第10話 ママラッチ
すさまじい久々更新。以下友人とのやり取りになります。
「いつぶりよ、更新するの」
「とりあえず年単位にはなってますな」
「そこだけは原作準拠だなwww」
「比べるなよ失礼だろwww」
優雅なティータイムとはどういった条件で成り立つものか。
香り豊かな紅茶、同じく芳しい香りの焼菓子。物品だけではなくシチュエーションも重要なのだろう。
休日の昼下がり、夏の陽気を部屋の中から眺めつつも薄らと空けられた窓から入る爽やかな風をそっと頬で感じる。
考えれば幾らでも思いつくだろうし人によって条件など様々だろう。記憶の無い彼にもそれなりに条件がある。
ただ一つ言えるとすれば……。
「えへへー!」
黒髪の美少女が鼻息荒く目前に迫っていない事は最低条件だろう。
†
自宅周辺に大量に咲いたハルジオンが微風に揺られる。それに合わせて幽香も上体を左右に揺らして微笑む。
彼女の膝に顔を埋めた彼も至福の表情で幽香を顎下から眺める。
パシャッ!
不意に何かを叩いたような音が耳に入り彼が辺りを見回すと見知らぬ少女がカメラのファインダー越しにこちらを見ていた。
カメラに隠れて目元は見えないが口元がニヤついている辺り上機嫌らしい。
「失礼失礼。良い絵面だったものでつい撮ってしまいました」
ペコリと軽く頭を下げてはいるが大して悪びれた様子は無い。顔を上げた少女は柔和な表情で彼を見つめる。
「被写体が良いものね。当然だわ」
「まったくその通りです」
冗談とも本気とも言えぬ話し方ではあるが不思議と不快さは無かった。
「ややっ! 貴方が噂の同居人さんですね!」
食い入るように、というか本当にそのまま食らい付きそうな勢いで彼に顔を近づける。
「だ、だれ?」
「これはこれはご挨拶が遅れましたね。私こういうものです」
半歩下がり懐から勢い良く紙切れを取り出して彼に差し出す。挙動一つ一つがなんとも芝居掛かっていた。
「射……命……丸……ぶ「あや、です」あ、はい」
「ほら、あなたがこの前読んでた新聞を書いてる人よ」
「えっ」
今度は逆に彼が文に顔を近づける。なんだなんだ、というような表情の文にクスクスと笑いながら幽香が説明する。
「その子あなたの新聞のファンなのよ」
「あややっ。なんと私のファンとは嬉しいですねぇ」
「あんたじゃなくて『新聞』のファンよ」
「私の新聞を好いているという事はすなわち私自身を好いているという他ありませんよ」
はいはい、とベンチの肘掛けに頬杖をつく幽香を尻目に文は彼の頭を撫でくり回しながら尋ねる。
「最近はどんな記事が面白かったですかー?」
「『妖怪の山、夏の川釣り大会!』の記事が面白かった」
「あーあれは私的にも自信のある記事なんですよねぇ」
余談ではあるが大会優勝者は参加者最年少の三平くん(9才)だったらしい。
「で、今日は何しにきたのよ」
「まぁまぁ積もる話はお茶でも飲みながらにしましょうよ」
そういうと一体どこから取り出したのか小包をちらつかせる。最近里で流行っているとかいう西洋菓子店の物である事を幽香は知っていた。
「あらあら珍しくハイカラなお土産ね」
「仕事柄新しい物はどんどん取り込む派なんですよ」
「ミーハーね」
というかつい最近の新聞で紹介されていたのである。店側の許可を得て掲載したのかは定かで無いが。
ほれほれいきますよ、と文が彼を押して家の中に上がり込んでいく。その後を追いながら幽香も「やれやれ」とかぶりを振った。
†
「ていうか」
ガラス製のポットの中でユラユラと揺れる茶葉を眺めながら幽香がポツリと呟く。リビングからは彼と文の他愛もない雑談が聞こえていた。
「あなたどこで嗅ぎつけてきたの?」
適度に蒸らされ甘く芳醇な香りがキッチンに充満していく。先日紅魔館を訪れた際に咲夜に分けてもらったアッサムのファーストフラッシュである。
