第一話
俺はさっきまで青ちゃんといた『賽ノ河原』から、ちょっと外れた道端を歩いていた。
今頃きっと青ちゃんは、新しい寝場所を見つけているだろう。
青ちゃんはよく寝る。やることがないときは、たいてい寝てる。そのうち体から根っこが生えてくるんじゃないかと思う。
前は青ちゃんが寝てるなら、俺も寝ていようと思っていたけど、やっぱり俺にはそれは無理。
今日はこんなにいい天気。空は突き抜けるみたいに真っ青で、そこには綿毛みたいな雲が浮かんでる。それだけで俺はもうワクワクするのに。
鳶が綺麗な弧を描いて飛んでる。それを見上げながら歩いていた俺は、ふいに足に何かがぶつかって、上げてた顔を足元に向けた。
「なんだこれ?」
足元に転がっていたそれを、俺は両手で抱え上げた。
ヒトの子かと思ったけれどちょっと違う。金色の髪から小さな角が覗いている。
ああ、思い出した。これは鬼だ。
確か鬼は珍しくって、高い値で売れるって聞いたことがある。なんでこんなトコに落ちてるんだろう。
でもやった。これは俺が拾ったんだから、もう俺の。
だけど――。
鬼の子は俺の手の中、ぐったりしている。
死んじゃってるのかな。
俺は鬼の子をゆらゆら揺すってみた。すると、鬼の子が閉じてた目をうっすら開く。藤の花みたいな綺麗な紫。それを覗き込んでいると、鬼の子は驚いたように目を見開いた。
「なんだよお前! 放せ!」
キーキーと声を上げながら、抱えた俺の腹を蹴ってきた。全然痛くはないんだけれど。
そのとき、
「おい、いたか!」
後ろから聞えた男の声に、俺の手の中で鬼の子が体を強張らせる。見ると、盗賊らしい男が二人、何かを探してキョロキョロしていた。
そして俺に気がつくと、こちらに凄い形相で向かってくる。
「やい、チビ! そいつを返せ!」
男の一人が指差したのは、俺の抱えてる鬼の子。
「なんで? これ、ここに落ちてたんだ」
俺は鬼の子をぎゅっと抱えなおす。
「だから、それは俺らのなんだよ。とっとと返しな。怪我しねぇうちに」
もう一人が言いながら手を伸ばしてきて、俺はむっとした。
「これは俺が拾ったの! だから俺の!」
俺は鬼の子を、前方の空高く放り投げた。
男たちの顔がそれを追って上を見上げたとき、俺は一人の尻を力任せに蹴り上げた。
「いってぇ!」
前屈みになったその背に跳ね上がると、こちらを振り返ったもう一人の顔面を踏み台にして、前に大きく飛び上がる。
落ちてくる鬼の子を、空中で受け止め着地。
目を白黒させてる鬼の子を抱え、俺は青ちゃんのところへまっしぐらに駆け出した。
少し戻った川辺の土手、草が布団になってるところに青ちゃんは寝ていた。
「青ちゃんっ」
呼びかけると、少し眉間に皺を寄せ、青ちゃんはうっすら目を開く。
あ……また寝た。
「あーおーちゃん!」
「何だよ」
やっと半分目を開けて、青ちゃんが体を起こしたとき、大人しくしていた鬼の子が、またキーキーと騒ぎ出した。
「放せよ! 放せってこのチビ!」
俺は青ちゃんに鬼の子を見せた。
青ちゃんもきっと、鬼の子をこんな間近で見るのは初めてだと思う。
「何だそれ、どうした」
聞いた青ちゃんに俺は答えた。
「拾った!」
すると青ちゃんは大きく項垂れて、これまた大きなため息をつく。
そして言った。
「落ちてた場所に返してこい」
え?
