されている。それは、女性は初潮が来ると同時に子供ができないように施術を受ける決まりがあるからだ。ドームと言う、限られた生活空間で生きていくドームの住民は人口を調節する必要があるからだ。
「…………私の遺伝子を持つ、生物兵器に耐性があるであろう子供がほしいのですか?」
「本当は、私の孫と結婚してほしかったのだがね」
「無理だと思います」
私にあの変態マフィアと結婚しろなんて冗談じゃない。
「そうだろう。だから、卵子を提供してくれるだけでいい。その後はこちらで育てていく」
「私の子供を実験道具のように使われるのは、許せません」
「愛情もって、君のように教育していくよ」
私の表情が曇る。私にこちらの常識を教えてくれたのは、恩師だ。言葉を教えてくれて、厳しい時もあったけど優しく暖かな人だと思っていた。
「彩音が育てたいというのなら、私はかまわないよ」
「生物兵器に耐性のある子供たちを育てたとして、何に使う気ですか? 子供を大量に生産して、ドーム外に進出でもするつもりですか?」
恩師は片方の口を上げて笑う。
「ドームの外で制限なく動ける人員は、貴重なのだよ」
ぞっとする。子供を育ててドーム外で働ける労働源として、過激派に売る気でいるのだ。
「アンドロイドではだめなのですか?」
新たなドームを建設や、ドーム外の調査には専用に開発されたアンドロイドがいる。それで、十分のはずだ。危険なことに人を使う必要なんてないはずだ。
「アンドロイドでは、システムを自在に動かすことができないだろう。ドーム外でアンドロイドとともに動き指示を出せるほうが、効率も上がる。それに何より、アンドロイド一体作るよりも、優秀な人材を一人育てたほうが使い勝手がいい。そうは思わないかい?」
私でそれが証明されていると言いたいのか。
「考える時間をください」
「時間はない。今すぐ決めてもらいたい。君が否というはずがないと分かっているよ」
私の後ろにいる、昴たちを見て静かに言った。
同じドーム外の生物に耐性がある遺伝子を持つ子供たち。彼らから、卵子、精子を取ることも可能だと言っている。
昴たちから遺伝子を取ることを強制しないことだけ、恩師の優しさなのだろうか。
「わかりました。でも、それをするのは、昴、愛美、陽菜の三人が無事に元の世界に帰ったことを見届けたら、先生の言うとおりにします」
「もちろんだ」
恩師は、マフィアのボスらしい顔で微笑んだ。
ホテルの一室に私、昴、愛美、陽菜、ラッテ、アヤメの五人と一体の部屋をもらった。別々の部屋になることを私が拒否したから、三人部屋に詰まっている。
恩師は、私の持っていたブレスレットの代わりの物をくれると言っていたが、それはすべて終わった時にと言われた。ここから脱走することのないように、何のシステムも使えない状態にされている。
部屋の前には監視はいない。だが、この部屋に監視カメラが付いているので、私たちの動きは筒抜けだろう。
いまだに気を失っている、ラッテをベッドに寝かせて、他の二つのベッドの上に私と昴、愛美と陽菜で座っていた。三人には、会ったのは私の恩師で、帰れるまで匿ってくれることになったと話した。
よかったと能天気に話す、人はいなかった。私と恩師が話していた内容はわからなくても、その時の空気からよい内容ではないと分かったのだろう。
「アーネ、大丈夫なのか?」
昴が心配そうに私を見る。
「大丈夫、三人を無事に日本に帰すから」
「ねぇ、ここから逃げ出したほうがいいんじゃないの? 絶対やばい空気するよ」
「逃げ出すのは無理でしょうね」
私が、困った時に恩師を頼るとわかっていたから、恩師は今まで私を放っていたのだろうか。
私の遺伝子が欲しいのなら、小さい時に監禁して遺伝子を採取したほうがよほど効率よく出来だっただろう。昴たちが来るまで待つ必要なんてなかったはずだ。
それとも、昴たちが渡りをしてくるまで、待つ必要がどこかにあったのだろうか。
帰す。その言葉のどこに信用性があるのだろう。四人の貴重な、ドーム外に耐性のある遺伝子が手元にあるのだ。帰すはずがない。昴たちが精神不安にならないために、私がいるのか。
渡りをしてきた当初の昴たちを、私がいない状態で受け入れたとしたら、彼らは自滅した可能性が高い。
だから、私は野放しのまま育てられて、今まで自由だったのか。昔から、昴たちが日本に帰れるようにすると断言していた。恩師にすれば、私を手玉に取ることはたやすいことだったのだろう。
「アーネ?」
「アーネさん、大丈夫?」
「ごめんなさい。私が、」
無事に帰してあげたかった。でも、こうして捕まる原因を作ったのはすべて私だ。