今のところ幻想郷で彼の存在を知っている人物は少ない。いくらブン屋といえども前情報無しでここを訪ねて来るほど暇では無いだろう。
「ああそれはですね」
要約すると数日前に魔理沙と箒の二人乗りをしている彼を偶然見かけたものの用事があった為その場は特に気に留めずにいた。が、後日新聞のネタ探しをしている時にふと思い出し魔理沙に根掘り葉堀り尋ねてここに来たという。
「珍しい植物の群生地を教えてあげたらペラペラ話してくれましたよ」
「(あのおしゃべりめ)」
今頃はその珍しい植物の群生地とやらではしゃいでいるだろう魔理沙を想像しながら幽香はため息をついた。
同じ花柄のカップと平皿にそれぞれ紅茶とクッキーを乗せてリビングへと向かうと文の手により困り顔の彼が写真に収められていた。
彼と文の対面に座りクッキーを一つ口に運ぶ。普段幻想郷の住民のおやつと言えば和菓子が主流だろう。それに合わせたのかバターはやや控えめで軽いクッキーだった。
「中々ね。これなら贔屓にしてもいいかな」
「いくつか種類があったんですけどそれが一番人気らしいですよ」
「へぇ、今度覗いてみようかしら」
「紅茶に合う」
紅茶を啜りながら彼がぼそりと呟いた。
「で、あなたがわざわざお土産を持って来るなんて一体どういう風の吹き回しなのかしら?」
彼の隣で悠々と紅茶を啜っている文に問うと懐から小さな手帖とガラスペンを取り出した。
「そりゃあ私ですからね。それくらいの風吹き回すくらい朝飯前です。さ、取材させてください」
「取材ってなに?」
「あなたの事をいろいろ教えて頂く、ってとこですかね」
ペラペラと手帖と舌を捲りながら文が答える。いつの間にやらテーブルの上には携帯用の小さなインクボトルが置かれていた。
「そしてその内容を私が精査し最終的に文々。新聞の記事の一つとなるわけです」
「え、やだ」
「え、なんでですか」
彼の即答にさらに即答を重ねる。幽香はというと二人のやり取りを眺めながらニヤニヤしていた。
「なんか恥ずかしいし……」
「ご安心ください! ちゃんと写真にも目線入れますし名前も仮称にしますよ!」
幻想郷はそう広くない。モザイクを入れたところでそんなに効果は無いのだ。
「えぇ……」
「お願いしますよー! ほら、クッキー食べて食べて」
渋る彼の口に文がひょいひょいっとクッキーを押し込んでいく。3枚目を入れたところで彼が「ごめんもういらない」と4枚目のクッキーを手にした文を止めた。実際は「もめぬもむいままい」みたいな感じであったが。
「ねーいいでしょう? 減るもんでもあるまいし」
「んー……」
もそもそとクッキーを咀嚼する彼の頬を指で突っつきながらニコニコしている文に幽香が声を掛けた。彼の唸りが取材について悩んでいるのか、或いは現在進行系で口の中の水分を奪われている事へのささやかな悲鳴なのかは謎である。
「なんだか珍しいわね」
「あ、わかります? このペンこの前香霖堂で見つけたんですよ」
「そっちじゃなくて貴女よ」
「へ?」
指先でガラスペンを遊ばせながら首を傾げる。もう片方の手では彼の頬を突き続けているのだから器用だ。
「取材相手と強者にだけはかしこまる貴女が随分とフランクな取材をするなぁって」
頬杖をつきテーブルの下でゆっくりと脚を組み替えて幽香がニコリと笑う。が、目は全く笑っておらず、言葉の裏には皮肉のような威圧のようなものが見えた。
「……いえいえ! 別に取ってやろうとかそういうんでは無くてですね!」
一瞬ピクリと肩を震わせた文が彼を突く手を引っ込め、あたふたと弁解するかのようにかぶりを振る。同じく目は笑っていないがさらっと余計な一言を残していくのは最早性格なのか職業柄なのかは分からない。
