予行演習(管理人)
こちらは管理人のお兄さん番外です。
「映画ってアニメですか……?」
チケット売り場で私が指定したタイトルを耳に芙蓉はヒクリと口を歪ませた。
「‘智さんの好きなものでいいですよ’って甘い顔で言ったのは芙蓉でしょー」
「しかも前売り券ですか」
「前売り券と引き換えに限定品交換があるのは常識でしょ」
言って大人二枚のチケットと限定品を手に、まだ煮え切らない芙蓉に振り返る。
「別に、あたし一人でもいいんだけど?」
「そんな訳にもいかないでしょう。せっかくのデートなのに」
あたしの提案に即反対をしてくれるくらいには、この大人の彼の愛情を感じてあたしは嬉しい。
でも確かに久しぶりのデートなんだよね。あたしと芙蓉、一緒の家に住んではいるけど大学教員の仕事をする社会人の彼氏は忙しい。大学って所は派閥もあるし、学生の相手だけでなく研究なんてのもある。芙蓉はその中でも若いから色々と苦労も多いようだ。だから家で一緒に過ごす事はあっても、外出でのデートの時間が取れないのは芙蓉の都合なのだが、あたしは物分かりよく彼の余暇を待つ。
なんて健気な彼女? とんでもない。あたしはあたしで好きな趣味があるから、そこに入れ込む時間が大事なのだ。
漫画、アニメ、ゲームに没頭し、同人誌を作って売って、或いは買って、さらにはコスプレまでするあたしは俗に言うオタクだ。細かくジャンル分けをすると腐女子に分類される。
つまりあたしは二次元にも恋人がいるので、大変心は潤っているのだ。
誤解がないように言うと、別に芙蓉を蔑ろにはしていない。リアルと二次元に対する愛ってのは厳密に言うと違うのだ。どう違うかは上手く説明は出来ないけど。
でも、いくら二次元の彼に熱を浮かされても忙しくて芙蓉があたしを構ってくれない事が寂しくない訳がない。だけどあたしはまだ女子高生だから、大人の芙蓉を困らせる我が儘は言いたくないんだ。
ほら、よくある「仕事と私どっちが大事なのよ」ってやつ。
あたし、あんな事を言う女には絶対なりたくない。それでさ、女が大事だからって理由で仕事を辞めてみろ。そんな我が儘をのたまう女はいずれ、彼氏がデート代も出せないと愚痴るし、指輪も買ってくれないと三行半を突きつけたりするんだ。
別に贅沢がしたいわけじゃない。今日の映画代は私が前売り券を購入してるからあたし持ち。ただあたしが芙蓉と一緒にいたいからあたしから動いたんだ。
「興味なかったら寝ていいんだからね」
シアターに入る前にドリンクとポップコーンを買う芙蓉の背中に言った。
「そうしてしまったらデートの意味がないでしょう?」
アイスティーを手渡しながら芙蓉がへの字に口を曲げる。彼なりにあたしに合わせていてくれて嬉しいのだけど、別に今回はそう無理しなくてもいいんだ。
「なんのために最初の上映にしたと思ってんの」
彼の小脇を小突いてあたし達は並んで歩く。
「映画なんて前座よ。本番はこの後、二人で楽しめるデートをするからいいの。あたしペンギンが観たいな」
暗に次の場所を指定しながらシアターに入る。
「ならこの前座は何のためですか?」
二人で座席を探しながら狭い通路を抜けて、指定の席を見つける。さり気なくあたしの手を取って薄暗い中を誘導する芙蓉にうっかり惚れ直したではないか。
油断すると愛しさで芙蓉を押し倒しそうになるので咳払いでごまかし、用意していたアイマスクと耳栓を差し出す。
「上映九十分、寝たらいいのよ。デートの為にゆっくり寝たいだろう所を早起きしてるんだから、此処で仮眠を取ればいいと思って」
「用意がいいのは宜しいですが、午後が本番なら別に朝寝してもいいのでは?」
「家にいたらあたしが芙蓉を黙って寝かせられる訳ないでしょ」
一つ屋根の下、恋人という免罪符を言い訳にあたしがスリーピングビューティーなこの男の寝込みを襲わない訳がない。
そう熱弁すると呆れた芙蓉がアイマスクを手に「男の私の立場がないですよ」と肩を竦めた。
ま、理由はそれだけじゃないんだけどね。
アイマスクをつける前に芙蓉の手を握り、あたしはシアターに入る親子連れを指差す。
「この場の空気に慣れる予行演習には最適だと思わない?」
狙った上目遣いで微笑むと、芙蓉は大きく噎せ込み、暗がりでも分かり易いほど顔を真っ赤にして「あと数年は待って下さい」と小さく零した。
Twitter上で突発的に行ったリクエスト企画で受けた「管理人のお兄さんとサトのデート」でした。
リクエストを受けてデート→映画→アニメとぽんぽんと浮かんだ、私超素敵(笑)なSSとなっております。
恐らく芙蓉さんが慣れなければいけないのは、映画にはしゃぐちみっこと興奮する大きなお友達の熱気だと思います。
2012.08.20