第三話
赤いのが狸休と呼んでいた緑が、川の少し手前で足を止めた。
木々に囲まれた川淵にいたヒトたちが、慌てたように散っていく。
「団子泥棒!」
追いついた俺は言ってやったんだけど、狸休はなんだか可笑しそうな顔をした。
「そんなことゆうたかて、そう言うそっちは盗賊なんやろ?」
のんびりした口調で言い返されて、俺は刀を狸休に向けたまま首を傾げる。
……そうだけど。
でも盗賊からなら団子盗ってもいいなんて、聞いたことない。
「あれは、後でゆっくり食べたかったの!」
「ああ、あの団子うまかったわぁ。えらいもちっりしとってー、やんわり甘ぉてー」
俺は狸休の言葉に一つ一つ頷いていたが、
「だから、あれは俺のだったのに、それをお前が食べちゃったんじゃん!」
「堪忍なぁ。そんなに怒らんといて。……まあ、盗賊とかそんなんは関係のぅて、俺も緋狐も、『殺していい』って言われたあんたらを、殺しにきただけなんよ」
俺は狸休が言った言葉の意味を考えようとした。
『殺していい』?
なんで?
誰がそんなこと言ったの?
緋弧って誰?……ああ、さっきの大槌振り回してた赤いのか。
疑問が一つしか解けなかった俺が頭を捻っていると、次の瞬間、それまでなかった殺気に俺の体が反応した。見えないそれに、刀を振りながら後ろに跳ぶ。
刀が何かを弾く手ごたえと、顔の脇を鋭く抜けていく刃の気配。俺の髪がはらりと斬れて舞った。
それが何なのか確かめる間もなく、狸休がだらしなく崩した着物の袖をふるったかと思うと、苦無みたいな小さな短刀が、何本も俺に襲い掛かる。
長い刀で体を庇いながら、俺は一旦、木の後ろに身を隠した。
その木にカツカツと音を立て刺さる小刀。
「悪く思わんといて」
狸休の口調は相変わらずのんびりなのに、その目つきがさっきまでと違う。狸休から感じるピリピリとした気配に、俺の体がざわつく。
飛び道具使いだ。
そういえばさっき、緋弧って奴と戦っていたときも離れたところから、俺を狙っていたみたいだけれど、どうやらこうして一対一で距離をとって戦う方が、狸休は得意のようだ。
だから、俺をここにおびき寄せたのかな。
なるほど。確かに緋弧って奴より頭はいいらしい。
でも、それなら――。
俺は木の後ろから飛び出した。
「逃がさへんよっ」
飛び上がった狸休が腕を振り、小刀が俺をめがけて降ってくる。それを避けながら狸休の手から小刀がなくなったのを見計らい、俺は狸休に向き直った。
――だけど。
「残念やったなぁ」
いつの間にか、また狸休の両手の指には小刀が挟まれている。
どうなってんの?
慌てて身を翻した、俺の向日葵色の上着の裾を、小刀が切り抜けていく。
凝らした俺の目に見えたのは、狸休の指に挟まれた木の葉っぱ。それが小刀に変化して、俺を目掛けて飛んできていた。
あいつ、アヤカシだ。
どうりで獣臭いはずだ。
ここに俺をおびき寄せたのは、戦いやすいだけじゃない。木々に囲まれたこの場所は、あいつの武器がたくさんあるからだ。
珍しく、ない頭を使った俺は、小刀を避けるのに集中しすぎて、目の前にきた狸休に気がつかなかった。
「!」
狸休が俺の胸に突き出した小刀は、かろうじて刀で受け止めたけど、その後に出された脇腹への蹴りを避けられず、俺は盛大に水飛沫を上げて、川の中へと落っこちた。
ずるい。
変化でヒトの姿をしているくせに、俺より足が長いなんて。
でも、そんなことを考えてる場合じゃない。狸休の小刀は川の中にまで、俺を狙って投げられる。水の中でも変わらぬ速さのそれに、俺は水の底へと潜って逃げる。
川底の石に掴まると、水面が静まるのを待つことにした。今出て行けば針山だ。
狸休の殺気にうずく体を抑えながら、そのときがくるのをじっと待つ。
まだ。まだ。まだ。
近づく気配に水面を見上げる。そこに映ったこちらを覗き込む狸休の顔。
俺は刀を逆手に持ち替えて、狸休の顔目掛けて投げつけた。そしてすぐさま、投げた刀を追いかけて川から飛び上がる。
「わわっ!」