「なんていうか彼、最初遠目で見た時にはプレッシャーというか近付き難いものを感じたのですが近くでみるとあら不思議! なんとも接しやすいような愛嬌とでも言うんですかねぇ。そうなるとちょっかい出したくなってしまっていやーまったく困ったものですね。もしかして以前何処かでお会いした事あります? なーんてアハハ」
早口。いや速口か。殊勝な言い訳、というよりは捲し立てるような口調に幽香も「ふーん」と鼻を鳴らす。
「ま、そういう事にしといてあげるわ」
頬杖を崩し、椅子の背もたれに寄りかかった時には幽香の表情もいつもの柔和なものに戻っていた。というよりそもそもからかっていただけなのかもしれない。
「で、如何です?」
いい加減クッキーは嚥下したものの、二人のやり取りを飲み込めていない彼は「え、何が?」と言いたげな目で文を見る。
「取材ですよ! あなたの事を根掘り葉掘りあんなことからこんなことまで教えてくださいって話ですよ!」
「やだ」
二文字で拒否。聞き分けの無い子供でももう少しくらいは聞く耳を持っているだろう。
「わかりました決めました!」
「今度の新聞はお休みするってことを、かしら」
「取材させてくれるまで此処を一歩も動きません!」
幽香相手にこんな強情な事を言えばどうなるか。掛取り万歳よろしく「ならやってもらおうかしら」となるか或いは石抱きでもさせられるか、である。
それより早く動いたのは意外にも彼であった。
「じゃあ俺ちょっと出掛けてくる」
「ちょっと待ってくださいよぉぉぉ!」
立ち上がる彼の脚にガバーっと文がしがみ付く。
「今動かないって言ったのに!」
「お花摘みとあなたを追いかける時だけ動きます!」
「花摘んだりしたら幽香にぶっとばされるよ?」
「……お手洗いって意味よ」
どこか食い違った解釈をしている彼に幽香が補足する。トイレくらいでそこまで怒るほど彼女も短気では無い。
「……もうわかったよ。取材でもなんでも受けるからそれでいいでしょ?」
「今なんでもするっていいました?」
「言ってないわよ」
とうとう観念した彼が再び椅子に座る。文はというと既にパシャパシャとシャッターを切っていた。
こうして彼への取材が始まった。が、記憶も無い。名前も覚えていない。わかっているのは自分の種族ぐらい。
そんな子供のおつかいメモ程度の情報量しかない彼から大したネタを得られないと文が気付くまでにそう時間は掛からず、しょんぼりと肩を落として彼女が帰宅したのも同じ頃だった。
†
文による突撃取材の翌日の事である。
幽香と彼はといえばいつものように花を眺めながら過ごしていた。
そろそろお茶にしましょうか、と幽香が家の方に向かって歩き、彼もそれに続く。
幽香の隣を歩く彼の足元ではシュルシュルと音を立てて影が掃除機のコードのように巻き取られていく。
「何か面白いものあった?」
徐々に影を動かす事に慣れてきた彼は最近こうして影を伸ばし、花畑中に張り巡らせて遊んでいた。
というのも伸ばした影と彼は感覚を共有出来るらしく。触覚はもちろん、どういう原理でかは謎だが視覚も共有している。といっても見えるのは虫と日陰でジッとしている蛙くらいのものであるが。
「カマキリが喧嘩してた」
「あらあら楽しそうね」
そして彼が見たもの……影で見たものはもちろん自身の目で見たものをティータイム時に幽香へ報告するのが最近の日課であった。
「ん」
「どしたの?」
鼻をヒクつかせて彼が周囲を見回す。同時に目の様な模様が浮き出た無数の影が四方八方へと一斉に散っていった。
「誰か来る」
「誰か来るったって誰も居ないじゃないの」
同じく幽香も辺りを見渡すが人っ子一人居ない。そもそも彼女のテリトリーに足を踏み入れる者などこの幻想郷では限られているのだから。
「霊夢や魔理沙達でも来たのかしら」
「ううん、嗅いだ事の無い匂い」
あんたは犬か、とツッコミを入れたところで幽香も来訪者の気配に気づいた。
