第六話
一度も足を止めることなく、俺たちはもと来た道を駆け抜けた。
ただひたすらに、とにかく逃げる。
きさらは玖音が手を引っ張っていた。その足は疲れているみたいだったけど、怪我をしている様子はない。
「もう、世話焼かせないでよ!」
「ごめんね、玖音。青ちゃんもハチも、来てくれてありがとう」
玖音ときさらの、いつもの友達同士のやり取りに、少しほっとしたときだった。
後ろから血の匂いが追いついてきた。
「避けろ、きさら!」
青ちゃんが叫びながらきさらを突き飛ばす。
きさらと玖音が転がって、先ほどまでその体があった場所を、赤い鎌が切り裂いた。
再び向かってきた鎌に青ちゃんが刀を振るったけど、鎌はすでに羅刹の手元に戻っている。
「あれ、うまく刈れませんでしたか。いけると思ったんですけどねぇ」
鎌を手にした橙の着物から覗く腕。まるで縫い合わせたように皮の色が違っている。
何が楽しいのか、その目はにこやかに笑っていた。
「速ぇよ、剥! 一人で突っ走ってんじゃねぇ!」
あのハゲのでかい羅刹が言いながら追いついてきた。後ろから残り二体もやってくる。
速かった。
こんなに速く追いつかれるなんて。
息も乱れてはいない羅刹たちは、俺たちを値踏みするように見る。
「そうそう、獲物独り占めってのはないんじゃない?」
女の羅刹に瑠璃の着物の羅刹も頷く。
「ほんと、ここのところ、大っぴらに無族を狩るのが禁止になってんスから、ちっとは互いに協力したってよくないスか? ほら、ひぃふうみぃよ……数ぴったりだし」
「じゃあアタシ、あのチビっちゃいの~」
女の羅刹が俺を指差した。
「ボクは女性がいいです」
鎌を振っていた剥という羅刹が、きさらに視線をやる。
「と、いうわけで俺様の相手は、さっき転がしやがったあれな」
そう言ってハゲの羅刹が取り出したのも鎌だった。
しかし、それは剥の鎌とはちがって大きく、両の手にそれぞれ握られている。
きさらと玖音は青ちゃんに突き飛ばされた後、そのまま地面に座り込んでしまっていた。
そんな二人を挟んで、俺は青ちゃんと羅刹に向かい合う。
背中を逆撫でされるような、ぞわぞわとした感触が俺の体を充たしていった。
「衝、ボクの邪魔、しないでくださいね」
「お前が俺様の邪魔にならなかったらな」
青ちゃん側に鎌を持った二体の羅刹。
「間違って無族じゃなくてアンタの事殺したちゃったらごめんねぇ~」
「はぁ?! ふざけんな、天音、お前何言ってやがんだ!」
俺には女の羅刹と、いちいち煩い瑠璃色の着物の羅刹がついた。
青ちゃん、こいつら強いよ。
俺の本能がそう告げる。
「じゃあ、早速遊ぼうか!」
いきなり女の羅刹が右袖を振るった。そこから現れた醜い腕が俺に襲い掛かった。
背中の刀を抜きながら、俺は地面を転がるように、その手から逃れる。
なんだアレ。
俺の考えに気づいたように、女の羅刹がにやりと笑った。口元から耳を繋ぐように、つけられた飾りが揺れる。よく見ると、その両の目も左右で色が違っていた。
「いいでしょう、これ。前にさぁ、ちょ~っと強いアヤカシがいて、そいつからいただいちゃったんだよね」
どす黒い血みたいな色をした右腕を、慣らすように動かしながら天音と呼ばれた羅刹女は言った。
「でさぁ~、今ちょっと思ったんだけど、アンタと一緒にいたあの子」
天音がチラと視線をやった先には
「青ちゃん?」
青ちゃんはすでに、鎌を持った羅刹二人と戦闘に入っていた。
「青っていうんだ? 私さ、あの子の左腕、あれ欲しいなぁ」
何? 今、なんて?
「右腕はもうないみたいだからぁ、ひ・だ・り・う・で」
その言葉を聞いた俺は、天音の元へと走りこみ、その右腕に向かって刀を振り下ろした。
それを塞いだのは、天音の左手に握られた刀。
「アタシ、ちゃんと刀も使うんだよね」
天音が刀を薙いだ。弾かれ俺は後ろに下がる。
「青ちゃんの右腕は俺だもん。お前なんかに青ちゃんの左腕はやらない!」
青ちゃんの右腕を獲ってしまったのは俺なんだけど。
「アンタがあの子の右腕ぇ?」
天音の刀が突き出され、それを顔の脇で避けた俺は、目の前にあるその左手を叩き斬ろうと刀を引いた――が、
「!」
顔面をあの右手に鷲掴まれて、背後の岸壁にそのまま縫い付けられた。
土の壁にめりこむほど、すごい力で押さえつけられ、俺は足が地面につかずにもがく。
「はなっせ!」
すると、天音は刀を納めた左手で俺の右手首を掴んだ。みしみしと骨が悲鳴を上げて、俺は刀を落とす。
「こんなちっちゃいお手々には、興味ないのよね」
「このっ!」
俺は足を振り上げ天音の顔を蹴り上げた。
しかし、その足も顔から離れた天音の右手に掴まれてしまう。そして、そのまま地面に叩き下ろされた。
「女の子の顔を蹴ろうとするなんて、ひどいじゃない」
掴まれた足首に力が込められ、ボキリという呆気ない音が聞えた。
……折られた?
