第二話
裏の畑へ野菜を採りに行くきさらに、鬼の子は手を引かれながらついて行く。
なんだかんだで、嬉しそうだ。
ああやって並んでいると、お母さんと子供みたい。
俺はお母さんっていうのが、どういうのか、ちょっとよく分からないんだけど、優しくってあたたかくって、きさらみたいのが、お母さんっぽいと思う。
というか、きさらみたいのがお母さんだといい。
俺はぼんやりと、きさらと鬼の子を見ている青ちゃんを呼んだ。
「青ちゃん、行こうよー」
俺の声に驚いたような顔をすると、青ちゃんは小屋の方へと面倒くさそうに歩いてきた。
青ちゃんが少し躊躇いながら戸を開く。
「ジジ様―っ。ただいま!」
俺は言ったのに、中から返事はない。
ジジ様というのは俺たちの師匠。ここにきさらと一緒に住んでいる――はずなんだけど。
俺と青ちゃんは小屋の中に入った。
中にジジ様の姿はない。気配もない。でも、俺の鼻はかすかにジジ様が、どこかにいるのを感じている。
「青ちゃん、そっち」
俺は背中の刀に手を伸ばし、するりと土間の奥へと移動した。
青ちゃんは俺とは反対側へ。注意深く小屋の中に視線をめぐらしている。
どこだ。
どこにいる。
刀の柄にかけた手が、むずむず疼く。
「でこぱち」
「なに?」
青ちゃんが俺を呼んで、俺は鼻をひくつかせながら答えた。
「待て」
低く静かな青ちゃんの声に、俺のむずむずが止まる。
うん。
分かった。
相手がいる感覚だけで、動いてしまう俺の体は、俺自身の意思よりも、青ちゃんの声に素直だ。
俺は裏口の戸に背をつけて、次の青ちゃんの指示を待つ。
青ちゃんは戦うときに、体だけじゃなく頭を使う。それって、どうやるのか俺にはさっぱり分からないけど、それが必要なときもあることは、過去の戦いで理解した。
青ちゃんが慎重に、それでいて素早く考えをまとめているのが分かる。
そのとき、俺の後ろで音がした。
「避けろ!」
突然言った青ちゃんに、俺の足は弾かれたように地面を蹴ったけど――。
すごい速さで首に回された、しわくちゃだけど固い腕に一瞬息ができなくなる。
俺の体はそのまま首を抱えられ、囲炉裏端まで強い力で跳んでいく。
青ちゃんがそれを追いかけてくる。
苦しいと思った俺は、次の瞬間、首が開放されたのを感じて咳き込んだ。
どすんという音に、見ると青ちゃんがジジ様にねじ伏せられている。
「部屋に入る時は履物を脱げと教えたはずだ」
ジジ様が言って、青ちゃんは床に顔をつけたまま答える。
「ただ今戻りました……」
「帰ってきた事なんざ見りゃ分かる」
あーあ。
また負けちゃった。
俺達の師匠は強くって、俺と青ちゃんは全然勝てない。
体も顔もしわしわのじいちゃんで、頭なんか禿げてるし、青ちゃんと同じで右腕もないのに。
するとジジ様は、青ちゃんから手を離し、その片方しかない手を、土間の隅っ子にある瓶の水で洗い始めた。
「なんでジジ様、手洗ってるの?」
俺が訊くとジジ様が不機嫌そうな顔で振り向いた。
「あ? 厠へ行っている間にお前らが入って来よったからな」
ジジ様の言葉に、青ちゃんが顔を顰める。
「俺たちを出し抜く為に外にいたわけじゃ」
……ああ、これは今回、完全に青ちゃんの読み違い――って、
「えーっ、ちょっと待ってよ、ジジ様! おれのこと掴む前にちゃんと手ぇ洗ったの?! もしかして手洗ってないの?!」
「だからいま洗っとるだろうが」
「うわっ。汚い、ジジ様、汚いー!」
俺はジジ様に掴まれた首を掻く。
ふと見ると、青ちゃんが静かにジジ様が触った上着を脱いでいた。
釜戸で炊いたばかりのホッカホカの米。裏の畑でとれた野菜と芋を、味噌で煮込んだ汁物に、塩気の具合もちょうどいい漬物。
しばらくすると用意された、暖かな湯気が立つ夕食に、俺はすごくご機嫌だった。青ちゃんと二人だとこうはいかない。
「竹千代くん、おいしい?」
きさらに聞かれて、鬼の子は嬉しそうに頷いた。
竹千代って名前だったのか。
きさらの隣で竹千代は、まだ俺のことを、ちょっと睨むように見ている。
竹千代はこれからここでずっと暮らすのかな。ジジ様も一緒に?