振り返ると花畑の更に向こうの小川の反対岸を歩く人影が見えた。彼が反応したタイミングから逆算すると500m以上離れた場所を移動する気配や、彼の言うところの「匂い」に気づいたという事になる。
「(犬ってよりか狼のレヴェルね)」
「嗅いだ事無いけど知ってる匂い 。幽香にちょっと似てる」
「もう引っ込めて大丈夫よ。知り合いだから」
幽香が宥めた途端に散った影が一斉に戻ってきた。やはり犬かもしれない。
†
「こんにちは」
「久しぶりねアリス」
少しして訪問者が到着した。声を掛けられた幽香は未だ警戒態勢の彼の頭を撫でている。
訪ねてきたのはアリス・マーガトロイド。幻想郷では割と有名人である。
魔理沙と同じく魔法使いであり、お手製の人形を使って里の子供達に人形劇を見せているのだとか。
「実家に帰ってたのよ。はいお土産」
アリスに手渡された紙袋を彼に預け、幽香がもう一人の来客を一瞥する。
彼もようやく警戒を解き幽香の半歩後ろに下がった。
「で、貴女はわざわざ娘の見送りに来たってとこかしら?」
「ええ、あなた達がちゃんとご飯食べて元気にしてるかなって気になっちゃって」
アリスの後ろからひょっこりと顔を出した女性に幽香とアリスがため息をつく。
「神綺、貴女一応公人なのよ。わざわざこんな田舎くんだりまで足を運ばなくても誰かに任せられたでしょうに」
「可愛い子供達の近況を確かめに来る親心です。もう、ちょっとくらい喜んでくれてもいいじゃない」
ぷんぷん、と拗ねた振りをする神綺のアホ毛がピョコピョコと揺れる。隣で「来なくていいって言ったのに聞かないのよ」とぼやくアリスに幽香も珍しく同情の目を向けた。
「ところでいつのまにボーイフレンドなんて出来たのよ」
「可愛いでしょ。あげないわよ?」
軽口を叩き合う。こういったやり取りは長い時を生きる彼女達ならではの物なのかもしれない。
アリスの視線が彼に移る。
「お名前はなんていうのかしら?」
茶化すように尋ねるアリスに彼が言い淀む。なにせ名乗る名前など無いのだから。
アリスもまた端整な顔立ちをしている。それこそ彼女が弾幕ごっこから人形劇、果ては普段の家事にまで使用している人形がそのまま命を得て喋っているかのようだった。
「こらこら、弟をイジメないの。お姉ちゃんでしょ?」
アリスより大分身長の低い神綺が注意する。神綺の体格や醸し出す雰囲気は幽香とはまた違うものの確かに母性の様な物を感じる。が、知らない者から見れば姉妹にしか見えないだろう。当然だがアリスが姉で神綺が妹である。
「別にイジメたりなんかしてないわよ」
「ちょっと待って貴女今なんて……」
聞き捨てならない台詞に幽香が訝しむ。一拍遅れてアリスも「へ?」といった顔をした。話題の中心である彼はといえば何時ものようにボケーっとした顔をしている。
「なにってそのままの意味よ。この子は私の子供でアリスちゃんの弟。まぁある意味では幽香ちゃんの弟でもあるのかしらね」
よしよーしと彼の頭を撫でながらしれっと言ってのける神綺に絶句し幽香とアリスが完全に硬直する。
暫らく止まったと思われた時間だったが神綺の「まぁ続きはお茶でも飲みながら話しましょう」という発言により無事息を吹き返した。
†
「えーと……」
「どこから何を聞けばいいのやら……」
眉間を揉みほぐす幽香とこめかみの辺りを手で押さえるアリス。彼女達とテーブルを挟んで座った神綺はアイスティーの入ったグラスを傾けている。
その隣に座っている彼はアリスのお土産の「魔界ビスケット〜毛玉風味〜」なる謎のお菓子を食べていた。(味は……謎である)
「えっと……じゃあ私からいいかしら?」
困惑。この言葉がぴったりと当てはまるような表情でアリスが切り出した。
「そこで座ってビスケットを齧ってる私の……弟はどうして此処で暮らしているのかしら」
「あー……それはね」
絡まり過ぎた毛糸玉をそっと端に寄せた様だった。要するに「それは置いといて」で話を進めていく訳である。