突然、水の中から飛び出した刀を避けて、狸休は大きくのけぞった。俺の刀は狸休の真上に伸びた木の枝に刺さった。それを取るついでにと、木の枝へ俺は跳び掴まって、体を振って思い切り、狸休の胸元を蹴り上げた。
さっきのお返しだ。
俺たちを見物していた人垣がざっと割れ、狸休はその奥へと転がっていき、俺はそれを追いかけた。
「狸休!」
「いてて……」
狸休の体は地面をこすりながら、あの緋弧とかいう奴の足元で止まった。
その向こうで、青ちゃんが俺の様子を探るように見ている。そんな俺はすっかり濡れ鼠。俺は頭をぶるぶる振るい、滴る水を払い落として、青ちゃんの元に行く。
ふと見ると、なぜか青ちゃんの刀が落ちているから、それを拾って青ちゃんに返す。
「どうした、でこぱち」
刀を受け取りながら、青ちゃんが訊いた。
「……落ちた」
俺は頬を膨らませ、緋弧に助けられながら、立ち上がった狸休を睨んで言った。
「あいつ、おれの団子食うしさ、川に落とすしさ……」
「はいはい、分かった分かった」
俺の不満を途中で切って、青ちゃんが俺を見下ろした。
――うん、分かった。
青ちゃんからの無言の号令に、俺は体の向きを変え走り込む。
まだ互いを気遣うように寄り添っている、緋弧と狸休を青ちゃんと挟み込むように。
青ちゃんが刀をぐっと引き、俺は刀を思い切りよく振り上げた。
「くそっ、狸休! 避けろ!」
「うわわわっ」
俺と青ちゃんの攻撃を、二人は寸でのところで避けたけど、散り散りになった二人を追って、俺は狸休、青ちゃんは緋弧に斬りかかる。
そっちじゃない。こっちだ。
青ちゃんの意図に沿い、俺は狸休を追い詰める。その手に小刀を構える間なんて与えない。
「あかん……」
呟いた狸休に俺は刀を横に薙ぐ。
すると、
「あ、緋狐」
「うわっ、狸休」
反対側から青ちゃんに追い詰められた緋弧の背に、狸休の背中がぶつかった。
もう逃げられない。
「しまっ……!」
俺は向かい合った青ちゃんと、一緒に刀を振り下ろした。
血の匂いがする。
ヒトでもないアヤカシでもない、ただの獣の血の匂い。
しばらくして、俺たちの足元に転がっていたのは、ただの狐と狸だった。
まだ小さくて、丸みのある、柔らかな毛に覆われた体だった。
俺たちに斬られた腹から血を流し、ヒューヒューと浅い呼吸に胸が上下する。それがどんどん小さく弱くなっていく。
まるで繋ぐように、二匹は互いの手を重ねていた。
狐と狸が仲良しなんて、聞いたことがないけれど、たぶん緋狐と狸休はそうだったんだと思う。
青ちゃんを見ると、青ちゃんは難しい顔をして、二匹の様子を見下ろしていた。
いつか俺と青ちゃんも、こうしてやられるときが来るんだろうか。でもなんでだろう。なんだかそうはならない気がしてる。
いつも俺は青ちゃんを、どこまでだって追いかけるけど、いつか見失うような気がしてる。それが何でなのかは分からない。青ちゃんがどこかへ行ってしまうのか。それとも俺がどこかに行ってしまうのか。
俺はいつまで青ちゃんの、そばにこうしていれるんだろう。
「きさら!」
青ちゃんが二匹から顔を上げると、その名を呼んだ。
野次馬を終えた町人の、流れの中に見えた青紫の髪の色。
「きゃっ」
転びそうになりながら、なんとかヒトの群れから抜け出すきさら。
きさらは忍なんだけど、どこかちょっと危なっかしい。
「ハチ、びしょ濡れじゃない!」
きさらは俺を見て言ったけど、俺にとって体が濡れてることなんて、どうってことない。
「すぐ乾くもん。でも、団子……」
そう、食べられなかったあの団子。
「お団子なら、もう一回買ってあげるよ」
「ほんとっ?」
俺は目を輝かせてきさらを見た。
一本だけね、と小銭を渡されて、俺はまだ水音がする足を浮き立たせながら、上機嫌で茶屋へと向かった。
緋弧の大槌で粉々になった腰かけを避けながら、暖簾を分けて店へと入る。すると目の前に何かが立っていて、それに顔をぶつけた俺は、低い鼻を空いてる方の手で押さえた。
