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第七話

 俺の体にはいつの間にか、真っ赤な血が飛び散っていた。

 目元に垂れてきた雫を拭うと、それもやっぱり赤く、拭った手もすでに血で汚れていた。目の前に伏している青ちゃんの血も、俺の着物に染み込んでいるようだった。

 俺が茫然としていると、青ちゃんが腕を震わせながら体を起こした。

 ダメだよ、青ちゃん。それ以上動いたら……。

天音あまねさん、ボクの狙ってた子を勝手に獲らないでくださいよ」

「誰がお前のって決めたわけぇ? しかも、やったのはアタシじゃなくて弾次だんじだし。あれ? 弾次だんじ、死んだ? 死んじゃった?」

 赤い鎌を持った羅刹と天音が話す声が聞えた。しかも天音は地面に倒れている、弾次を指さし笑っている。

「ぼやぼやしてると残りもアタシが貰っちゃうよ~」

 次に天音が視線をやったのは、赤い水溜りの中で倒れているきさらの方。その横にいたのは、ぼんやり立ち尽くしている玖音だった。

「やめろっ!」

 俺は玖音を狙う天音の前に飛び出す。

 さっき忘れていたはずの足の痛みは、再び戻ってきていた。

「玖音、逃げて」

 俺は背中の玖音に呟く。

「で、できるわけないでしょ! そんなこと!」

「お願い、玖音。玖音はまだ動ける。おれ、あいつをなんとか食い止めるから」

 近づいてくる天音に、じりじりと後退しながら俺は玖音に頼むけど、いつも俺のお願いを聞いてくれる玖音は、今度は絶対に頷いてくれなかった。

「あたしだけ助かってどうすんのよ! あんたが死んじゃったら意味ないじゃない!」

 そう叫んだ玖音の声は、怒っているというより泣いているみたいだった。

「いい加減に、おしゃべりばっかするのやめてくんない!」

 天音の赤い右手が、その大きさを増して伸びてきた。

 それを刀で受け流そうとしたとき、右側から天音の左手の刀が向かってくるのに気がついて、そちらを刀で受け止め、はらう。

 左手の刀は天音の手から弾き飛んだが、アヤカシの右手は俺を地面に叩き伏せた。

 鋭い爪が肩を刺す。

「あああ!」

 思わず口から声が漏れる。

 天音の腕が俺から一度離れ、もう一度俺を目掛けて振られた。

 しかし、次の天音の攻撃を受けたのは、俺を庇った玖音だった。悲鳴を上げながら弾かれた玖音の体は、飛ばされ地面を擦りながら転がった。

「玖音!」

「これで終わりぃ~? 弾次だんじに任せんじゃなかった。アイツ、手加減ヘッタクソなんだよね」

 つまらなそうに言った天音に腹を蹴飛ばされ、俺は転がった。転がった先には、弾次にやられたきさらが見える。

 赤い水溜りの中、きさらはやっぱり動かない。

「しょうがねぇな、じゃ、トドメさして帰るか」

 鎌を持った羅刹二人が、青ちゃんに向かって鎌を振り上げるのが見えたけど、もう、青ちゃんも起き上がれないみたいだった。

 視線を戻せば、天音が更に大きくなった赤黒い手を振り上げている。

 もう体が動かない。

 これで終わりなのかな……。

 そのとき

「随分と愉しそうだな」

 今までしなかった声がした。

 静かで、けして大きな声ではなかったのに、耳に不思議と響く声。

 見ると、まっくら闇の中、一所ひとところだけなんだかぼんやり白い。そこに浮かび上がる人の影。

 いや違う。ヒトじゃない。

 さっき河原で見た、あの綺麗な羅刹の女がそこに立っていた。

 血が通っているように見えない、冷たそうな白い肌も、まるで人形みたいで、その紅の唇が微笑むと体に寒気が襲った。

「無族の子らか? いや……」

 俺や青ちゃんを見る視線は、まるでそれが刃であるみたいに鋭かった。 

迦羅からさまぁ!」

 突然、声色を変えた天音が、嬉しそうに俺から離れて、その羅刹女のところへ駆けて行く。

「ふふ、このような場所で我らに刃向おうとは」

 羅刹女は可笑しそうに、そして俺たちを哀れむように言う。

 違うよ。俺たちはただ、きさらと、あの小屋に戻りたかっただけだったのに。

 ふと、暖かな手が肩に触れた。

 玖音……。

 玖音が俺の傍にしゃがみ込み、俺の体を揺すっていた。

 ゴメンね、玖音。玖音だけでも逃がしたかった。生きていてほしかったけど、無理みたい。

 だって、あの羅刹の女は強い。

 こんなにいる羅刹たちの中で、こんなに強い羅刹たちの中で、それでも後から来たあの女が一番強い。

 陶器みたいな白い肌に、お月様の光の下、銀色に輝く髪。薄く緑を帯びた青い目。どれも鳥肌がたつ位に綺麗だった。

「迦羅ぁ! ふざけんな、俺様の獲物を横取りかよ、いい趣味してんじゃねーか」

 大鎌のつぎ迦羅からというあの羅刹女を、怒りの形相で睨む。つぎは裂けた口端を縫い合わせているが、その糸は今にも切れそうだった。

 しかし、そんなつぎにも迦羅からは馬鹿にしたように、冷たく笑うだけだった。

「ここで死ぬか?」

 俺たちへ微笑みを浮かべたまま、一歩近づく迦羅からの後ろには、更に二人の羅刹女がつき従うように立っている。

 こんなにいっぱい。

 俺の悪い頭じゃなくても、どう考えてもここから逃げられる可能性なんて、もうないことは明らかだった。