アリスの問いに幽香が答える。一時間程掛けて彼女はアリス達に彼との出会い、記憶喪失の事やら影を操れますやら悪魔らしいですやらをザックリと説明した。
「というわけよ」
「そう……」
それに対するアリスの反応は「納得」というよりは「お腹いっぱい」といった感じである。
「じゃあ次は私ね」
幽香がグラスの中身を飲み干す。あれだけ喋れば喉も渇くというものである。
同時に彼が素早くキッチンへと影を伸ばす。伸びた影はまるで食虫植物が小さな虫を捕らえるのにも似た動きでティーポッドを掴んで戻ってきた。
そしてそのまま幽香の空いたグラスへと紅茶を注ぎ、再びキッチンへと引っ込む。最近ではこういった細かな動きも出来るようになり、皿を戸棚に片付ける時や洗濯の際に使われているらしい。
「ありがと」
「うん」
幽香が優しく微笑むと彼も同じように笑った。
「イチャイチャするのも良いけど話を続けない?」
一連の流れを見てアリスが苦笑い。神綺も「あらあら」と笑っていた。
こほん、と幽香が咳払いをする。
「その前にあなた達の事を彼に紹介しないと」
「ああそういえば忘れてたわね」
そう言うとアリスが何やら手をわしゃわしゃと動かす。
「上海おいで」
その様子を不思議そうに見ている彼の頭の上にはいつの間にか一体の人形が乗っていた。わ、と本当に驚いているのか分かりづらい彼の反応にアリスが「クスクス」と笑う。
「アリス・マーガトロイドよ。あなたのお姉さん……らしいわ」
幽香が説明していると上海と呼ばれた人形はテーブルへと降りた。そのまま器用にビスケットを一枚掴み、アホの様に口を開いている彼の口に押し込んだ。
「ふふ、ほら、おいしい?」
「多分この子人形ってこういう物だって思ってるわよ」
上機嫌のアリスに幽香が言う。人形自体初めて見た彼からすれば世の中の人形全てがこうなのだろうと思えるだろう。
実際はそもそも人形という物自体を理解しておらず「こういう生き物」と思っていたという事が後日判明する。
「まぁいいわ。で、こっちが神綺。あなたのお母さんらしいわね」
「ママですよー」
ニコニコ顔で神綺が彼に両手を振る。
「お母さん……」
彼の反応に幽香の表情が渋くなる。恐らく母親、姉といったものにイマイチピンと来ていないな、と察した幽香が補足する。
「あなたが生まれたであろう場所の事を魔界っていうの。神綺はその魔界を作った神様。魔界神ってわけ」
「つまり私からしたらそこで生まれたあなたもアリスちゃんも幽香ちゃんも可愛い可愛い子供達ってこと」
「じゃあ幽香も俺のお姉ちゃんなの?」
どうやら理解したらしく彼は幽香に尋ねる。アリスも確かに、といった顔で神綺を見た。
「まー私から見れば魔界で生まれたみんなが家族で兄弟みたいなものだからある意味ではあってるのかなぁ」
頬に手を当てて神綺が首を傾げる。あぁこれは特に考えていないな、とアリスは溜め息をついた。
そもそも妖怪というものはその成立ちからあまり家族といったコミュニケーョンを取らない。
彼の把握している限りでも紅魔館のスカーレット姉妹や先日遊びに来たプリズムリバー三姉妹らが挙げられるが幻想郷全体で見てもかなり特殊である。
「でもあなたとアリスちゃんはちゃーんと血の繋がった姉弟なのよ?」
ほら、目元なんかそっくり。と彼に頬擦りしながら神綺は幽香達へと向く。二人の反応は「いやまぁ……似てると言われればそうかなぁ……」くらいの物であった。
「で、その私の弟はどうして此処に居てしかも記憶喪失なのよ。幽香の話だと外の世界から来たみたいだし……」
「それは私にもわかりません」
「あぁそう……」
キッパリと言い放った神綺に幽香達が肩を落とす。
「大体、私に弟がいるなんて聞いたことないわ」