それは結構楽しそうだけど、俺は青ちゃんと一緒だから、たぶん明日はここにはいない。
「おい、青」
ぽりぽり漬物をかじりながら、ジジ様が言った。
前、俺に食べながらしゃべるなって言ったのに。
「なんスか」
「その足、誰にやられた」
「羅刹狩りの女に」
やっぱり、あの女は強かったらしい。
「羅刹狩りが盗賊を狩るのか?」
「政府の詳しい事情は知りませんよ」
青ちゃんがみそ汁を啜りながら答える。頭のいい青ちゃんが分からないなら、俺にはもうさっぱりだ。
「でも、青ちゃんが怪我するのなんて久しぶりだね」
きさらの言葉に、俺は青ちゃんの怪我した足を見る。確かに、青ちゃんに怪我をさせられる奴は少ない。
今までは俺と青ちゃんが揃えば、向かうところ敵なしって感じだったのに。
ごちそうさまの声が小さく聞え、見ると竹千代が茶碗をよろよろしながら運んでいく。
あ、落としそう、落としそう。
俺も一度、落として割ったことがある。あれってなんだか心臓がキュってする。でも、そこは、きさらがちゃんと手を貸してやっていて、竹千代は無事に茶碗を運び終えることができた。
「ありがとう、自分でお片づけしてくれるのね」
「べ、別に……いつもやってた」
「そうなの? 偉いね」
へえ……。
じゃあ竹千代には、あそこで落ちてる前までは、お母さんがいたってことなのか。でもじゃあ、お母さんはどこに行っちゃったんだろう。いなくなっちゃったんだろうか。それって『悲しい』ことだと思う。
俺にはもともとお母さんはいないから、なくなることもないんだけれど。
「青ちゃんもお茶碗持ってきて。一緒に洗うから」
きさらが言ったけど、見ると青ちゃんはまたぼんやりしていた。青ちゃんはときどきこうしてぼんやりする。俺は青ちゃんの茶碗を自分の茶碗に重ねた。
「青ちゃんの分もおれが一緒に片づけとくよ!」
青ちゃんの代わりに、俺はきさらに茶碗を持っていく。
「ハチ、ありがとう」
うん、確かに。
こうやって、ありがとうって言われるんなら、お手伝いも悪くない。
その日から俺と青ちゃんは、きさらとジジ様、それから竹千代のいる、この小屋で過ごすことになった。
なんでなのかは分からない。
青ちゃんがここにいると決めたみたいだから、俺もここにいるって決めた。
朝、突然きさらに起こされるのは、ちょっと面倒くさいし、ここにいると、やらなきゃいけないこともたくさんあるけど、俺はここにいるのは好きだから、青ちゃんが行くというまでは、俺もここから離れない。
薪割りは意外と楽しい。薪を立てる青ちゃんに、俺が餅つきの要領で斧を下ろす。あっという間に薪が出来上がる。でも、その次は水汲みがあって、その次は鶏に餌をやらなきゃいけなくて。
俺がちょっと飽きてきた頃、丁度いい具合にきさらの呼ぶ声がした。
「青ちゃん、ハチ。買い物に行きたいの。一緒に来てくれる?」
◆◆◆◆◆
買い物と言えば町だ。
俺はにぎやかな町の様子に、わくわくしてしょうがない。しかも、町は前に来たときより活気を増していて、あちこちにいろんな店が軒を連ねている。
今日は竹千代は留守番だけど、たぶん竹千代も、町に来たら楽しいだろうと思うのに。少なくとも、ジジ様と二人であの小屋にいるよりは絶対に。
その竹千代のためのものらしい着物や履物、その他たくさんの竹千代の大きさに合うものを、きさらは買った。なんだか全部小さくて、ままごと道具みたいで面白い。
だけど俺がさっきから、気になっているのはこの匂い。
香ばしいお茶の炒る匂い。それから食欲を誘う甘い匂い!