「迦羅さま、アタシが殺っていい?」

 天音はどうやらどうしても、俺たちも殺したくて仕方ないらしい。

 すると、迦羅と呼ばれた羅刹女の後ろから、一人が躍り出た。

「あっ、天音あまねずるい! 一人で勝手にあんなヤツらと行っちゃうしさ、楽しそうに戦ってるし……」

 そう、なんだか舞を舞うような足取りだった。透けるような衣を体にふわふわと身につけて、華奢な手足に重そうな枷を嵌めている。

 天音と同じ赤い髪は、雑にまとめた天音とは違い、かんざしでちゃんと結ってある。

「いーじゃん、かがり。アンタはずっと迦羅さまと一緒だったんだしぃ~」

「私も混ぜてよ」

 二人しておもちゃの取り合いでもしているみたいな口ぶりだった。

「ふふ、無族にはちょっとばかし恨みがあるの」

 篝という羅刹は、楽しそうな微笑みを浮かべ、髪から簪を引き抜いた。

「勝手に乱入してんじゃねぇよ!」

「そうですよ。ボクらの邪魔をしないでくださいます?」

 衝と剥も加わった言い合いは、まるで子供の喧嘩みたいにも聞える。

「なに、やんの? アンタらから引き裂こうか? その口、もっと開いて顔真っ二つにしてやるよ!」

 激しくなるやり取りにも、迦羅ともう一人の羅刹女は遠巻きに見ているだけ。

 それであいつらが、互いに殺しあったとしても、まるで構わないかのような、そんな目で。


「お待ちください」

 耳に涼やかな声がした。

 どろどろと濁った空気を一気にさらっていくような、清々しいその声と共に現れたのは、露草色の忍の装束。

 それは女の姿をしていたけれど、その耳は銀の毛に覆われたケモノの耳で、お尻からも同じ毛色の尻尾が覗いている。

 どう見てもアヤカシだ。

「お退きください。迦羅から殿。ここで争うことは得策ではないはずです」

 アヤカシは礼儀正しく、迦羅の前に膝をつく。

 あのアヤカシはいったい何なんだろう。

 けして臆することもなく言ったアヤカシに、迦羅は整った顔を少しだけ歪めてアヤカシを見る。

景元かげもといぬだな。よもやこのような場所にまで足を運んでいようとは」

「此処はヒトの治める地。諍いが起これば、私どもは収めねばなりません」

「ふ、あやかしが無族の何を語る」

 ヒトもアヤカシも、自分以外の全てを嘲るような口ぶりで、小さく肩をすくめると迦羅は俺たちに背を向けた。

「いいだろう。ここは、お前の主の顔を立ててやる……そこまでだ。引き返すぞ」

 その言葉に納得しない衝が食って掛かる。

「何だと?! 勝手に決めてんじゃねぇよ!」

 怒りに任せて叫んだ口は、止めていた糸が弾け切れ、耳まで大きく裂け広がる。

 そんな衝にも、迦羅は見下したような眼差しを向けるだけだった。

「何だ? お前も首を掻き切られたいのか? それならば私は一向に構わないが。それとも何か、お前の敬愛する主様の手に掛かりたいか?」

 淡々と言い放った迦羅の言葉に、衝は裂けた口の奥で歯を食いしばり、怒りを抑えながらも従う。

 しかし天音と簪を手にした羅刹女は、まだ名残惜しそうに俺たちを見ている。

かがり天音あまねも。やめなさい。見苦しいわ」

 それまで迦羅の後ろに控えていただけの、羅刹女が二人をたしなめる。

「なんだと、かなで!」

 乱暴に言い返した天音にも、奏という羅刹女は動じない。

「迦羅様の命が聞けないの?」

 そのたった一言に、天音とかがりも大人しくなる。

 強さがすべての羅刹たちが、これほどに従う迦羅が、どれほどの強さを持った存在なのかが分かる。

 衝が地面に倒れている一人を担ぎ上げ、あんなに騒々しかった羅刹たちは、驚くほど静かにまっくら闇の中へと消えていった。



 静かだ。

 地面に転がりながら見上げる空には、月がやんわりとした光で、相変わらず俺たちを照らしている。

「ハチ」

 天音に弾かれた玖音が、肩を押さえながら俺の傍にやってくる。支えられて体を起こすと、あの忍装束のアヤカシが、きさらへと近づいていくのが見えた。

「きっ、きさらっ……!」

 口元が腫れ上がって、うまく言葉が出ない。

 慌ててきさらの元へと走ろうとした足は、地面をちゃんと踏みしめることができなくて、よろけた俺を玖音が支えた。

 俺の重くはないはずの体重に、玖音がかすかに顔を顰める。天音に弾き飛ばされたときに、打った体が痛むのだろう。

 俺は動けずに、ただアヤカシがきさらに鼻を近づけるのを見ていることしかできない。

 くんくんと鼻を鳴らしていたアヤカシが顔を上げる。その顔は優しく微笑んでいた。

「大丈夫よ」

 アヤカシはそっと真っ赤な水溜りから、きさらを腕に抱き上げた。

 静かに吹いた風に、きさらの匂いが俺に届く。

 きさらからいつもする、甘い花の香り。それが今、やたらと香る。

「きさらは無事よ」

 やさしいアヤカシの囁きに、見るときさらがもぞりと動く。

「……きさら」

 青ちゃんの呼ぶ声に、きさらの瞼が振るえ、やがてそっと開かれた。

「……青、ちゃん……?」

 もう二度と聞けないと思っていた声がして、俺はなんだか泣きたくなった。

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