「まぁ産まれて少ししてからアリスちゃんは魔界を出ていっちゃったしね。でもこの子が赤ちゃんの頃はアリスちゃんが良くお世話してくれてたのよ?」
「全然覚えてないわね……」
「幽香ちゃんも覚えてないの?」
「私も昔の事はそんなに覚えてないわね」
神綺が彼に向き直る。
「アリスちゃんが出て行ってから暫くしてこの子も魔界を去ってしまったわ。その後どこで何をしていたのかはわからないけど……」
言いながら神綺は彼の手を握る。彼のそれに比べて小さな手が爪の先から皺の一本までもなぞるように優しい動きで撫でていく。
なんとなくではあるが彼の胸には安心感の様な物が込み上げた。きっとこれが母親というものだろう、そんなあやふやな気持ちすらも優しく包んでくれるような心地良さを感じたのだ。
「いつのまにかこんなに大きくなったのねぇ」
「……うん」
甘える様な彼の返事に神綺が優しく微笑む。それを見守る二人の顔にも笑みが浮かんだ。
「ねぇ、アリスお姉ちゃんって呼んでみてよ」
「なんか恥ずかしい……」
アリスがニヤニヤしながら言う。モジモジしている彼にその笑みがより深くなった。
「姉弟なんだもの照れること無いわ。さぁほら」
「お……お、お姉ちゃん」
真っ赤になりながら蚊の鳴くような声で彼がアリスを呼ぶ。ついには幽香までもニヤニヤしていた。
「なんか良いわね弟っていうのも」
「そんなに呼ばれたければ私も呼んであげるわ「アリスお義姉ちゃん」」
「あら、気が早いわね」
未だ俯いている彼をよそに三人が笑う。特にアリスは普段の彼女からは想像もつかないほど、だらしないと言っても過言ではない程のニヤケ面である。
「そういえば貴女の息子なら名前くらいわかるでしょう。教えてよ」
「そうよ、いつまでも彼だのこの子だのじゃ可哀想だわ」
「うん」
これには彼も頷く。魔理沙からの「名無しの権兵衛」呼ばわりを気にしているのかもしれない。
「では教えてあげましょう」
コホン、と咳払いをして神綺が彼の頬をそっと両手で包む。
「あなたの名前は黒鉄 明彦強くて優しい子になりますように、って願いを込めたのよ」
「黒鉄 明彦……俺の名前」
「そう、これがあなたのお名前。忘れてしまった事はこれからちょっとずつ思い出していけばいいのです」
たくさん思い出を作ってね。
そう言うと神綺は立ち上がる。
「それじゃあ私はそろそろ帰るわ。みんなと仲良くね」
彼の頭を撫でてから神綺が出て行く。彼……改め、明彦達も見送りに立ち上がった。
外に出ると陽は傾き、少し強く風が吹きつけていた。夕日に照らされた花畑のあぜ道を歩く神綺の後ろ姿が遠ざかっていく。
彼女の姿が見えなくなる頃にはきっと太陽も沈み、入れ替わるように月明かりが花達を優しく照らすだろう。
「お母さん!」
不思議と寂しさを感じた明彦はふと母を呼んでいた。
「たまには帰っておいで」
振り返った神綺がニコリと笑って言う。同時に訪れた突風に三人が思わず目を瞑った。
風が収まった頃には神綺の姿は無く、明彦の目にはいつもの穏やかな花畑が映っていた。
†
少ししてアリスも帰っていった。「もっと弟との時間を!」と泊まる気満々の彼女を幽香が宥めるのには骨が折れたが、明彦の「また今度」という言葉にようやく諦めたらしく渋々帰路へと着いていった。
「明彦」
ボンヤリと月を眺めている明彦に幽香が声をかける。綺麗な三日月だった。
「呼んでみただけよ」
クスクス笑う幽香につられて明彦も笑った。
そんなわけでら10話目にしてようやく主人公の名前がわかりました。
名前決めるのに一番時間掛かってますね(笑)
私なりにではありますが彼の名前には色んな意味を込めています。(こじつけとも言う)
今後も緩やかにではありますが続けていきたいと思いますので何卒宜しくお願い申し上げます。
なお、本作品では「アリスちゃんは神綺ママがお腹を痛めて産んだ子なんだよ!」説を応援しております←