「やだ」
俺は首を振る。
「いいから返してこい」
なんで? これは俺が拾ったのに。
「やだよ」
「捨てて来いって」
「やぁだっ」
男を二人も蹴散らして、俺が拾ってここまで来たのに、捨てて来るなんて絶対嫌だ。
暴れる鬼の子を抱える腕に、力がこもる。
そんな俺に青ちゃんは、面倒くさそうに立ち上がった。
「よし、でこぱち、それ持ったままでいいからついてこい」
でこぱちと言うのは俺のこと。青ちゃんは俺をそう呼んでいる。
俺の前髪は短くて、でこがよく見えるから……らしい。
俺は青ちゃんが呼んでくれる、青ちゃんが付けてくれた、このもう一つの名前が気に入っている。
刀を手に歩き出した青ちゃんに、俺は鬼の子を抱えたまま聞く。
「え? 何? どこ行くの?」
俺の前を行く青ちゃんは、振り向きもせず答えた。
「きさらんとこ」
◆◆◆◆◆
町から離れた山の傍。俺の背丈くらいの草むらを、抜けたトコにある小さな小屋がきさらの家。
この辺は、前にも盗賊とやりあったことがあった場所。あんまり騒ぐと、また盗賊たちが出てきちゃう場所。
黙って歩く青ちゃんに、俺も黙って付いて行く。
「何処行くんだよ。おい、お前ら、返事しろよっ!」
鬼の子は相変わらず喚いていたけど、なぜか盗賊たちは出てこなかった。
鬼の子が喚くのに疲れた頃、やっと見えた茅葺屋根。
そして井戸の前に、夜に咲く菫の花みたいな青紫の髪を見つけて嬉しくなる。
「あ、青ちゃん! ハチも、お帰り!」
きさらはそう言って手を振った。
きさらの言う、お帰りって言葉が俺は好き。
俺と青ちゃんに、お帰りって言ってくれるのはきさらくらい。
「二月? 三月ぶりかな? ちゃんとご飯食べてる?」
にこにこ笑って俺たちを迎えてくれたきさらは、突然その顔を強張らせた。
「青ちゃん、怪我してる!」
「ああ、さっきな……後で診てくれるか?」
「駄目! 今! 今すぐ!」
きさらは忍だけど医療の心得があるらしく、何かと怪我ばっかりの俺たちを、いつも治療してくれる。
鞘のない刀を持つ青ちゃんの腕を、気にもせずぐいぐい引っ張るきさら。
きさらは青ちゃんを引きずり行きかけたが、ふいにその足を止め、俺を見た。
「……」
きさらが顔色を変えて、青ちゃんを掴んでいた手を離すと、俺の手から鬼の子を取り上げた。
「ハチの馬鹿っ!」
「なんでー?」
「そんな簡単に生き物を自分の好きにできると思っちゃだめなんだよ?」
俺は怒るきさらを前に正座させられていた。
俺はきさらも、きさらの作るご飯も大好きだけど、きさらのお説教は好きじゃない。
「だって落ちてたんだから拾ったっていいじゃん」
俺が拾ってきた鬼の子を自分の背後に隠すようにして、俺を見下ろすきさら。
「落ちてるわけはないの。命あるものを落ちてたなんて言っちゃいけない」
「でもそこに在ったんだから同じじゃん」
「違うよ。命あるものは違う。刀やお茶碗と一緒にしないの。相手の意思を無視して勝手に連れまわしたりしちゃ駄目。ハチだってさ、突然青ちゃんの傍から連れ去られたら嫌でしょう?」
俺を?
青ちゃんの傍から?