この匂いを前にして、食べずに帰るなんて信じらんない。
「ねえ! 青ちゃん、きさら!」
とっとと小屋へと戻ろうとする、青ちゃんときさらを俺は必死で呼び止めた。
茶屋の団子とおんなじで、団子みたいに丸い店の親父に、俺が一人で団子を三本注文すると、親父はにこにこしながら用意を始めた。本当はもっと食べたいんだけど、青ちゃんが呆れたように見てるから我慢する。
店先の腰かけに座りながら、団子が出てくるのを今か今かと待っていると、団子じゃない匂いに俺は気づいた。遠くの角に見え隠れする二人組。
獣臭い。
でもヒトの姿をしている変な奴ら。
がまの穂みたいな赤茶けた着物と深い竹の緑の着物。それがこっちに向かってくるけど、
「お待たせしました」
店の女の子が持ってきた団子に、待ってましたと俺はそれを頬張った。
やっぱり。俺の鼻に間違いはない。もちもちしてて甘くって、とにかく凄く美味いんだ。
そんな団子を食べてる俺たちの前に、赤と緑は迫ってきていた。
「おい、お前ら!」
「おまえらぁ!」
俺たちに向かって怒鳴る二人組。
俺は団子を食べながら、隣の青ちゃんを横目で見る。まだ青ちゃんからの号令はない。
団子を食べ続ける俺たちに、赤いのは指を突きつけた。
「個人的な恨みはねぇが、俺たちの――」
「でこぱち、殺ってこい」
青ちゃんからの号令だ。
「はぁーい!」
俺は団子を口に放り込み、腰かけからぴょんと飛び上がる。
相手は二人。とりあえず――
俺は二人の間に体を滑らせた。一瞬ギョッとしたような顔をした赤い方が、すぐさま手にしていた大槌を振り上げる。
「あ、ハチっ! お団子一本残ってるよ!」
きさらの声がして見ると、皿の上に団子が一本残ってる。
「あとで食べるからとっといて!」
言いながら、振り下ろされてくる大槌を、避けるために横へ跳んだ。大槌はさっきまで俺が立っていた場所に、ズシンと大きな窪みを作る。
地に振り下ろされた大槌が、またすぐに俺の鼻先をかすめたのに、俺はちょっと驚いた。後ろに跳ぶと、またその着地点を狙って大槌が迫ってくる。
「ちぃっ! ちょこまかしやがって」
赤いのは風を斬りながら大槌をビュンビュンと振り回す。頭に巻いた手ぬぐいの結び目が、まるで耳みたいにひらひら動いた。
すごい。
あんなに重そうなのに、まるで俺が刀を扱うのと変わらない。
俺はちょっと体が疼くのを感じた。
「このチビがぁ!」
赤いのが、ぐっと大槌を体の脇に引く。そしてまるで槍のように突いてきた。速さも槍に劣らないそれが、目の前まで迫ってきたとき、俺は上に跳ねると大槌を蹴って、赤いのの真上に飛び上がった。
背中の刀を抜きながら、落ちる体の勢いそのままに、俺を見上げる赤いのの、頭上に刀を突き下ろす。
「!」
赤いのが地面を蹴って背後に逃げるのを、着地した足で同じく地を蹴り追いかける。
そしてその鼻先に、俺は顔を近づけ訊いてみた。
「ねえ、それホントに重たいの?」
赤いのは吊りあがった目を少し丸くして、また鋭い目つきで俺を睨む。
「――っお前は馬鹿かぁっ!」
赤いのがのけぞりながら、また振った大槌をかわすと、それは道脇の家屋の柱を粉砕し、家屋の軒が崩れて落ちた。
本当に重いらしい。
さすがに体勢を崩した赤いのは、一度俺から距離を取り、大槌を両手で構えなおした。俺も刀を構えて向かい合う。そして赤いのに言ってやった。
「たしかに俺は馬鹿だけど、俺には青ちゃんがいるから平気なの!」
「……青ちゃんだぁ?」
「そう、青ちゃん!」
俺は背後の茶屋を指さした。
「お前だって馬鹿そうじゃんかっ!」
俺の言葉に赤いのは、一瞬ぐっと詰まったけれど、顔を赤くして言い返してきた。
「俺だってな! あいつがいるから……」
しかし、言いかけた赤いのは、茶屋の方を見て不愉快そうに顔を歪める。
「狸休! バカ野郎! こっち手伝えよ!」
赤いのが言った言葉に俺は、後ろの茶屋を振り返った。そこには忘れていた、もう一人の緑が座っている。そして、さっきまで俺の団子がのっていたはずの皿は空。
「あっ、おれの団子が!」
後で食べるって言ったのに!
「もう、何すんだよ! おれの団子、返せよっ!」
俺は川の方へと、すたこら逃げる緑の背中を追いかけた。