ブラリとおかしな方へ傾ぐ俺の足首から右手を離すと、天音は俺に顔を近づけた。
「今度は手」
楽しそうにそう言って、大きなアヤカシの右手で俺の左手を、左手で俺の右手を包み込む。
そのとき
「こっち来るんじゃないわよ!」
玖音の声がした。
見ると、玖音がきさらの前に立ち、瑠璃の着物の羅刹と向かい合っていた。
「ホワット? 仕方ないだろうが。残ってるのがお前らしかいないんだからよぉ!」
玖音に刀を振り上げた羅刹の体に、きさらが飛び掛る。
「玖音! 逃げて!」
「邪魔だ!」
羅刹がきさらの体を蹴飛ばした。
「あっ!」
近くの岩に背を打ちつけたきさらが、地面にうつ伏せに倒れる。
「きさら!」
玖音の声にも起き上がらないきさらの、体の下からにじみ出てきた赤い色に、俺の目は釘付けになる。
「はなせぇっ!」
目の前にある天音の額に、俺は力任せに自分の額をぶつけてやった。
「った!」
力が緩んだ天音の手から俺はするりと抜け出すと、刀を拾い足を引きずりながら、きさらの元へと走った。
赤い水溜りの中、きさらは倒れていた。
その水溜りへ俺は足を踏み入れる。
「きさら? きさら! ねぇ、きさら!」
きさらの傍らに膝をつき、俺はきさらを揺すった。
きさらの青空色の着物が赤を吸い込み、みるみる紫に染まっていく。
きさらはまつげを伏せたまま、ぴくりとも動かない。
きさらが……死んじゃった。
きさらを揺する俺の手は、きさらと同じ赤に染められて、
その鮮やかな色はきさらの傍らについた俺の膝にも染みてきた。
これに似た景色を俺は見た事がある。
すごくすごく遠い記憶。
確かあのときも、俺はなんにもできなくて。
どうして俺の大事なもんをとってくの?
俺はただ、みんなと一緒にいたいだけなのに。
切られたわけでもない胸が、なぜかキリキリ痛み出す。
痛いよ、痛い。
こんなの嫌だ。
どうしよう。
どうすればいい?
『それなら、すべて奪ってしまえばいい』
優しく冷たい声がした。
『誰かに奪われるその前に、お前のその手で奪えばいい』
誰?
『お前にはその力があるのだから』
……そうだ。奪われるくらいなら奪えばいい。
こんな思いをするくらいなら。
みんなみんな消えてなくなってしまえばいい。
『さあ、起きなさい。いい子ね――耶八』
「天音! このチビお前の相手だろう! ちゃんと殺れよ!」
「うるさいわね、弾次。あんたこそ、そんな無族の女にてこずってんじゃないわよ」
「ちっ。おいこらぁ! いい加減にしやがれ! どいつもこいつも邪魔くせぇ」
弾次と呼ばれた瑠璃色の着物の羅刹が、俺の横から刀を振り上げ突っ込んで来た。俺はそれを見もしないで、振り下ろされる刀を刀で受け止める。
そうだよ。お前も消えちゃえばいい。
難しいことは何もない。
余計な事考えるのをやめた体は異常に軽かった。
ほら、足の痛みももう感じない。
「……お前らなんか、消えちゃえばいいんだ」
ゆらりと立ち上がった俺に、弾次はいぶかしげに刀を向ける。
「なんだ、お前? なんかさっきまでと感じが違……」
煩い口がしゃべり終わる前に、俺は弾次の喉元目掛けて、刀を真一文字にはらった。
「っ!」
胸を反らせるようにして避けた弾次の腹を蹴飛ばすと、弾次は後ろにみっともなく転がっていった。
それを見た天音が笑う声がする。
ああ、うるさい。
「くそ!」
弾次が起き上がり、俺の真上に刀を振り下ろした。
遅いよ。
俺はそれを避けると、刀を振った勢いで目の前にきた弾次の背中に、刀を押し当て引き抜いた。
裂けた着物の端から、蝶の痣がチラリと見える。その痣を真っ二つに裂くように弾次の背中から血が噴き出した。
玖音が悲鳴を上げるのが聞える。
驚いたような顔で俺を振り向いた弾次が、きさらの傍に倒れようとするのを襟首をつかんで引き倒す。
顔に飛んだ血飛沫が、首元に垂れてくるのがくすぐったい。
俺は辺りを見回した。
……まだあんなにいる。
狩った獲物を引きずりながら、俺はそちらへ向かう。
「次、誰?」
動かなくなった獲物は重くて邪魔で、俺はその場にソレを捨てた。
誰でもいい。そう、みんな俺が消してやるんだ。そう思うと、なぜか可笑しくなってきた。
廻らせた視界にまず入ってきたのは、悲痛な表情で俺を見る少女の顔。
少女に一歩足を踏み出したとき、
「やめろ!」
よく知った声が俺の耳に響いた。
誰?
声のする方へ足を向ける。
青い髪と俺を映し出す赤い片目。血の匂い。
俺はソレに飛び掛った。背中に馬乗りになり、その首元を押さえつける。
すでに死にかけのソレは、簡単にねじ伏せることができた。
だけど
「耶八!」
ソレが言った名前に、俺の体が一瞬、強張る。
「目ぇ覚ませっ!」
死にかけだったはずのソレが、突然体を浮かせ、俺は頭から地面に叩きつけられた。
痛い。
突然のことに何が起きたのか分からない。
俺、どうしたの?
ガバッと体を起こすと頭がガンガン痛い。まるで頭の中で鐘を突いているみたいだ。痛みを飛ばすように頭を振るうと、すぐ傍にいたその人と目が合った。
「……青ちゃん」
青ちゃんは俺を見て脱力したように息を吐いた。
「俺まで殺す気か、馬鹿野郎」
言いながら倒れた青ちゃんの腹はぱっくり裂かれ、そこから血が溢れている。
「青ちゃん!」
ああ、どうしよう。
俺はまた、やっちゃったんだ。