俺は近くの杉にもたれている青ちゃんを、チラと見た。
「おれはそんな事させないよ。そんなヤツ、殺っちまえばいいんだ!」
言ったとたん、きさらの細い指が、俺のでこを弾いた。
「みんながハチみたいに強いわけじゃないわ。抵抗できなかったら、どうするの?」
弾かれたでこよりも、なんだか腹の上あたりがチクチク痛む。
「敵わない相手だったらどうなの? 手足を獲られて、命を獲られたら、どうするの?」
「それは」
「右腕と右目のない青ちゃんの左目を塞いで、左手を使えなくして連れ去るヒトがいたらどうなの?」
青ちゃんの左目と左手を……
「それは卑怯だっ!」
「そうでしょう?」
きさらに撫でられた鬼の子が、きさらを見上げる。その顔が、俺に拾われたときと違うのが分かる。ホッとしたような、安心したような、そんな顔。
「ハチのしている事も卑怯じゃない。この子の何処に、ハチに抵抗する力があるっていうの?」
確かに、鬼に子が俺を蹴り飛ばす力は弱っちくて、俺は簡単に鬼の子を拾ってくることができたけど。
「分かるでしょう? 命あるものに干渉するのは、落ちている石を拾って持ってくるのとは違うのよ。たとえば、この子が望んで私の元に来たいと言ったのなら、ハチが此処に連れてくる理由はあるわ。でも、そうじゃなかったんでしょう? ハチは勝手にこの子をここに『連れてきた』んでしょう?」
鬼の子が離せと暴れていたのを思い出す。
「命あるものにはね、それだけで自由に生きる権利があるのよ。それを奪う事は誰にも出来ない。ハチにも奪う権利はないの。理由もなく奪われていい自由はない」
俺はたぶんずっと『自由』だったから、それを奪われるということが、どういうことなのかが、よく分からないんだと思う。
でもどうやら俺は、やっちゃいけないことをしたらしい。
「これは私の我儘かもしれないわ。でも、ハチには卑怯な事しないでほしいの」
「……分かった」
俺も卑怯者にはなりたくない。
「ありがとう」
きさらがやっとまた笑ってくれた。
足がもう感覚ないよ。
俺は地面に転がった。
俺は頭が悪いから、難しいこととか皆が当たり前だと思ってることも、よく分かってなかったりして、やっちゃいけないこともたくさんするから、きさらによく怒られる。
だけどきさらが怒ってくれるから、俺は馬鹿だけど卑怯者にはならずにいられる。
卑怯者にはなりたくない。
鬼の子がきさらの着物を引っ張っている。
そうか、鬼の子、返してこなくっちゃいけないのか。
俺がそう思っていると、鬼の子がきさらを見上げて呟いた。
「いや……じゃ、ないよ」
「なあに?」
きさらがしゃがみ込むと、鬼の子はなんだか恥ずかしそうにして言った。
「あのチビはキライだし、ここに来るつもりはなかったけど……ここにいてやってもいい」
そんな風に言った鬼の子に、きさらは優しい声で訊く。
「じゃあ、あなたもここに住む?」
すると鬼の子は金色の髪を揺らしながら、頭を縦に振った。
なんだ、じゃあ、返してこなくてもいいんだ。
なんだかちょっとホッとした。
「青ちゃんの治療もすぐにするから、中で待ってて。二人とも……と、三人とも、おなかすいてるでしょう? ご飯の支度するわ」
鬼の子と手を繋ぎながら、桶を抱えたきさらの言葉に、嬉しそうな顔をする鬼の子。
やった! 久しぶりのきさらのご飯だ。
青ちゃんと二人で食べるご飯も気楽でいいけど、きさらの作ったご飯はやっぱり美味しい。
ようやく痺れの取れてきた足に、俺は寝転がったまま、きさらを見た。
ひらひらと揺れる、青空色の着物の裾。
うん。やっぱり。
「あのさー、さっきから思ってたんだけどさ」
「何?」
振り向いたきさらに、俺は体を起こして言った。
「その着物短くない?」
「短……って、まさかハチっ」
きさらは着物の裾を今さら抑える。
「うん。さっきからずっと中見えてたんだけ――」
言おうとした俺は顎に衝撃をうけ、再び地面に倒れこんだ。
俺の顎を直撃したのは、きさらの膝蹴り。
……超痛い。