いったい何だと見るとそこには、大きな男が立っていた。なんだか不機嫌そうな顔をして、ずいぶん高いところから俺をじろりと見下ろしている。
「戻ってきやがったな! 盗賊!」
見上げる俺は首が痛い。
一歩下がって見てみると、男が十手を持っているのに気がついた。
なんだ、岡っ引きだ。俺は岡っ引きには用はない。
店の奥へと行こうとした俺は、岡っ引きに上から肩を掴まれる。
「ちょっと待ちねぇ。粉砕した店の腰掛け代、きっちりしっかり払ってもらおうじゃねぇか!」
「……腰かけ代?」
「おうよ!」
「俺、団子買いにきたんだよ」
俺は手の平を開いて握っていた小銭を男に見せた。男はふむと俺の手の中を覗きこむ。
「それじゃあ、腰掛けのお代には足らねぇな」
「だーかーらぁ。俺は腰かけじゃなくて、団子を買いにきたの!」
「さっき店の前で暴れてたのは、お前らだろうがっ!」
「でも俺は、腰かけなんか壊してないもん! 俺は団子が食べたいのっ!」
俺は男に手にしていた小銭を投げつけた。男が慌ててそれを受け取った隙に、店先に並べてあった団子を抱えて、俺は一目散に駆け出した。
「あ、こら、待ちやがれ!」
店を走り出た俺は、青ちゃんの姿を見つけて呼びかけた。
「青ちゃーん」
でもその俺を、十手を振り上げ岡っ引きが追いかけてくる。
岡っ引きに追いかけられる俺を見て、青ちゃんは眉を顰めると、走る俺と足を合わせた。
「青ちゃん、聞いてよ! おれがさ、団子買いにいったらさ、あいつが腰かけを弁償しろって言うんだよ! 違うよね?! 壊したの、おれたちじゃなくてあいつらだよね!」
俺は団子を食べながら、抱えてた一本を青ちゃんに差し出す。それを口に放り込み、青ちゃんは後ろの岡っ引きをチラと見る。
「何で岡っ引きが茶屋の腰掛け代を請求してくるんだよ」
「知らなーいっ」
岡っ引きは少し遅れながらも、何かを叫びながらまだついてくる。
もう、しつこいな。
とうとう橋まで来たところ、変な物が目に入る。
「ふふふ、ここで待っていれば必ず来ると思っていたぞ!」
欄干に立ってる一人の親父。ぼっさぼさの髪につんつんのヒゲ。そいつが俺たちを指さし笑っている。
「極悪非道な盗賊どもめ。成敗してくれるわ!」
どうやら俺たちに向かってくるつもりらしいけど、そのヒゲ親父に俺の体はピクリとも反応しなかった。代わりに青ちゃんが面倒くさそうに、刀を構えて男に向かう。
しかし、ヒゲ親父はそれを見て、慌てたように腰を引いた。
「うわ、ちょ、待て!」
「何が待て、だ。喧嘩を売ってきたのはそっちだろう」
青ちゃんが言い捨て、刃を向ける。すると、ヒゲ親父の顔が情けなく歪んで、青ちゃんに両手を合わせて頼み込む。
「待ってください、いますぐ、ここから降りるから――」
そして言葉の通り降りようと、片足を浮かせたその瞬間、足を滑らしたヒゲ親父が、俺の視界からいなくなる。
ざぶん、と水が跳ねる音。
「あ、落ちた」
何? 今の。
「見るなでこぱち」
落ちたヒゲ親父を見ようとしたら、青ちゃんに襟首を掴まれた。そこへ岡っ引きが追いついて、息をぜぇぜぇ言わせながら、俺たちに十手を突きつける。
「まっ、待ちやがれ、この、盗賊、どもっ……!」
本当にしつこい。
「団子と……粉砕しやがった腰掛けのお代、耳をそろえてきっちり払いやがれ!」
「壊したのは俺たちじゃない。第一、何故お前があの茶屋の腰掛け代を請求するんだ?」
さっきと同じ言葉を繰り返す岡っ引きに、青ちゃんが落ち着き払って問いかけた。
「あれは俺の親父の店だ!」
……なんだ、そうか。あれは岡っ引きのお父さんの店だったのか。
あれ、そうすると――
「じゃあお前、団子屋なの?」
「違う。俺は岡っ引きだ! 景元様と景雲様の為に、賽ノ地に蔓延る悪を成敗するんでいっ」
「んじゃ、何でお前に団子代を要求されなくちゃいけないんだよ!」
お前、団子屋じゃないんじゃん。
団子屋じゃないのに、団子屋の腰かけの代金よこせなんて。
「だーかーら、あれは俺ん家で……」
「んじゃお前、団子屋なんじゃないか」
「ちがーう!」
もう、意味分かんない。